2024年9月6日(金)の午後、「小国論」セミナーが東京大学駒場キャンパスのEAAセミナー室で開催された。本セミナーは東京大学GSIプロジェクト「『小国』の経験から普遍を問いなおす」をさらに発展させたものとして、東アジア藝文書院の主催で、上廣倫理財団の支援を得て実現した。今回は伊達聖伸氏(東京大学)が司会を務め、宇根豊氏(百姓・思想家・元農と自然の研究所代表理事)を講師に迎え、「新しい農本主義のまなざし」と題する講演がなされた。
伊達氏
これまで『愛国心と愛郷心:新しい農本主義の可能性』(農山漁村文化協会、2015年)や『農本主義のすすめ』(筑摩書房、2016年)で農本主義の可能性を論じてきた宇根氏は、愛国心(ナショナリズム)と愛郷心(パトリオティズム)を峻別し、後者の視点から「農」というものを捉え直している。氏によれば、ナショナリズムのもとで、農業は国家にとって国民のために食料を生産・提供する産業と位置づけられ、つねに食料自給率といった近代国民国家的な尺度によって測られている。しかし本来ならば「農」業は近代的産業よりもむしろ生業であり、天地自然とのつながりを保ち、その生成変化に参入するための技芸である。その意味で、「農」は資本主義と根本的に合わず、近代化・産業化しきれない世界を代表しているのである。
宇根氏
こうした「農」の原理が、「小国」という言葉で再把握され、百姓の本拠地はナショナリズムではなく「小国」なのだと述べられた。そこでは自給自足の生活に基づいたパトリオティズムが、人間中心的なエゴイズムに呑み込まれず、人間以外の生き物のために田植えするという光景が広がっている。つまり宇根氏からすれば、「小国」とは近代人の尺度に囚われず、身体性を大切にし「忘我」の境地に達するような生のあり方である。それをいかに普遍化していくかは一つ重要な課題となっているという。
質疑応答では、女性と家父長制の問題、歴史修正主義との線引き、都会人との関わり方、交換と貨幣に関わる「外部」の問題、「小国」の範囲、特定の土地を超えたパトリオティズムの可能性など、様々な角度から質問が寄せられ、宇根氏と参加者の間で熱い議論が交わされた。
今回のセミナーでは、通常の国際政治論・地政学的な視座と異なる、ある種の生活様式・思想・心情としての「小国」が近代国民国家のオルタナティブとして提示されたように思える。「大国」と「小国」、愛国心と愛郷心、国家・資本の尺度と天地自然のリズムといった複数の対立軸が交錯するなか、「小国」の普遍性がどのように構想されていくか、今後の展開に期待したい。
報告・写真:郭馳洋(EAA特任助教)