2024年12月6日(金)、東京大学八重洲アカデミックコモンズにて、EAAトークシリーズ「空気のデザイン—共に変容する」の第6回セッションが開催された。同トークシリーズは、サステナブルな未来の空気をデザインすることによってもたらされる社会並びに人間の心身の変容について、様々な業界・分野の実務者と研究者が一緒になって考える機会を創出することが意図されている。
第6回セッション「Mercariのエスノグラフィー」では、株式会社メルカリより研究開発組織mercari R4D(以下R4D)にてご活躍の多湖真琴氏と井上眞梨氏、並びに文化人類者であり、文化人類学の知見を基にビジネスを展開されている国際大学兼株式会社アイデアファンドの大川内直子氏をお招きした。
本セッションでは、まず多湖氏と井上氏より、R4Dの活動概要や目下進行中のプロジェクトについてご紹介を頂いた。この日本最大のフリマアプリ運営事業者が有する研究開発組織は、サーキュラーエコノミーの実現という社会課題への貢献を通じた「あらゆる価値が循環する」社会の構築をその長期的なミッションに掲げている。そのような持続可能な社会の実現に資する壮大なミッションの達成に向けて、R4Dでは個別具体的な課題へのアプローチとして学術界を含む他社(者)との協業が奨励されている。両氏のお話を伺っていると、そのような異業種・異分野連携がR4Dのカルチャーとしてごく自然に実践されている印象を受ける。大阪大学 ELSIセンターとの密接な協業をはじめ、本学とは価値交換工学社会連携講座を設置・運営させて頂いている。
R4Dの学術知への関心は、AIや量子コンピュータのような最先端のテクノロジーにとどまらず、社会学、文化人類学、哲学のような人文・社会科学領域にまで及んでいる。無数のユーザー間の売買により日々生じている新しい発見と課題の連続が、R4Dに個々の取引——ひいては価値交換——を巡る人間性や社会現象といった必ずしも数値化や視覚化が容易ではないものに目を向けさせているのだ。
2017年12月に設立されたR4Dはちょうど7年の歴史を有することになるが、その黎明期においてはフリマアプリのプラットフォームを運営する側のテクノロジーやデータ等への態度に意識が向けられていたように見える。井上氏のご講演によれば、社内ではELSI研修プログラムや量子情報技術の社会実装を巡るELSI関連研究が進められており、R4Dが独自に取りまとめた研究開発倫理指針の一般公開もまた、元々は社員向けの指針づくりが契機となってはじまったのだという。
もし、倫理観の根底に他者理解があると言うことができるのならば、メルカリが全社的にインクルージョン・アンド・ダイバーシティ(I&D)の推進に乗り出し、社員向けに無意識バイアスワークショップ等を積極的に開催していることもまた必然なことのように思われる。詰まるところ、フリマアプリという比較的新しいテクノロジーは誰かにとって不用になったものの再利用を勝手に促しているのではなく、それを利用する者と運営する者の双方に対して新しい価値交換形態に見合った新しい心構えを要求しているのだ。ここで「フリマアプリ」を「社会システム」と読み替えたとき、R4Dの事業課題が同トークシリーズの中心的な議題を縮約していることに気づく。
R4Dの試みは明らかに画期的である。多湖氏にご登壇をお願いしたときからそう感じていたのであるが、当初R4Dが画期性を保てている要因として、従業員が比較的若く、男女比にあまり偏りがない、テック系新興企業として風通しがよいといったことくらいしか思い浮かばなかった。多湖氏もまた、他社から「それってメルカリだからできるんじゃないの」とは言われるものの、その理由を従業員自身で言語化できていないと吐露される。ならば文化人類学者にメルカリという会社そのものをエスノグラフィーしてもらおうということになり、このほど大川内氏をお招きすることになった。
大川内氏のご講演のみならず、同氏に主導して頂いたご対談は大いに盛り上がった。その中で私なりに気づいたことをここに2点ほど整理しておきたいと思う。
