ブログ
2020.12.21

12/11-12/18 教養学部・全学自由研究ゼミ「人文-社会科学のアカデミックフィールドを体験する」セッション5

12/11(金)と12/18(金)にかけて、全学自由研究ゼミ「人文−社会科学のアカデミックフィールドを体験する」の第5セッションが開講された(参考:4セッションの報告)。

今回のセッションは「バイナショナリズム bi-nation-ism——アーレント思想から見る「共生」の論理」というテーマで、二井彬緒氏(総合文化研究科博士課程、EAAリサーチ・アシスタント)が担当した。二井氏は自身の研究において、ハンナ・アーレント(19061975)の思想、とりわけ、彼女が提唱した「バイナショナリズム」という概念に焦点を当てて読解を行なっている。

ハンナ・アーレント(1906-1975) 画像は以下より転載(パブリック・ドメイン):https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンナ・アーレント

Week1の講義では、『全体主義の起源』(1951)、『人間の条件』(1958)、『エルサレムのアイヒマン』(1963)といった代表的著作を手がかりとして、アーレントにおける「共生」の論理について議論が展開された。この中で二井氏は、アーレントの提唱した三つの概念「labor(労働)」「work(仕事)」「act(活動)」の内容を紹介しつつ、これらの概念が創出された背景には、「ショア(Shoah)」、すなわちナチス政権下におけるユダヤ人の大量虐殺という事実があることが強調された(アーレント自身、「ユダヤ人」にルーツを持っている)。上記の三つの概念のうち、アーレントが最も重視するのは「act(活動)」である。なぜなら「act(活動)」には、公的領域、そして自らと異なる存在である「他者」が必要とされるからである。これは、「他者」を排除・抹殺し、一切を平準化・同一化しようと試みるファシズムへの痛烈な批判である。今現在、アーレントのテクストを再読する際、そこには限界(例えば「公共」空間を強調するあまり、そこに参与できない人々を排除してしまう危険性が伴う、等々)がつきまとうことも事実であるが、一方で、アーレントにとっての切迫性を意識しながら読解を行うことの重要性を、二井氏は指摘した。

また、二井氏は、アーレントの「共生」の論理を窺い知るための具体的な切り口として、「バイナショナリズム」という概念を紹介した。この概念は、端的に言えばイスラエル・ユダヤ人とパレスチナ・アラブ人の共生・共存を目指すものである。「ショア(Shoah)」という迫害経験を経て、自らの安住の地を創出するために建国された「ユダヤ人」国家イスラエルと、イスラエルが建国された地にもともと居住していた「パレスチナ人」の共生はいかにして可能か。二井氏は、「バイナショナリズム」とは、「二つのナショナリズム」という意味として解釈すべきではない、と強調する。なぜなら、アーレントが重要視しているのは「イスラエル(あるいはユダヤ)」と「パレスチナ」という「二つのネイション(nation)」を議論の大前提とする態度だからである。二井氏はこれを「bi-nation-ism」と表現した。

Week2のディスカッションでは、Week1の講義を受けて、次のような根源的な問いが複数提起された。「共生」の思想は、「共生」を拒否する人をどのように扱うべきか?「人は差異を持って生まれてくる点で平等である」ことを強調したアーレントの「共生」思想と、ユダヤ人の大量虐殺に関与したアイヒマンに死刑を求めたアーレントの立場を、どのように解釈すべきか?アーレントの言う「公共」空間は、コロナ禍において普及したオンラインという空間において実現し得るものであるか?SNSを通して触れ合う世界——各人の嗜好に沿った情報ばかりがアルゴリズムによって自動的に表示される世界——は、果たして「公共」空間に接続可能なのか?もしそうでないならば、現在、アーレントがいうような「act(活動)」が可能となるような空間は、どのように創出し得るのか?

ほかにも、アーレントの議論を、(時間的にも空間的にも)遠く離れた場所において論じられたものとしてではなく、いま・ここにおいて生起している状況を、そこに連なるものとして思考することの重要性が指摘された。

オンライン授業の難しさを実感しつつも、同時に、オンライン空間を「公的」なものとして機能させる可能性を、参加者皆で創出する貴重なひとときとなった。

報告者:崎濱紗奈(EAA特任研究員)