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2024.10.01

【報告】シンポジウム「駒場の教養を問う——30年後のよりよき世界へ」

 2024年9月20日(金)、EAAシンポジウム「駒場の教養を問う——30年後のよりよき世界へ」が対面(東京大学駒場キャンパス101号館EAAセミナー室)とオンラインのハイブリット形式で開かれた。駒場は旧制第一高等学校の伝統を受け継いでおり、今年は一高の前身となる東京英語学校の設立から150周年の記念の年である。本シンポジウムの趣旨は、日本の「教養」を先端で担いつづけてきた一高を受け継ぐ「駒場」において、日々研究と教育を行なっている多分野の教員が集まり、駒場の教養のありかたを広く語り合うというものである。

 石井剛氏(地域文化研究/中国語/EAA院長)の開会のことばにつづいて、第1セッションでは田村隆氏(超域文化科学/国文・漢文学)、張政遠氏(地域文化研究/中国語/EAA)が、第2セッションでは王欽氏(地域文化研究/中国語/EAA)、酒井邦嘉氏(相関基礎科学系/物理)、國分功一郎氏(超域文化科学/哲学/EAA)、第3セッションでは高橋英海氏(地域文化研究/英語)、四本裕子氏(生命環境科学/心理・教育学)、梶谷真司氏(超域文化科学/ドイツ語)が報告を行った。

 開会のことばの中で石井氏は、「東アジアからの新しいリベラルアーツ」というEAAの理念に触れるとともに、教養を無条件に肯定するのではなく、今後の教養を考えるために必要な問いが見つかるようなシンポジウムにしたいと述べた。


石井剛氏

 第1セッションでは、田村氏が、教養学部の前身である旧制高校時代から教養学部草創期にかけて、「教養」や「リベラルアーツ」という言葉がどのように使われてきたのかを整理し、教養という概念を歴史的な観点から報告した。続いて、張氏は「語りえぬもの」の語り方をテーマに、EAAで開催された石牟礼道子研究会にて、水俣市を訪れた際のことを紹介した。そして、教養とは知識だけではなく、現場で実際に見て得るものも含まれるのではないかと提起した。

   
左から:田村隆氏、張政遠氏

 第2セッションでは、まず王氏がレオ・シュトラウスの『リベラル教育とは何か』を引用しながら、古典を読むことについて論じた。EAAの教育理念には古今東西の古典を読むことがあげられているが、そもそも古典はなぜ読む必要があるのか、古典をどのように読むべきなのかについて再考した。続く報告では、酒井氏が、生成AIと人間の脳の比較という観点から報告を行った。生成AIは理解や思考をすることがなく、生成AIの行っていることは創造ではないという。これに対して、人間の脳にある創造力、またその創造力を引き出すための教育が、生成AIが普及しはじめた今よりいっそう重要になると述べた。最後に國分氏は、リベラルアーツの由来となる古代ギリシアの学びが、政治参加に必要な実践的な能力や知識の習得を指している一方で、現在の大学が行おうとしているリベラルアーツ教育は、むしろ古代ギリシアにおけるフィロソフィア(哲学)であり、ねじれが生じていることを指摘した。その上で、ハンナ・アーレントの哲学の起源としてのタウマツェイン(驚愕)に関する解釈を参考にしながら、実践知と学問知の関係について論じた。


左から:王欽氏、酒井邦嘉氏、國分功一郎氏

 第3セッションにおいて、高橋氏は、AI技術の発達に伴い、英語や語学教育の今後のあり方について論じた。AIの活用により、英語や語学の実用的需要が低下し、英語を必須科目から外す大学も出てきているそうである。しかし、高橋氏は、英語や語学教育が不要だと考える人は、実用性だけを重視しているのではないかと指摘している。従来の高等教育では、ラテン語や漢文など母語以外の語学を学ぶことで学問をきわめることであった。そして語学教育は、複数言語の使用による多元的思考回路の形成、論理的思考の涵養、他者理解・共感力の増長を目指している。高橋氏は古典語への回帰も望んでいるようであり、さらに、英語だけが重視されている現状や、世界の人口変動を考えると、今後の語学を含む教養教育がアジアやアフリカに目を向けるべきだと高橋氏は主張した。

 四本氏は、シンポジウムにおける女性登壇者の不足を指摘した後、脳とヒトの多次元性について発表した。従来、「色盲」と呼ばれる色知覚は「異常」「疾患」「例外」とされていたが、実際には眼球内に長波長、中波長、短波長のそれぞれに反応する細胞があり、これらの細胞の反応の組み合わせによりヒトは色を知覚する。すなわち、個人によって異なる色が見えることがあり、色は客観的な事実であるため、異なる色を見ている人が異常というわけではない。

 梶谷氏はアカデミアの閉鎖性を指摘し、超学際と現場志向のアプローチを提言した。専門家以外にも情報を発信し、社会の様々な関係者と協同することが、その学問の成果としてもっと認められるべきだと述べた。こうした学問は、大学や研究所ではなく、問題や課題の現場で立ち上がるものだと梶谷氏は考えている。


左から:高橋英海氏、四本裕子氏、梶谷真司氏

 全体討論では、國分氏が英語のヘゲモニーに触れており、学問とは基本的に母語ではない言葉で行われていたという高橋氏の指摘に共感を示した。梶谷氏の現場志向に対しては、研究者が非学術的な人々に迷惑をかける現場の課題が指摘され、四本氏もマイノリティを教材化する現状を問題視した。これに対し梶谷氏は、調査対象に「恩返し」する意識の重要性を強調し、國分氏は調査対象とともに「戦う」姿勢で現場に入るべきだと述べた。

報告:新本果(EAAリサーチ・アシスタント)
銭俊華(EAAリサーチ・アシスタント)
写真:張政婷(EAA特任研究員)
郭馳洋( EAA特任助教 )