2021年2月6日(土)、国際シンポジウム「朱子学の過去と未来」が開催された(JST14:00-18:00、CST13:00-17:00)。本シンポジウムは、日中韓オンライン朱子学読書会のメンバーを中心に、前近代東アジアにおいて一定程度の普遍性を有していた朱子学をとりあげ、最新の研究をもとに、過去においてどのような役割を果たしていたか、さらには現在、未来の東アジアにおいて何らかの役割を果たしうるのかを検討するものである。
本シンポジウムは石井剛氏(EAA副院長)の挨拶より始まった。30代、40代を中心とする新世代の朱子学研究者が議論する場として、本読書会及び本シンポジウムは大変貴重である。今回この場で検討される、朱子学を新しく解釈し発展させようとする試みは、これまでに存在してきた近代化の文脈で朱子学を捉える研究とはまた別のものであり、良いところは引き継ぎつつ、いま新境地を開き再び人々の心を動かす時期も来ている。コロナ禍でオンラインに頼らざるを得ず交流を始めたということも歴史上なかったことである。対面での交流が可能になった暁には、東アジア各地のいずれかで直接交流することを期待する、と述べた。
続いて、司会の趙金剛氏(清華大学哲学系)より、本シンポジウムの各発表について簡単な紹介があった。
最初の報告者は唐文明氏(清華大学哲学系)である(題目「気化、形化、徳化」)。報告では、『周易』『太極図説』『通書』や、朱熹『太極解義』を用いて、太極図を新しく解釈し直した。太極図における一番目の円は太極本体を、二番目の円は「気化」を、三番目の円は「形化」を表現し、四番目の円は人間社会の「徳化」、五番目の円は万物の「徳化」、宇宙の「徳化」を表している。報告者は普段、朱熹の解釈を通して太極図を理解するのみだったが、「気化」「形化」「徳化」の概念で解釈してみると、より体系的に中国古代思想の中の宇宙観を理解できる可能性があるだろう。
中嶋諒氏(明海大学外国語学部)(題目「朱熹、陳亮及葉適:三者の歴史観の差異」)は、陳亮と葉適がともに事功学派に属しながらも異なる歴史認識を持っていたことを明らかにした。いつの時代にも道は失われることなく、漢唐の統治者にも内在していると考えた陳亮に対し、朱熹は理論上、道が継承されていく可能性は否定しないが、現実を見れば漢唐は道統を継承していないと考えた。葉適はむしろ朱熹の考え方に近い。そのため葉適は漢唐の統治者に対し、己の栄華富貴のために戦争を行った点で桀紂と区別はないと厳しい評価を与えるが、金を打ち負かすという短期的目標のためには十分参照する価値はあると考えた。現代社会もまた道を失った時代だとすれば、我々はどの時代を模範とすればよいのか、南宋の思想家の歴史観の中にそのヒントがあるのかもしれない。
廖娟氏(南開大学哲学院)(題目「日本における経典辨偽:大田錦城の方法と立場」)は、儒学の歴史において経典辨偽は度々大きな文化思潮を形成してきた、という。経の権威が確立していた中国と異なり、科挙など外在的制度の保証がない日本において、儒者たちはいかにして経に向き合ったのか、そして知識と道に対してどのような関心を抱いたのか。報告では大田錦城の『尚書』『詩経』『大学』などに対する辨偽の実践を分析した。彼の経に対する考証の目的は経と経の知識そのものにあり、この点において朱子学者や考証学者たちとの差はない。経のテキストは道と知識を求める人々に普遍的な思惟空間を提供するのだ。社会状況が大きく異なる東アジアの思想家たちが、正しい道や知識とは何かを模索する際、経というテキストの分析を通した共通する思想空間を形成していたという指摘は、報告者にとって大変興味深かった。
