2022年7月1日、25日に第2回・第3回「開発と文学」研究会を開催した。本研究会では、通常社会科学的視点から論じられることが多い「開発」という営為あるいは概念について、人文学的、とりわけ文学的アプローチを試みるものである。資本主義の展開あるいは近代化の運動が、人々の概念や生活にどのような影響をもたらしたのか、社会科学と人文学の双方から探究することが目的である。
第1回の研究会で行われたディスカッションを通して、この探究を掘り下げるために「におい(匂い、臭い)」というキーワードをひとまず設定することにした。
しかし、「におい」をピンポイントで扱っていて、なおかつ「開発」に関わる事柄を著した作品を探すことは簡単ではない。案の定、作品選びに難航した。試みに、第2回・第3回では、発表者(崎濱紗奈:EAA特任助教)のこれまでの研究に即して、広津和郎「さまよへる琉球人」(1926年; 1994年、同時代社)、および池宮城積宝「奥間巡査」(1926年)(岡本恵徳ほか編『新装版 沖縄文学選』(勉誠出版、2015年)所収。テクストは「青空文庫」でも閲覧可能)を輪読した。
これらの作品を選んだのは、「沖縄」という場所をめぐる近代化・資本主義化のプロセスが象徴的に描かれているからである。また、広津は日本本土出身の作家であり、池宮城は沖縄出身の作家である。両者の視点が錯綜する有様も感じてみたかったので、連続でこれらの作品を読んでみた。
冨山一郎が『近代日本社会と沖縄人——「日本人」になるということ』(日本経済評論社、1990年)で論じたように、賃金労働者として県外・国外へと吐出された沖縄出身者たちは、「貧困」「不衛生」「怠惰」といった兆候によって「沖縄人」として人種化されていく。同時に、こうした人種化に対抗するように、その兆候をひた隠しにしようとして「日本人」への「同化主義」が加速化した。広津や池宮城が、その透徹した視線によって捉えようとしたのは、こうした情況であった。
肝心の「におい」についてだが、発表者が気が付かなかった面白い観点を参加者(汪牧耘氏、郭馳洋氏、陳希氏)が提示してくれた。例えば、「さまよへる琉球人」における「石油コンロ」の臭い、そして「奥間巡査」における「豚」の臭気が、作品を読む上での鍵となることが示唆された。「豚」については、沖縄と近代を考える上で一つのキーワードになると思われる。
近代/前近代という単純な二項対立によっては捉えきれない領域を、「におい」という観点から引き続き追ってみたい。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)