2024年11月29日、Zhong Yurou先生の著書 Chinese Grammatology: Script Revolution and Literary Modernity, 1916–1958 (Columbia University Press, 2019)、およびその中国語版、钟雨柔《汉字革命:中国语文现代性的起源(1916-1958)》(三联书店,2024)をめぐる書評会をオンラインで開催した。
鍾雨柔先生の著書は、20世紀中国の文字改革運動について、音声と文字の関係などに注目しながら、歴史的変動の中において再検討した最新の研究成果である。理論的な視野をふまえつつ、多数の具体的な事例を論じることで、理論と実践の両面から中国の文字改革運動を論じた。具体的事例としては、第一次世界大戦中の中国人労働者たちのあいだの識字運動、50年代にピンイン方案が作成されるまでの詳細な歴史過程などがあげられる。他方で理論的な問題としては、西洋言語について語られる音声中心主義の思想が、中国近代に避けがたく浸透していることを踏まえつつ、中国の文字改革運動において、音声中心主義が西洋とは異なる形で考えられることを論じた。西洋と中国のあいだの理論的な対話と言うことができるだろう。
中国語版が出版されたことを受けて、本書をめぐって、2024年に中国で多くの会議が開かれた。私たちの書評会も、中国における盛んな議論を踏まえたものである。ただそれに対して、今回の書評会では、東アジアの視点を強調することを目指した。というのも、言うまでもないことながら、近代的な「国語」の創出にあたって「漢字」をどのように扱うかは、中国だけの経験ではなく、東アジアの漢字文化圏の諸国、たとえば日本、朝鮮半島、ベトナムなどが、それぞれの文脈において向き合わなければならない課題だったからである。本書の豊かな学術的成果を前提にしつつ、東アジアの問題へと開くことで、新しい研究の方向性を探ろうと試みた。
それが可能になったのは、いうまでもなく、本書に今後の研究につながる可能性が示されているからである。本書の議論を広げるべく、今回の書評会では、通常の講演会とは異なる形式をとり、先に書評者の報告をすることとした。三名の書評者を招いた。一人目は、東アジアの漢字文化圏の思想を広い視野から論じるマカオ大学の林少陽氏、二人目は、ベトナム近代の国語運動を研究している東京大学の岩月純一氏、三人目は東京大学において中国近代国語運動についての博士論文を書いた中央大学の陳希氏であった。三名の書評のあと、著者の鍾雨柔氏に十分な時間をとって応答をしてもらった。そのあとに全体に開くことで学術的な対話を実現させた。なお司会は東京大学の鈴木将久がつとめた。
三名の評者の報告はいずれも力のこもったものであった。別の機会に論文にしてもらえたらと考えている。以下ではごく簡単に議論の焦点を紹介したい。林少陽氏は本書が近代中国の文字の運動を文字改革ではなく、文字革命としたことに着目し、言語のモダニティに対する根底的な批判を読み取った。林少陽氏は以前から中国の白話運動を批判的にとらえる思考を展開してきたが、文字の変革を「革命」ととらえる視点は、白話中心主義を脱構築することに通じるという。岩月純一氏はベトナム近代の歴史的経験を紹介し、ラテン化を提唱することが、ベトナム知識人にとって民族主義と脱植民地の追求となったことを論じた。そこから音声中心主義と文字をめぐる中国とは異なる関係を読み取り、本書の視点をより複雑で豊かなものにする可能性を考えた。陳希氏は日本における中国の文字をめぐる研究史を紹介した。海外では良く知られていないが、じつは日本では戦後直後から最近までユニークな研究があった。それを紹介した上で、陳希氏は漢字の「表語文字」としての性格を提起した。これもまた、漢字を表音文字と表意文字の二項対立から解放し、別の思考を生み出そうとする試みであった。
以上のコメントをうけて、鍾雨柔氏による応答がなされた。鍾氏の応答も多彩なものであり、ここですべてを紹介することはできないが、個々の評者の中心的な問題に対する学術的誠実さに満ちた応答をした。ここで一つだけ紹介したいのは、今回の書評会で焦点となった音声中心主義についての応答である。鍾雨柔氏は、音声中心主義で考えたいのは、言語に対するモダニティの暴力の問題であると明確に述べた。音声中心主義とはいわば疫病のようなもので、何ものもそこから逃れることはできない暴力であるという。その上で、本書では、音声中心主義という疫病に対する中国の経験を論じ、近代中国の文字運動に内包される「革命性」を明らかにしようとしたという。鍾氏の応答は、評者のコメントを正面から受けとめ、東アジアの問題として文字と近代の問題を問い直しながら、理論的に更に深めるものであったと言えるだろう。それを受けてフロアからも理論的な問題が提起され、本書を契機として思考を深めるという書評会の目的を、当初の見通しをはるかに超えるレベルで実現した。
最後になるが、トロントから時差を超えてオンライン参加して、誠実な応答をすることで、書評会を豊かなものにしてくれた鍾雨柔氏に深く礼を述べたい。
報告者:鈴木将久(東京大学大学院人文社会系研究科教授)