2020年12月22日(火)15:00より、101号館11号室にて、張政遠氏(総合文化研究科)と石井剛氏(EAA副院長)のEAAダイアローグが行われた。久しぶりのEAAダイアローグであり、初めての駒場でのダイアローグ開催であった。今年の5月1日に着任した張氏は、10月1日に日本に入国するまでは、香港からZoom越しで授業等に参加していた。EAAの要である両者がはじめて時間をかけて言葉を交わす貴重な機会がようやく実現したと言えるだろう。
最初に確認されたのは、いまを遡ること12年前、2人がUTCPですでに出会っていたことである。中島隆博氏の西田幾多郎論をきっかけに、当時香港中文大学に勤めていた張氏は日本哲学をめぐる対話を求めて、駒場を訪問したという。それから、石井氏は張氏に、現在の研究に至るまでの道のりを尋ねた。そして張氏の応答から明らかになったのは、実存的不安とも呼べる危機が生じるたびに、選択を決断し、紆余曲折を経て、独自の「道」の哲学を描いてきた彼の動線である。張氏は、高校までは理数系だったが、1995年に香港中文大学の哲学科に入学し、ハイデガーで卒論を書いたのち、修士課程ではマックス・シェーラーの人間と人格の問題を論じた。そして、博士課程からの海外留学を検討していた際に、偶然、日本が選択肢として浮上し、当時、現象学会の事務局のあった東北大学に問い合わせをしたのち、野家啓一氏が受け入れ教員となり、2回目の修士課程では西田を論じ、果たして博士論文を書き上げるに至るまでの流れは、聞いていてスリリングであった。ポスドク後に、最初に得た職が広東語を教える仕事であったり、講師職を得た後も、一般教養で愛の哲学や映画の哲学など、さまざまな授業を担当したりした経験が、現在の張氏の石牟礼道子を読み解く姿勢にも通じる重層的な関心の礎になっていることが解き明かされた。また、西田だけでなく、和辻哲郎や、さらには坂部恵の影響も少なくないことが石井氏とのやりとりのなかで明らかになった。
その後、石井氏が問いかけたのは、張氏が提示する「巡礼」の哲学と、香港というトポスの関係である。そして、福島への「巡礼」をはじめ、こうした忘却をめぐる主題に実地に赴いてゆく哲学の方途が、暴力的にも捉えられるいっぽうで、物語れないものにアプローチする可能性をめぐって応酬がなされた。また、文学部のなかに哲学科が位置づけられているようなファカルティ的な構造にはとどまらないない意味で、文学の中に、エクリチュールの中に哲学があることが示唆されたのちに、話題は1949年創立の香港中文大学新亜書院に移り、教育のための適正な規模について、現在のEAAのあり方とともに意見交換がなされた。そこで張氏が述べたのは、EAAには一本ではない、いくつもの道から色々なものが入ってくるのではないか、ということである。それは花道ではない、泥道であるだろうが、そこにこそ野家氏の言葉を借りるならば「無根拠からの出発」に重なる道への希望があることが確認されて、2時間超に渡るダイアローグは終わった。今後、張氏がEAAで、そして駒場で、どのように道なき道を切り開いてゆくのか、注目されたい。
報告:髙山花子(EAA特任助教)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)