2024年7月2日(火)、東京大学八重洲アカデミックコモンズにて、EAAトークシリーズ「空気のデザイン—共に変容する」の第3回セッションが開催された。同トークシリーズは、サステナブルな未来の空気をデザインすることによってもたらされる社会並びに人間の心身の変容について、様々な業界・分野の実務者と研究者が一緒になって考える機会を創出することが意図されている。
第3回セッション「地域を共有する—空気・風土そしてエネルギー」では、エネルギーシステムの研究者である株式会社日立製作所の吉本尚起氏と文学研究者として翻訳などの研究をされている国際日本文化研究センターの片岡真伊氏をお招きした。
日立東大ラボの副ラボ長である吉本氏は、2017年より脱炭素化に向けたエネルギーシステムに係る様々な産学連携プロジェクトに取り組まれている。同ラボ設立以前から有機系太陽電池や太陽光発電に係る研究開発に従事されるなど、長年エネルギーシステムに係るプロジェクトに携わられている。
本セッションでは、まず吉本氏より、日立東大ラボの主な研究領域のうち、とりわけ日本における都市計画とカーボンニュートラルの共存シナリオに係るいくつかのプロジェクトについて概説を頂いた。「地域の空気」というキーワードが掲げられた吉本氏のご講演の背後には、大きく2つの前提が横たわっていたと理解することができる。
1つは、カーボンニュートラル達成に向けて、今後電源構成においてより一層の割合を占めることになる自然エネルギー電力の使われ方に係る前提である。火力発電や原子力発電といったいわゆるベースロード電源とは異なり、太陽光発電や風力発電等の発電量は日照や風況といった自然条件に左右される。日立東大ラボのプロジェクトでは、このような変動性を持った再生可能エネルギー電力が消費される理想的な場所として、理論上再生可能エネルギー電力がつくられる地域およびその周辺が想定されている。詰まるところ、電気の地産地消が念頭に置かれている。
吉本氏のご講演に通底するもう1つの前提は、この点と密接に関係している。それは、自然エネルギー電力が有する供給上の変動性がローカルな自然条件に由来するのと同様に、電力需要特性もまた当該地域の地形、土地利用、モビリティー特性等の地域性に由来しているという観点である。本セッションでは、地域の電力需要特性を生み出す環境的、社会的、経済的、文化的条件の総体を言い表すための表現として差し当たり「風土」という言葉が用いられた。
自然エネルギーの拡大というグローバルな政策目標は、いかに地域の文脈に落とし込まれ、ボトムアップのかたちで達成され得るのか?吉本氏は、よりミクロなレベルにおける広い意味でのエネルギー利用の地域性のようなものを把握し、地域の人々が自然エネルギー電力の利用を自分事として何の抵抗もなく受け入れられるような道筋を付ける必要があるとの見解を示された。
続く片岡氏による応答的なプレゼンテーションは、同氏の学術的関心である地霊(ゲネウス・ロキ)の概念に基づき、場所の持つ記憶や経験がいかに日本の近現代文学において描写され、海外出版のために翻訳されてきたかを詳らかにした。
片岡氏によれば、例えば谷崎潤一郎の作品における場所性の表現は、それらのニュアンスが外国語に翻訳されることを困難にしている。なぜなら、谷崎のレトリックは、読者が「丸の内」「麻布」「大森」などの地名からそれらの場所の情景に思いを巡らせることを暗黙のうちに期待しているからである。換言すれば、場所性の理解や解釈が読み手に委ねられている。
他方、村上春樹の作品では、例えば短編小説『螢』(1983/1984)の一節に「たまたま四ツ谷駅だった」とあるように、文脈の中で場所性の持つニュアンスが薄められ、「たまたま四ツ谷駅」という匿名化された空間における情景描写が物語を作り上げている。柳美里『JR上野駅公園口』(2014)は、上野駅公園口という特定の場所それ自体を前面に押し出しつつ、上野駅公園口を人間ドラマが展開されるある種のステージとして描き出している。それは、読者に上野駅公園口という土地の記憶の追体験を可能にしている。村上や柳がこのようなレトリックに意識的であるかどうかは定かではないにせよ、両氏の作品が外国語に翻訳され、世界中の読者から共感を得ている理由の1つとして、作品の中で描かれる場所性が表現上開かれているからではないかと片岡氏は指摘する。
いかに場所性を開くことができるのか?
