私が最初に鈴木博之の『東京の地霊』(1990年、2009年文庫化)を読んだのはいつのことであったか、もはや正確に思い出すことはできない。しかし、そのときの読後感はかなりはっきりと覚えている。建築史界の大御所たる鈴木先生が、とうとう自分の世界に入り込んでしまった。それがそのときの率直な印象であった。
地霊とは、genius-loci(ゲニウス・ロキ)というラテン語に当てられた訳語であり、鈴木は差し当たりこれを「土地から引き出される霊感」「土地に結びついた連想性」「土地がもつ可能性」と定義している。『東京の地霊』は、六本木、目黒、本郷といった東京を構成する13のまちにおけるいわば地霊エピソード集のようなものである。同書を通じて鈴木が私たちに伝えたかったことは、結局のところ一体何だったのか。私なりの解釈を講義要項に記しておいたので、ここに引用してみたいと思う。
都市を構成する街および特定の土地には、社会的に共有された場の記憶やアイデンティティのようなものが宿っている。それらは、しばしば土地の建築的利用や開発の方針に影響を与える。建築史家の鈴木博之は、近代主義では捉えきれない場所に力を与える歴史的文脈性を地霊(ゲニウス・ロキ)と呼んだ。
いまとなってはこのような要約を示せるほど冷静に『東京の地霊』と向き合うことができているが、はじめて同書を読んだときは、違和感ばかりが私の頭の中を支配していた。同書における鈴木の語り口は——おそらく彼が地霊に接近するために採った特別なレトリックなのであろうが——どちらかといえばジャーナリスティクで、言い伝えや、さもなくば週刊誌的な世間話を聞かされているような感覚に陥る。さらに、『東京の地霊』が焦点を当てているのは実のところ大半が近現代史であるにもかかわらず、まるで土地が人に何かを訴えてかけているかのような記述すら見られ、英国建築史の大家である鈴木が日本ですっかり霊的な世界にハマってしまったようにさえ感じる。
よりによって「霊」って、なぜ?
巻末に付されている建築史家の藤森照信による解説は、そう思っているのは決して私一人——ひいては一人一人の読者——だけではないことを暗に訴えかけている。藤森は指摘する。
私のように、はまるべき場を東京に持たない者は、なるほどそういう視点からの東京の論じ方があったのか、と感心するのだが、しかし、それを地霊とまで言われると、“土地の記憶”くらいにしてほしい、と思ってしまう。
この藤森による『東京の地霊』解説は、同氏の数多ある作品の中でも傑作の1つではないかと内心思っている。実際、土地の記憶というキーワードが、私に再び『東京の地霊』へと向かわせる上での足がかりとなった。そして最近、たとえ比喩的であったとしても、どうも地霊というコンセプトを用いないことには説明できないようなことが各所で起こっていて、それらが幾分世の中を騒がせているような感じがしていた。その1つは、目下進行中の明治神宮外苑地区の再開発を巡るゴタゴタである。この混乱は、私に同じく神宮外苑の新国立競技場案選定を巡る約10年前のゴタゴタを思い出させた。それゆえに、私の講義では明治神宮の歴史を取り上げることにした。
コンセプトとしての地霊には、優れた点がある。それは、私たちを短絡的に「誰が正しい、誰が正しくない」「誰が悪い、誰が悪くない」といった発想には導かない。ある土地というのは、論争の発生源になるようなこともあれば、そこで展開される出来事が私たちに何か運命的なものを感じさせるようなこともある。鈴木の『東京の地霊』は、それらを偶発的なものとはみなさず、それらの中にある種の必然性、あるいは歴史性を見出そうとしている。
鈴木の目には、人、地形、自然、人造環境、出来事、記憶、イメージなどが相互に作用し合って、その土地を巡る意思決定に影響を与える目に見えない何かが形成されているように映っている。まるで大河の一滴のように、そのプロセスが無数に寄り集まって、時として互いに影響を与え合いながら、1つの都市が形成される。コンセプトとしての地霊は、一見いまを生きる私たちとは無関係に見えるある土地を巡る来歴が、私たちにいかに都市を生きさせ、都市と関わりを持たせているかという点に私たちの目を向けさせてくれる。
色々なところで波が起こっている。波を起こしているのは、人間かもしれないし、人間ではないかもしれない。それらが干渉し合って、大波がおこる。大波、すなわちまちや都市をかたちづくっているものは、時空を超えた無数の他者(性)なのである。このような一人一人の主体性の外側にありながらも、いまを生きる私たちに陰ながら影響を与えている何者かに、鈴木は超自然的な印象を感じ取って、差し当たり地霊と言ってみたのではないか。単にそう言ってみたかっただけかもしれないが。
この無数の他者(性)の歴史を紐解くことが、一面において群集心理の根源やその醸成プロセスの描写を伴う作業であるとするならば、『東京の地霊』の背後に横たわっているものは、偏に近代とは何かという問いに他ならない。それは、建築史家としての鈴木が生涯にわたり取り組んだ根源的な問いであったように思われる。そして、ここにコンセプトとしての地霊のややこしさがある。地霊という言葉の語感が持つ前近代的な印象とは裏腹に、『東京の地霊』の主たる関心は江戸にあるのではなく、あくまで近代都市としての東京の形成に陰ながら影響を与えている土地の記憶や無数の他者(性)にある。
私がアプローチしてみたいのは、いまの東京の地霊である。いまの東京から見える地霊と言ってもよいかもしれない。『東京の地霊』の初版から大凡35年が経過し、各々のまちが有する土地の記憶もまた厚みを増しているはずだ。その間、東京の至るところ(例えば、新宿、渋谷、恵比寿、大崎、品川、六本木、丸の内、八重洲)で大規模な再開発が行われた。グローバリズム、エスニック・コミュニティ、ひいてはデジタル時代におけるメディアといった話題は、『東京の地霊』では必ずしも扱われていない。いまの東京の地霊は、『東京の地霊』以上の多角的な視点を持たずして、到底理解され得ない。
誰か特定の人がつくったわけでもない都市は、いかに、どんな作用が働いてつくられていくのか?人々は何に共感し、どこに自分を重ね合わせ、いかに都市を生きているのか?その結果として、都市はいかに集合的につくられているのか?コンセプト、あるいは方法論としての地霊は、何らかの争いや問題を殊更焦点化する技術ではなく、意外にも私たちにそれらの問いに答えていくための俯瞰的な視野を提供してくれる。そして、日々躍動し、変化し続ける東京は、地霊探しに最も相応しいフィールドの1つであるように思われる。
学生さんの中には、こうやって地霊、地霊と言っている私のことを、胡散臭い、自分の世界に入り込んでいると感じている方がいらっしゃるのではないだろうか。少なくとも、学生時代の私であればそう感じたに違いない。だから、胡散臭いと思われているかもしれない自分自身を、残念ながら否定することはできないのである。
報告・写真:野澤俊太郎(EAA特任准教授)