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2025.01.09

【報告】「小国」論セミナー:小国←〈東北〉→大国:歴史性の剥奪から考える

 2024年1226日(木)、「小さな社会から構想する平和の可能性」の第二回セミナーが東京大学駒場キャンパスのEAAセミナー室で開催された。
 今回は山内明美氏(宮城教育大学)が「小国←〈東北〉→大国:歴史性の剥奪から考える」と題して講演を行い、伊達聖伸氏(東京大学)が司会を務めた。

(伊達氏)

 東北とは本来、方角を表し、青森から岩手、秋田、宮城、山形、福島までを含む地域一帯を指す言葉だが、本セミナーで、山内氏は「被害と加害が混在する場所」「自己植民地化する場所」として山括弧付きの〈東北〉という視角を提案する。この〈東北〉から、いかなる「小国」の普遍を見出すことができるのか。
 山内氏は「文字のない世界」を切り口に、東北で生まれた表現の歴史をたどる。無文字文化として知られるのはアイヌである。アイヌにはユーカラという伝統的な叙事詩がある。19年で生涯を閉じた知里幸恵は、音声のみで表現されるその世界を文字に落とし込む挑戦を一身に引き受け、アイヌの伝統文化に多大な影響をもたらした。
 江戸時代に青森の八戸で町医者をしていた安藤昌益は、このアイヌの文化に強い関心と深い理解を示していた。昌益は文字と権力の関係を鋭く批判し、言葉の構造を変えることで世の中の思考の変革ができると考えて『私制字書』を記した。また、当時の権威であった中国の医学に基づく体系を独自に捉えなおした。男女平等にまで及ぶその思想には、現代に通ずる先駆性を感じざるをえない。

(山内氏)

 無文字文化から「小国」の平和を考える手がかりは岩手県・平泉にもある。奥州藤原清衡は、300年にわたって戦乱の世が続いた地に浄土を作るため、平泉に中尊寺を建立させた。凄惨な戦が繰り広げられた時代、文字で残る記録は何も無い。中尊寺の中に設けられた鐘楼の鐘の音、そして東北各地に広がる経塚には、無数の命への鎮魂と平和への願いが込められた。
 他方で、陸奥には蝦夷の抵抗の力を分散させるため、東北から遠く九州や四国に彼らを強制移住させた歴史もある。史書はその「俘囚」たちのことをほとんど語らないが、手がかりを探す子孫の地道な取り組みがあり、現代まで残る差別の問題との関係を考える研究もある。

 文字の不在は文化の不在を意味するわけではない。司会の伊達氏は、それをなかったことにしてしまう力に抵抗するためには、歴史に埋もれていくものを拾う必要があり、その作業を丁寧に行うなかで、構造的な側面が現代にも繰り返されていることが見えてくると述べた。
 山内氏の講演は、文字によらない表現の世界から縦横無尽に手がかりを拾い集め、声なき人々の歴史を撚り合わせるようだった。講演後、フロアからはクィア研究、文学、中国研究など多様な分野からの発言が飛び交い、〈東北〉が持つ領域横断研究の可能性を垣間見ることができた。同時に、「小国」にも「大国」にもなりきらない〈東北〉から提起される普遍的問いの射程が確認されただろう。

報告:白尾安紗美(EAAリサーチアシスタント)
写真:郭馳洋(EAA特任助教)