抽象的な問いであったとはいえ、この問いは異業種・異分野の研究者による対談を幾分活性化したように思われる。吉本氏と片岡氏の対談および質疑応答における議論は、地域における自然エネルギー電力の受容並びにローカライゼーションという観点において以下2つの論点を浮かび上がらせたと言うことができる。
1つは、ある地域における新しいエネルギーシステムの導入や他の地域への成功事例の応用を可能にするのは、究極的には新しいシステムへの共感ではないか、という点である。人々が何に共感し、あるいはどのような変化を許容し得るかは、人々がいかなる場所性を紡ぎ出しながら暮らしているかということとおそらくは関係している。ゆえに、エネルギーシステムを巡る場所性や実態をつぶさに観察した上で、それらを可能な限り可視化したり、記述したり、物語ったりすることが求められている。それは、人々に自らの暮らしを取り巻くエネルギーの再発見を許すことになる。もし、暮らしにおけるエネルギーの利用実態と新しいエネルギーシステムの間に大きな飛躍がないようであれば、一般の人々や地域の意思決定者は、新しいシステムを自分事と結びつけて考えることができるであろう。
さらに、ある地域の成功事例に見られる特徴が可視化され、物語られ、開かれていれば、それらは実感として似たような特徴を有する他の地域においても共感され得る。「地域の空気」をデザインするとは、俯瞰的かつ分野横断的な視点から、エネルギーのみならず、様々なインフラを巡る場所性を量的かつ空間的に可視化し、あるいは(おそらくは民族誌的に)記述し、物語ることからはじまるのではないだろうか。
本セッションにおいて導出されたもう1つの論点は、誰が「地域の空気」をデザインするのか、という点である。これまで何の定義も与えずに漠然と「地域」という言葉を使ってきたが、ここで言う「地域」は必ずしも行政区域と一致するとは限らず、何に着目するかによって「地域」のスケール自体もまた変わってくる。要するに、「地域の空気」をデザインする上での旗振り役がいまのところ見えていない。(日本では、暗黙のうちにインフラ企業さんやメーカーさんにお任せという状況になってしまっていると言えるかもしれない。)
加えて、「地域」にもスケールがあるように、個人でできること、住民組織が対応すること、自治体や企業がやるべきこと、といったような階層性を解きほぐしていく必要がある。詰まるところ、「地域の空気」をデザインする人材育成およびコラボレーションの創生が大きな課題として存在している。
大学、あるいは産学連携は、いかにしてこのような課題に応えることができるであろうか?「空気のデザイン—共に変容する」を通じて、人文科学の観点からこの問いについて考えていきたい。
本セッションに臨むにあたり、ブースター内蔵のUSB Type-A延長ケーブルを拝借したいと18号館共通技術室の木村嘉陽氏と青山恵氏に願い出たところ、結果として「リクエスト」するかたちになってしまったようで、我々のためにわざわざ購入して頂いた。本セッションでは、過去2回とは異なるハイブリッド配信の方法を採用したため、EAAスタッフの高山将敬氏には開催前から入念にご準備頂き、本番でも臨機応変にご対応頂いた。前回セッションから、EAA学術専門職員の伊野恭子氏に本番中の音声レコーディングをお願いしている。皆様のご協力に心より感謝申し上げる。
報告:野澤俊太郎(EAA特任准教授)
写真:豊嶋駿介(EAAスタッフ)