ブログ
2024.07.03

【報告】2024 Sセメスター 第11回学術フロンティア講義

2024年628日、金曜日の恒例となっているEAA主催の学術フロンティア講義「30年後の世界へ――ポスト2050を希望に変える」が、駒場キャンパス18号館ホールで開催された。第11回は藤原辰史氏(京都大学)が「分解の哲学——「食べる惑星」の脱領域的研究」と題した講義を行った。

藤原氏は歴史学を専門としているが、自然科学や社会科学の知を独自に融合させながら農業や食の歴史を研究してきた。「分解の哲学」は、そのような学術的取り組みから提案されるものだ。

大量生産、大量消費に加えて大量廃棄の時代にある地球は今、人間活動が作り出したプラスチックや放射性物質、農薬など、分解されないもので溢れている。その結果、土や海など、自然界で分解を担う環境の破壊をもたらした。私たちの見えないところで行われる「分解」とは、生態学の用語であり、自然界の循環に欠かせない、生命を維持する過程である。生物としての人間は、この循環を今一度考えなおす必要があると藤原氏は指摘する。

生態学は自然界を生産者、消費者、分解者に分類し、人間は消費者に位置づけられていたが、藤原氏によれば人間は分解者でもある。それは人間が腸において100兆以上もの微生物と共存しているからだけではなく、分解が、リサイクルや芸術など人間社会の活動に広く関わる現象であるからだ。

これまで見過ごされてきた分解に着目することで、人間を生態系の大きな循環の中に位置づけなおし、食との関係を再構成することができるのではないか。生態学、社会学、芸術学を通して分解の哲学を論じた後、最後に藤原氏は、人と人とをつなげる食のプロジェクト「ギブミーベジタブル」を紹介した。

今回の講義は、食べるという日常的な行為が大小さまざまなサイクルの中にあることを改めて実感するだけでなく、文理融合の知の醍醐味を味わう場でもあった。講義の後は藤原氏とフロアの参加者との間で活気あふれるディスカッションが交わされた。

 

報告・写真:白尾安紗美(EAAリサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)分解という現象を核にして、文系理系の学問が融合した内容でとても興味深かったです。人間も生き物として自然界の中で循環していくはずだけれど、消費者という役割に徹して死後も灰になることで循環の中から外れてしまっているという話が印象的でした。最近何処かで鳥葬に関する話を聞いたばかりだったので、埋葬の仕方にも分解の概念が含まれているという新しい視点を持つことができて面白かったです。先週冨澤先生が質疑応答の中でもう一つの専門である死生学についてお話しされていましたが、30年後の未来に向けた講義の中で死という人生の時間の流れを断ち切る現象が繰り返し登場するのが示唆的だと感じました。近代の人類は過去から未来に一方向に流れる時間の捉え方を自明のように考えていて、老化や死といった生産的でない現象には価値を見出さず、ともすれば無視するような姿勢をとってきたように思います。これからの数十年の中で、これまで主流ではなかったはずの孤独な死、社会から外れた場所での死と必ず向き合っていかなければならないでしょうし、これらを社会がどう内包することができるか、どう分解して循環の流れに組み込んでいくかが重要なテーマになるだろうと感じました。若くあり続け成長し続けることと、年老いて衰退し終息に向かうことを生産的、非生産的という二項対立で捉えるのではなく、つながった現象、循環の中のグラデーションだと捉えることができるのではないかと今回の分解の哲学という主題から考えました。(教養学部(前期課程)・1

(2)分解とはという問いについて、分解という過程があってこそ新しいものを生み出せるのだと分かった。フレーベルの積み木の話は特に興味深かった。子供は積み木を積んでは壊すが、私もその行為に対して「なんで!?もったいない!」と思ったことがあるからだ。そのため、フレーベルは壊すという行為を評価していたという話は目から鱗だった。私は積み立てて出来たものがその形で存在することの意味を見出していたのだと気づいた。積み木に関していうと、積み木は積まれた状態で置いてあるだけでは本来の意味ではなく、積んでは壊してまた積むという循環があってこそ「積み木」なのだろう。それは他のものにも応用できて、本来の目的では使うことができなくなったものは分解してまた再生して使われることでまた意味があるのかなと思った。(教養学部(前期課程)・2年)