1つは、R4Dと人文・社会科学系研究の関係についてである。R4D内での人文・社会科学系研究の評価方法に係る大川内氏とのやりとりにおいて、多湖氏は「定量評価では拾えない部分」や「現場では拾えない部分を拾う」のが人文・社会科学系研究の役割であると言及された。そして、多湖氏と井上氏のお話しを要約するならば、ここで言う「定量評価では拾えない部分」や「現場では拾えない部分」とは、「それってそもそも何を意味しているのか」「それって本当にやって大丈夫なのか」といったような根源的な問いを指していたように思われる。換言すれば、R4Dにとって、根源的な問いへのアプローチこそが人文・社会科学系研究なのである。それは、学問としての人文・社会科学系研究の存在意義と全く矛盾しない。
続けて、大川内氏が「R4D内ではどうやってバックグラウンドの異なる従業員同士で議論されていますか」「自分は××が専門だからこう言いますといったスタイルで議論されていますか」と質問されたのに対し、多湖氏と井上氏は各々自分の専門を引き合いに出すことなくテーマ自体について話し合っていると応答された。この点について驚いたのは決して私だけではなかったようで、大川内氏が「えっ、野澤さん、普通違いますよね」といきなり司会進行役の私に意見を求める一幕があった。
私自身もそうなのであるが、異分野の研究者と同一のテーマについて議論しようとすると、往々にして「△△学ではこう考える」みたいな意見の出し合いになることが多い。無論、それは共通の接点を探る上である程度必要なプロセスであるに違いないが、それが行き過ぎてしまうと、問いに答えるどころか、単に問いを客体化することに終始してしまうのかもしれない。(それどころか、私を含む学者たちは、難しいことを言い合っている自分たち自身にすっかり酔いしれてしまう傾向にある。)
それに対し、R4Dの方々は、各々の専門分野に照らし合わせながらも、専門分野を主語にするのではなく、あくまで自分自身を主語にしてテーマについて話し合っているのだと推測される。換言すれば、テーマや問いを自分事として捉え直す作業を反復しているのである。
多湖氏、井上氏、大川内氏によるご対談の中で印象に残ったもう1つにこともまた、この点に関係している。「アイデアで資本主義を面白く」をご自身が経営する会社のコーポレートミッションに掲げている大川内氏にとって、多湖氏と井上氏との対談における最大の関心事は資本主義とプラットフォームとしてのメルカリの関係であったように思われる。実際、大川内氏には、マーケットとしてのメルカリの位置付けについて独自の見解をご披露頂いた。
興味を引いたのは、多湖氏と井上氏がそのような大川内氏の資本主義談義に対して、まるで予め答えを用意してきたかのごとくスラスラと途切れなく応答されていた点である。両氏から、もしメルカリが社会主義国で使われたらどうなるかといった話題が社内会議で持ち上がったというお話しを頂いたが、そんな話しは私のような学者であってもなかなかするものではない。もしかすると、それは大川内氏との対談に向けたある種の予行演習の一環だったのかもしれないが、少なくとも私の目には、多湖氏と井上氏が個とシステムの関係を自分事として捉えることに幾分慣れていらっしゃるように見えたのである。
フリマアプリに限らず、何かと何かをマッチさせるオンラインプラットフォームにおいて、昨今予期せぬ問題が多発していることは周知の事実である。たとえそうであったとしても、メルカリというフリマアプリの巨大システムは、根源的な問いに突き動かされた躍動によって支えられているのである。大川内氏による巧みなエスノグラフィーのおかげで、そのような個とシステムが「共に変容する」過程の一段面を些かでも目の当たりにすることができたのではないかと感じている。
本セッションでは、直前まで山梨の大学にて非常勤講師のお勤めがあったにもかかわらず、同僚の汪牧耘氏には八重洲の会場まで駆けつけて頂き、写真撮影等の業務をご担当頂いた。記して御礼申し上げる。
報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:汪牧耘(EAA特任助教)