2025年1月11日(土)に、第40回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式で開催した。今回は、土屋太祐氏の近刊『法眼:唐代禅宗の変容と終焉』(臨川書店、2024年)に対する書評会が行われた。当日の参加者は、対面で11名、オンラインで13名であった。
書評会は小林遼太郎氏(東京大学博士課程)が事前に資料を作成して同書全体に対するコメント・質問を行い、著者の土屋氏が応答、そのうえで他の参加者も交えて議論が為された。
書名になっている法眼とは、唐末から五代十国期にかけて活躍した禅僧法眼文益(885-958)のことである。唐末五代は中国社会が大きく変化する動乱期であり、戦火と破仏により仏教諸宗が打撃を被り衰退するなか、唐代に勃興した禅宗のみが独り勢力を拡大し、宋代になると中国仏教界を席巻するにいたった。当時、南方の閩国で最大の教団を築いたのが雪峰義玄(822-908)であり、法眼はその法曽孫に当たる。彼は隣国の南唐において国王から尊重され、その門流は更に隣国の呉越において隆盛を極め、つづく宋代禅宗の礎になるとともに後に「法眼宗」と称されたことから、法眼の重要性は夙に認識されていた。しかしながら禅思想そのものの難解さに加え、資料的な制約もあり、彼の禅宗思想史上に占める位置については長らく不明であった。
それに対し土屋氏の『法眼』は、当時の資料やこれまでの研究を丹念に踏まえながら、雪峰から法眼を経てその弟子たちに至るまでの思想的な流れを分析する。その重要性について評者の小林氏は「唐代禅研究と宋代禅研究の間のミッシングリンクを埋めるもの」と端的に指摘したうえで、同書を構成する全4章についてそれぞれ的確に要約しながら、独自に関連の資料を参照しつつ、コメントと質問を加えた。たとえば土屋氏は同書において、法眼の思想に華厳教由来の要素が見えることを指摘しているが、それは南唐国において華厳が重視されたことと関連するのか。五代十国から宋代への展開を考えるうえで、同書の思想史的観点に加え、人的交流や文献史の視点を導入することで解像度を高めることは可能かどうか、などである。これらの問いに対し土屋氏は資料的制約の問題に触れながら、現時点での見通しを示してくださった。
その後参加者より、資料的制約をいかに超えるのか、異なる立場・視点から編まれた複数の資料をどのように用いるべきなのか、思想史をどのように描きだすべきなのか等々さまざまな問いが投げかけられ、活発な議論が行われた。なお小林氏の書評は同日の議論を踏まえたうえで文章にまとめ、後日発表される予定である。
本講読会の主催者として、書評を担当してくれた小林氏、そのコメントに対し丁寧にお応えくださった土屋氏に心から感謝する。自身の専門・関心と必ずしも一致しない一冊の研究書全体について、その概略を過不足なくまとめるとともに、建設的なコメント・質問を加えることは、自身で新たな道を切り拓く論文執筆とは異なる難しさを伴うものである。小林氏は今回、そのような困難をものともせず充実した資料を準備してくれ、そのおかげで大変実りのある書評会となった。また小林氏のみならず参加者からも発せられた様々な質問に対し土屋氏は、それぞれ関連の資料や時代状況を紹介しつつ、執筆時の苦労や現在の課題なども交えながら、ひとつひとつ大変真摯にお答えくださった。
ややもすれば昨今、成果や効率ばかりが追い求められる嫌いがあるが、それではこぼれ落ちてしまうものが多く、学問は痩せ細っていく一方である。今回の書評会で議論された内容の多くは、すぐさま論文の形にまとまるようなものではなく、いわゆる業績に直結しないものであるが、虚心坦懐に文献に向き合い議論を重ねることこそが豊かな研究・人生に繋がっていくものと信じる。今回の書評会はそのことを改めて実感できる贅沢な場であった。
報告者:柳 幹康(東洋文化研究所)
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