2024年6月4日(火)、東京大学八重洲アカデミックコモンズにて、EAAトークシリーズ「空気のデザイン—共に変容する」の第1回セッションが開催された。同トークシリーズは、サステナブルな未来の空気をデザインすることによってもたらされる社会並びに人間の心身の変容について、様々な業界・分野の実務者と研究者が一緒になって考える機会を創出することが意図されている。
その第1回セッションに株式会社クボタの岸野宏氏(研究開発本部産学協創事務所担当部長)と本学の社会学者福永真弓氏(大学院新領域創成科学研究科准教授)をお招きして、「水と空気が交わるところ—これからの環境デザイン」というセッション題目を踏まえたご講演並びにご対談を頂いた。
岸野氏は、株式会社クボタに入社後、10年ほど排水処理(ご本人が言うところの一巡目)、続いて処理水の再利用(二巡目)に係る研究および事業開発に取り組まれ、2022年から本学との産学協創事業(三巡目)を担当されている。
まず、岸野氏より、国内外で開発に取り組まれた水処理技術(膜分離活性汚泥法、オゾン処理)や排水再利用技術(逆浸透膜処理)の原理等についてご解説頂くとともに、これからの水処理事業の方向性を巡る問題意識をご共有頂いた。岸野氏曰く、近年エネルギー(電力)を投入して水をきれいにするという水処理事業の前提それ自体が再考を求められる事態に直面している。きれい過ぎる処理水がかえって水の中で暮らす生き物の生息を妨げる事例が散見される一方、日本において人口減少が著しい地域では上下水道の一貫したシステムを経営的に維持するのが難しくなってきている。世界的に見ると、上下水道のインフラがまだ構築されていない国・地域が多いのも事実であり、維持管理以前の課題も多い。そして何より、莫大なエネルギーを使って水をきれいにすること自体が、実のところカーボンニュートラル達成に向けた動向と相反するのではないかという根本的な疑問が浮上する。
岸野氏のご講演に対する福永氏の応答的プレゼンテーションは、ご自身の流域倫理研究に基づくものであった。福永氏は、Ivan Illich『H2Oと水—「素材」を歴史的に読む』やAntoine de Saint-Exupéry『人間の大地』を引き合いに出しながら、近代科学の発展とともに水から文化的コンテクストが剥ぎ取られていったと解説する。歴史的に水は人間を清める存在と見なされていたが、認識上文化的コンテクストを伴わなくなった「H2O」それ自体が逆に純化の対象へと転化していった。
続けて、福永氏は、エネルギーなどと共に、水を巡るシステムが上下水道のようなインフラとして背景化し、私たちの身の回りから見えなくなっていったと指摘する。それらが私たちの目の前に立ち現れるのは、洪水や停電のように問題があったときだけに限られる。水を含む不可視化されたインフラ同士の関係もまた等しく不可視化されている。福永氏は次のような問いを示された。水やエネルギーなどの不可視化されたインフラ同士をつなぐことで何らかの問題が解決されるのであれば、それを可能にする(岸野氏が扱っておられるような)エンジニアリングはどのような価値や意味のコンテクストにおいて用いられるべきか?
