2025年3月15日(土)10時より18時まで、新ブルガリア大学ボグダン・ボグダノフ教授図書館講堂にて、国際会議「創造、世界:さまざまな終焉、はじまり(Creation, the World: Ends, Beginnings)」が開催された。本イベントは、新ブルガリア大学のボヤン・マンチェフ氏、ソフィア大学のダリン・テネフ氏、東京都立大学の西山雄二氏、東京大学の星野太氏の4名によって企画・準備されたものである。主催は新ブルガリア大学であり、共催には東京大学、東京都立大学、そして新ブルガリア大学-ソフィア大学間のソフィア存在論セミナーが名を連ねた。
UTCPで小林康夫氏のイニシアティヴによって2013年秋にソフィア訪問が行われて以来、断続的にソフィアあるいは東京にて、二国間の学術交流はつづいていたが、複数人が参加する共同企画は、COVID-19を挟んで6年ぶりのことである。開会の言葉では企画者4人のそれぞれから、交流再会の喜びと、今後に向けた言葉が語られた。
午前の部のモデレイターは、マンチェフ氏がつとめた。最初の発表者である西山氏は「嘘をつくことの創造的かつ邪悪な力:虚偽の哲学と政治(The Creative and Sinister Power of Lying: The Philosophy and Politics of Falsehood)」と題し、3.11後に発表された斉藤和義の歌「ずっと嘘だった:被災者への鎮魂歌」からはじめ、古来、存在している政治的な嘘がどのようなものであるのか、デリダ、モンテーニュ、アウスグティヌスといった哲学史における系譜をたどった上で、この時代に人間の信頼をどのように取り戻しうるのか、民主主義における秘密と開示の適切なバランスはいかなるものか、虚偽とアーカイブの関係から未来をどう創り出しうるのか、まさに現在の世界と響き合う問題系を提出した。
つづいて、髙山は「複数の未来への熱望、あるいはカオスと侵犯の肯定(Aspiration towards Futures, or the Affirmation of Chaos and Transgression)」と題して、ランシエールがチェーホフ読解から抽出する隷属のシステムを念頭に、不変からの脱出の契機をより具体的に考えるために、ブランショやクレマンス・ラムヌー、そしてドゥルーズの「カオス」概念をもとに、既存のシステムや秩序への従属とは異なるありようをどのように追求できるか、陰謀論あるいは真理追求とはいささか異なる「物語」の可能性について、問題提起した。
お昼休憩のあと、午後の部のモデレイターはテネフ氏がつとめた。三番目の発表者である山根佑斗氏(総合文化研究科修士課程)は「ジャン゠リュック・ナンシーと共にあることの演劇的存在論(Jean-Luc Nancy and the Spectacular Ontology of Being-With)」と題し、ナンシーの「スペクタクル」概念に光を当てた。ラクー゠ラバルトとの共著『舞台』において、テクストの朗唱のみで「原-劇場(演劇)」が成立するとするラクーに対して、ナンシーが観客という他者が最小限に必要となる主張をしていた点を踏まえて、『コルプス』を丁寧に再読し、接触を論じるナンシーにおける視覚的要素が彼の存在論に少なからず果たしている役割を再考することをうながした。
最後、星野氏は「メンテナンス中:修復的人文学への導入(Under Maintenance: An Introduction to Restorative Humanities)」と題し、ごく最近着想を得たという、人文学の「メンテナンス」の必要性を語った。アートにおける「創造(creation)」が産業化し、搾取構造を生み出している現況を学問のそれと照らしあわせ、道路のように生活基盤となるインフラ整備のような、具体的な「技術」の継承と刷新が求められているのではないかと提示した。家事のような目立たない日々の手仕事の含意がある点で、いわゆる「保守管理」とはいくらかニュアンスが異なる実践の次元の必要性が批判的に検討された。
それぞれの発表には、ディミタール・ヴァツォフ氏(新ブルガリア大学)、テネフ氏、エンヨ・ストヤノフ氏(ソフィア大学)、マンチェフ氏がディスカッサントとして応答し、会場からの質問もまた途切れなかった。嘘そのものをめぐる政治状況に必ず寄与している再帰性や環境の問題、イデオロギーの力。カオスを肯定することの危険性とおおもとのヘシオドスからの大幅な逸脱、共立しえないものの共存、1930年代と五月革命の影響。表象不可能性をめぐる議論を経てなおもナンシーの視覚性を考慮する意義。新たな人間の条件の真摯な再考の必要性、ケアの倫理による搾取やセラピー的役割を回避する方法。どの発表に対しても、形式的ではない、実直な言葉が紡がれた。とりわけ総合討論の時間において、マンチェフ氏が「スロー・カタストロフ」とパラフレーズした日常の惨状をめぐる星野氏の危機意識について、聴衆の若い人々から、具体的な解決法をめぐって、いくつもの質問が挙がったのが印象的だった。
発表者が複数いる場合、往々にして、発表時間もコメンテイターとのやりとりの時間も制限されることが多いが、今回はひとりあたり質疑応答込みで1時間が確保されるという極めて贅沢なプログラムであった。それでも時間が足りないくらい、お互いが、異和を抱えながらも、それを楽しんで、応酬する醍醐味があったように思う。個々人のテーマは確かに重なりあいながらも多岐に亘り、なおかつ射程の大きなものであったので、もしつぎがあるならば、数日かけて、言葉を尽くし、思考をいっそう前進させるポテンシャルがあることもまた、はっきり示されたのではないだろうか。そして次回はぜひともソフィア側の参加者の今日的な問題意識をもっと聞きたいと強く感じた。
相対的には、小規模の部類に入るのだろうが、大学、学部の垣根を越えて、さらには役職を越えて、多くの方々のご助力の賜物があって、奇跡的に、しかし堅実に実現した、未来につながるプログラムであった。参加いただいたすべての方々、このたびの企画のためにご尽力くださったすべての方々に感謝したい。
報告:髙山花子(EAA特任講師)
写真:スティリヤン・ムルジェフ、髙山花子

