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2024.10.28

【報告】第37回東アジア仏典講読会

2024年10月12日(土)に第37回東アジア仏典講読会をハイブリッド形式にて開催した。今回は佐久間祐惟氏(東京大学助教)と張超氏(PSL研究大学フランス高等研究実習院専任副研究員)が発表を行い、小川隆氏(駒澤大学教授)が後者の通訳を担当した。

佐久間氏が講読したのは、「正宗第二」の後半と「資度第三」である。「正宗第二」後半では、盤山宝積(馬祖の法嗣)、南泉普願(馬祖の法嗣)、上泉古(青原下第八世)、睦州(黄檗の法嗣)など、『禅林類聚』でも登場した禅僧らの言論が記録されている。それに対して「資度第三」は禅僧の事蹟を記録している。冒頭は今時の禅者による「六波羅蜜は教門の修行である。禅門は一心を行して六波羅蜜を用いない」という誤った理解を批判し、古徳の六波羅蜜に従事した者を参学者の規範として記すという。残りは次回以降で講読くださる予定である。

 

 

張氏はフランス語の専著Notes au fil du pinceau dans le bouddhisme Chan (XIIe-XIVe siècle)(中国禅門隨筆研究:十二至十四世紀)の第二章「禅林随筆の文体学的考察」を紹介くださった。禅門随筆を執筆したのは、文字の素養に秀で、南方とくに江南地区の名刹で上位の臨済僧(大半は大慧派)である。テキストは簡潔で短い行文と随意の配列を特徴とし、禅宗集団内外のさまざまな群衆に目が向けられる。そこには、強烈な護教・伝法の意識と「公論」保持の機能、そして仏教史書編纂の意欲が見出されるという。なお、張氏が検討対象とした随筆は「七部書」である。

 

 

以下、両氏の報告に対して、日本中世宗教史の視点から簡単なコメントを加える。

佐久間氏報告をめぐる討論のなかで一つ議論になったのは深沙神である。禅門の檀(布施)波羅蜜として挙げた洞山暁聡のエピソードにおいて登場した深沙神が、食べることができない胡餅を棒で打って、それが溶けたという。洞山暁聡が関わった禅寺では深沙神の像があるのだろうか。醍醐寺など日本の密教寺院で見られる深沙大将像(拙稿参照。「文安年間の東寺修造勧進と越前国の諸寺院―」『日本中世の地方社会と仏教寺院』吉川弘文館、2023年)は禅宗でどのように受用されたかが気になる。一方、張氏の報告を通して禅門随筆の特徴に関する総体的なイメージをつかめた。総体的という点は大きく評価されるのだろう。終章は各言語圏の先行研究における中国禅門随筆への評価との相違についてどう述べるか、さらに知りたく思った。

 

 

文責:黄霄龍(EAA特任研究員)