この問いへのアプローチとして、社会学者としての福永氏が一貫して取り組まれていることがある。それは、流域の捉え方として、表流水に限らず、上下水道システムのような人工インフラもまた流域を構成する水の流れとして認識し、可視化しようとする試みである。ご講演の中で、福永氏はそれらの可視・不可視の水の流れをイラストレーションで統合的に可視化するプロジェクトを紹介された。それらの流域絵図は、人々に水と人間の関係を(再)確認させるとともに、不可視化された水インフラと何か別のインフラの間に潜むトレード・オフの関係に気づかせる役割を果たし得るのである。
岸野氏と福永氏のご講演を踏まえて展開された両氏のご対談並びに質疑応答は、同セッションの参加者に2つの重要な論点を提示したように思われる。
1つは、部分最適が必ずしも全体最適を導かないという近代社会が抱えるジレンマについてである。この点に係る岸野氏のご議論は示唆的であった。岸野氏によれば、気候変動の次は生物多様性が地球環境に係る中心的な話題になるとの予測がある。地球温暖化対策のために電動化が進められると、これまで以上に大量の電力が必要になる。そこで世界各国は太陽光発電所の建設に邁進するのであるが、ソーラーパネルの設置による草地の減少は、草地を棲家とする生き物の減少を同時に意味する。さらに、陸上だけでは必要な電力が賄えなくなって洋上風力発電が普及していくと、今度は海洋生態系への影響が懸念されることになる。詰まるところ、このままでは水と空気は「交わる」どころか、ますます遠ざかる運命にあるのだ。
今日、企業が特定の商品やサービスを提供する際、それらがSDGsの何と何に貢献しますといった表明を行うことが一般的になっている。しかし、岸野氏は、あらゆる商品やサービスの開発および提供において、本来的には全てのSDGsが視野に入れられなければならないと指摘する。無論、企業活動に伴うあらゆる影響関係を網羅的に把握することは不可能であるため、少しでも部分最適を全体最適に近づけるためのファシリテーターが必要になるというのが岸野氏のお考えである。ここで言う「全体」を福永氏の着目する「流域」くらいの単位で捉えてみると、少しばかり物事が想像しやすくなるであろう。
岸野氏と福永氏のご対談並びに質疑応答から引き出されたもう1つの重要な論点は、上述の点と密接に関係している。それは、さまざまな事象をいかにして可能な限りより俯瞰的に、かつ統合的に捉えることができるか、という私たちの視点や態度を巡る問題である。この点に係る岸野氏の実務者ならではのご意見は、同セッションに出席していたEAA石井院長からの質問により引き出された。石井氏の問いは次のとおりである。クボタ東大の産学協創は「100年後の地球のために」を主たるコンセプトに掲げているが、産業界が大学と手を組んで100年後を想像するとは一体どういうことなのか?
大学や研究機関に所属する研究者はいざ知らず、実務者の方々は向こう3年から5年程度のスパンで事業計画を打ち出し、短期間のうちに商品やサービスの開発および販売等を手がけられている。岸野氏は、プロジェクト期間が10年といったら、社内で「コッソリやる程度」の事業になるであろうと語る。そのような時間感覚の中に100年という時間スケールが持ち込まれると、事実上何を考えてもよくなるので、思考することから様々な制約が取り除かれるであろうと岸野氏は期待する。異なる時間感覚で物事を考えるという試みは、福永氏が日々模索されているような不可視化されているものを想像する技術へとつながるであろうし、同時に部分最適を可能な限り全体最適に近づけるための1つのアプローチとなり得るであろう。
このようにして「空気のデザイン—共に変容する」は、いきなり「空気」ではなく「水」からスタートしたわけであるが、結果として後のセッションに続く有意義な議論が展開された。それらは、少なくとも私の思考から、空気(のデザイン)について思いを巡らせる上での制約を取り除いてくれた。福永氏はご講演の冒頭で、「水を差す」という言葉があるように、元来「水」には何かを「スッと現実に戻す」役割が秘められているという趣旨のお話をされていた。それは確かにそうかもしれない。岸野氏と福永氏の刺激的なお話は、私の凝り固まった研究者思考をスッと現実に引き戻してくれたように感じている。
本年度から、EAA空気の価値化プロジェクトに汪牧耘特任助教が加わられ、本トークシリーズの運営に携わられている。大学院への進学準備でお忙しい中、豊嶋駿介氏と高山将敬氏にはセッション当日のオンライン配信並びに写真撮影のみならず、トークシリーズ全体の準備に日々ご尽力頂いている。18号館共通技術室の木村嘉陽氏と青山恵氏のおかげで、毎度滞りないオンライン配信が実現している。併せて、企業さんからのゲスト・スピーカーの招聘は、本部協創課の関太平氏と菅哲郎氏のご尽力により可能になっていることもまた言及しておかなければならない。本セッションにご協力頂いたEAAの方々は勿論のこと、皆様のご協力に記して御礼申し上げる。
報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:高山将敬、豊嶋駿介(EAAスタッフ)