田中有紀(東京大学東洋文化研究所)の報告(題目『朱子学から考証学への転換?:江永の律呂学と周礼学』)においても、経は重要な意味を持つ。清の江永は、三分損益律から十二平均律を支持するに至り、あるいは『周礼』考工記の注釈において鄭注を重視したが、これらの事実のみから、彼の学術が朱子学から考証学へと転換したとはいえない。ただし、古制の中の様々な矛盾について、朱熹が聖人や周公が注意しなかった部分として保留し、現在の制度に適用するなら「変通」する必要があるとしたのに対し、江永は「変通」することなく、過去の制度は現在にも適用できると考えた。江永は過去の制度を無理に現代に適用するのではなく、最新の理論を古制の中に読み込んだのである。聖人と聖人の書は、「徳」以外にも「知」の領域においても完全で一切を見通している。江永は、自らの朱子学理解に基づき、聖人の把握する範囲を「徳」から「知」全体へと拡大し、経書の中に過去・現在・未来に通ずる「知」を発見しようとした思想家といえるだろう。
許家星氏(北京师范大学哲学学院)(題目「朱子後学の韓国儒学への影響について:饒双峰の『大学』を中心として」)は、韓国儒学に大きな影響を与えた饒双峰をとりあげた。韓国儒学は朱子の思想を分析する中で、『四書大全』『性理大全』等に大量に引用される朱子後学の論説を深く読み込み、豊富な議論を展開した。南宋の饒双峰もそのような朱子後学の一人である。彼の学問は総じて窮理に力を入れる一方、より重要な実践躬行の学を重視せず、朱子の意図に反しているという評価を受けた。報告では、饒双峰が朱子の『大学章句』に対して行った解釈が、韓国の学者たちに様々な議論を引き起こした事実を紹介した。双峰の注釈は非常に精密であり、韓国の学者たちは双峰の興味を自分たちの問題意識へとひきつけ、中国の学者とは異なる視点を持つに至った。その一方で、中韓の学者に共通する問題意識も存在しており、特に、双峰の思想のうち朱子の思想とそぐわない部分については、朱熹に忠実な思想家に対し、地域を越えて共通する興味を引き起こした。このように朱熹の思想は、その後学の思想を通してさらに詳細に検討され、中韓双方の学者にとって自らの問題意識を明らかにし、共通の問題を、時間・場所を越えてともに議論させるような架け橋となった。
最後に、姜智恩氏(台湾大学国家発展研究所)(題目「韓日経学史と『古文』」)である。ウェーバーのいうように西洋近代学術の目標は先人の仕事を越えることであるが、東アジア経学史においてはそうではない。また、梁啓超は譚嗣同の学術が稚拙だとする一方、その懐疑精神や思想解放の勇気を称賛したが、東アジアの経学の価値はこのような点にあるのだろうか。経学の基本的性格は何よりも解釈学であり、中国経学史において何かを創造する際には「古」の伝統にのっとる必要がある。17世紀の韓国・日本では、許穆や荻生徂徠が「古文」を追求したが、彼らは無条件に「古」に追随したり、「古」の権威を借りて学術的権威すなわち朱子学に立ち向かったりしたわけでもない。なぜなら東アジア経学史はそもそも、「古」を根拠に、「古」義を追求するという発展過程を辿るからである。
本シンポジウムを通して気がつくのは、研究者それぞれが、研究対象とする思想家が見ていた風景と、できるだけ同じ風景を見ようとしている、ということである。そして、思想家の説の新しさだけを評価するのではなく、例えば太極図をどう解釈するのか、模範とすべき統治者とはどのような存在なのか、あるいは正しい「経」とは何か等の問いに対し、彼ら自身が設定した学問の枠組みの中で、どのようにして自分の理論の説得力を高めようとしていたのか、その試みそのものに注目した上で、彼らの学術が東アジア思想の中でどのように位置付けられるかに注目している。報告者のみるところ、朱子学は、「古」「道」「経」という概念が普遍的であると信じる者たちにとって、それを明らかにするための手段のひとつでしかない。ただし朱子学は、この手段として、東アジア思想史の中で非常に豊富で有機的な役割を果たし、後の学者たちに影響を与え続けた存在であったのは間違いないだろう。
報告:田中有紀(東洋文化研究所准教授)