2025年1月10日(金)、東京大学八重洲アカデミックコモンズにて、EAAトークシリーズ「空気のデザイン—共に変容する」の第7回セッションが開催された。同トークシリーズは、サステナブルな未来の空気をデザインすることによってもたらされる社会並びに人間の心身の変容について、様々な業界・分野の実務者と研究者が一緒になって考える機会を創出することが意図されている。
第7回セッション「自己発見と共創する組織・社会」では、企業の組織開発等に係るプロジェクトを主導されている株式会社博報堂の兎洞武揚(うどうたけあき)氏と「共創哲学」を提唱・実践されている哲学者の梶谷真司氏をお招きした。
本セッションでは、まず兎洞氏より、これまで関わってこられた共創支援に係るプロジェクトのご経験を踏まえ、多様なバックグラウンドを持つ人々による共創的変容のためのプロセスデザインについてお話しを頂いた。兎洞氏による話題提供の趣旨は、概して共創的な組織・社会変容のための「空気感」のデザインであったと言うことができる。
兎洞氏は、単独セクターでは対処し得ない複雑な社会課題の解決に資する事業モデルの創出を支援すべく、マルチステークホルダーによる協働を包括的に支援する博報堂独自のファシリテーション・プログラムbemo(ベモ)の開発および実践に取り組まれている。それは、発注者が有するソースを見極めながら潜在的な顧客を特定し、ブランディングを通じて顧客層をコントロールしていくような従来型のマーケティング手法とは大きく異なる。bemoがインドネシア語で乗合バスを意味するように、このファシリテーション手法では似たような関心を有する異業種、他社、行政機関、NPO、生活者といった多様な主体を集い、彼らを協働プロジェクトへと巻き込んでいくことに主眼が置かれている。この枠組みにおけるファシリテーターとしての博報堂社員の役割は、プロジェクトに集った仲間たちが自分たちにとって真に必要な仕組みや社会システムを共に想い描き、創造していくようなプロセスそれ自体を生成的にデザインし、伴走していくことにある。
bemoは通常事業開発の初期段階で行われるようなサービス提供対象の特定を想定しておらず、むしろ真に必要なシステムやサービスがマルチステークホルダーと共に創造され、(再)発見されるプロセスに伴う偶然性を期待している。2011年に博報堂がbemoのサービス提供を開始して以来、兎洞氏はフードロス・チャレンジ・プロジェクトをはじめ、これからの教育について考える未来教育会議等にてそのファシリテーション手法を実践されている。
このようなマルチステークホルダーによる共創プロセスには3つの段階があると兎洞氏は説明する。まず、チームビルディングからはじまる。この段階において、多様なバックグラウンドを持つ仲間たちは、相互理解を通じて自分自身が最も大切にしてきたことに気づく。兎洞氏のようなファシリテーターがそのためのお膳立てをする。
続いて、彼らはまだ見ぬ新たなシステムのあり方を共有するためのアンノウンラーニングジャーニーに出かける。フードロス・チャレンジ・プロジェクトでは、仲間たちとともに食品の生産、製造、流通、消費の全過程を体感するためのスタディツアーが企画された。この段階において、例えば未来の教育というお題に対して「なぜ日本の教育状況は変わらないのか?」といったファーストクエッションの設定は避けられる。「なぜなら×××だから」という答えを導く問いではなく、「人の可能性を開花させる生涯を通じた学びとは?」といったクリエイティブクエッションを仲間たちと共に語り合う。その過程は、彼らにまだ見ぬ新たなシステムについて想像することを促す。
最後に、システムチェンジデザインの段階へと移行する。自分たちを取り巻く外部環境の変化が予期せぬかたちで起こり得ることを念頭に置いて、仲間たちは心からやりたいことや自分たちがなすべきことを共に構想していく。それは、本当にやりたい人たちだけを集めるエネルギーを生み出し、アクションチームの結成へと結実する。
兎洞氏は、このような共創プロセスにおいて、各々様々なシステムの一部として生きる自分自身を知ることが最も肝心であると指摘する。他者との関わりの中で生きる自分を知ることは、自分の外側にある世界に働きかけている自分の内的動機に気づくことと同義である。その作業は、同時に自分自身の多様性へと目を向けさせてくれる。個々人の内側にある多様性は、私たちに自分の外側にある多様性との共鳴を可能にする。兎洞氏は、マルチステークホルダーによる共創によって、理論的には個人による幸福の追求と矛盾することなく社会、環境、地球により良き状態がもたらされ得るとの見解を示された。そして、個人のWellbeingを拡張したBig-wellbeingの概念を提唱してご講演を締め括られた。
続く梶谷氏のトークは、ご自身が実践されている共創哲学のご経験を交えつつ、兎洞氏への質問(ならぬ兎洞氏との哲学対話)を中心に展開された。梶谷氏は、日本全国の学校、企業、地域等において哲学対話を通じた「共に考える場」の創出活動に携わられている。そのような梶谷氏の活動は数々の単発の依頼がベースになってはいるものの、課題解決に向けて様々な立場の人々を巻き込みながら共創を支援しようとする方向性は兎洞氏のbemoと共通している。これまで梶谷氏が関わってこられた社会課題は、学校教育の質的向上から温泉街の活性化に至るまで幅広い。
他方、梶谷氏は、ご自身が関わりを持ってこられた「共に考える場」を創出する活動の大半は課題解決に至ることなく途中で頓挫してしまっていると明かす。その理由として、梶谷氏に哲学対話を依頼した側における「代役」の不在や(EAAを含むあらゆるコミュニティに見られる)複雑な人間関係等が挙げられるようだ。あくまで外部の人間としてマルチステークホルダーによる共創に関わる際には、よそ者だからこそ担える役割があるという些かクールなスタンスが求められるのではないかと梶谷氏は話す。
無論、継続している例が全くないわけではない。梶谷氏は、様々なバックグラウンドを持つ人々の集まりが続いている良例として、名古屋で展開されている全国子ども福祉センターの活動を挙げられた。同センターは、不登校や親からの虐待等により居場所を失った子どもたちを支援する組織である。子どもたちが着ぐるみを着て、帰宅時間帯に駅前で募金活動をすることが主たる活動となっているのであるが、集合時間や誰が何をするかといったことが原則定められていない点に大きな特徴がある。詰まるところ、適度にユルい活動なのである。子どもたちはみな、薄暗くなったらバラバラと集まり、その日に着たい着ぐるみを着て、帰りたい時間になったら帰る。参加したいときにだけ参加する。様々な背景を持つ子どもたちは、かくして誰かに束縛されることなく居場所や(意図せず支援者との)つながりを確保している。子どもたちは、梶谷氏が大学教員であることを知らず、いつも差し入れをくれる理事長の知り合いくらいにしか認識していない。そして梶谷氏もまた、着ぐるみを着て、子どもたちと一緒に名駅前で募金活動をしている。
梶谷氏は、様々なバックグラウンドを持つ人々による活動の継続にとって、以下3点が大切であるとの見解を示された。それらは、兎洞氏の大いなる共感を得るものであった。
1点目、問題について話さないようにする。問題の当事者は、自分が問題の当事者であることを他者によって明らかにされたいとは思わない。人前で問題に係る話題を聞きたいとは必ずしも思っていない。問題の所在について批判することにもまた気をつけなければならない。兎洞氏は、批判している人もまた不全サイクルの中に生きている人間の1人であると指摘する。悪者探しは禁物。
2点目、楽しむことが大切。それは、問題に背を向けることと同義ではない。上述のように、問題を直視することには活動の継続性という点においてそれなりのストレスやリスクが伴う。継続による問題解決には楽しむための仕組みや仕掛けが必要。(関連する議論が第4回セッションにおいても展開されたので参照されたい。)
3点目、役割をあまり固定化しない。ルールを厳格にし過ぎない。大局的な目的は大事にしつつ、個別の目的にあまりこだわり過ぎない。そうしないと、役割が果たされなかったとき、誰かが誰かを責めることにつながりかねない。決めたことを守ることが自己目的化してしまう。柔軟性や偶然性がもたらす気づきや創造の機会が失われてしまう。
兎洞氏と梶谷氏は、全国子ども福祉センターによる募金活動の写真を見ながら、多様なバックグラウンドを持つ人々を引き寄せる「焚き火」のような仕組みや仕掛けこそが、共創的な取り組みの継続性を担保し得るのではないかとの共通見解を示された。もしそうであるならば、いかにして、あるいは誰が焚き木を組んで、火をくべるのであろうか?本セッションの閉会に際して司会者から発されたこの問いに対する両者の回答は、数時間前にはじめて面識を得た者同士とは思えないくらい見事に融合していた。ここに、お二人の回答を記して、このレポートを締めくくることにしたい。
組織や地域コミュニティ内には、あくまで自らの内的動機や問題意識の発露の結果として、勝手に焚き木を組んだり、火をくべたりする人がいる。組織内で煙が上がっているか否かを見極める「目利き」の存在が欠かせないにせよ、煙が上がっているからといって火消しに走ってはいけない。焚き火は私たちに思いもよらぬ「問い」を提供してくれる。まずは、固いことを言わずに、みんなで焚き火のまわりに集まって、暖をとったり、おしゃべりをしたりしながら、焚き火を楽しんでしまってよいのではないか。もしかすると、それが意図せず課題解決やイノベーションへと通ずるパワーの結集を導くのかもしれないのだから。
本セッションでは、運営スタッフのやりくりがつかず、急遽EAA特任研究員の立石はな氏に写真撮影をお願いした。素晴らしい写真をお撮り頂いたことに心より感謝申し上げる。
報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:立石はな(EAA特任研究員)
