香港文学の翻訳ワークショップ第1回は2024年5月27日(グループ1)と30日(グループ2)に、駒場キャンパス101号館11号室(EAAセミナー室)で開催された。参加者は計6名で、そのうち本学の学部生3人と大学院生3人が参加し、日本語を第一言語とする方と中国語(普通話や広東語)を第一言語とする方がそれぞれ半分ずつであった。報告者はこのワークショップの企画者であり、現場ではファシリテーターを務めた。
このワークショップの目的は、参加者とともに香港の文学作品を楽しみ、さらに日本の要素が登場する作品を翻訳することによって、香港を理解すると同時に、日本に対する新たな視点を得ることである。香港のみならず、作品の鑑賞と翻訳を通じて中華圏全体をより深く理解したい参加者や、ワークショップを通して中国語の読解力を向上させたい参加者もいる。
ワークショップ当日、趣旨説明の後、参加者に香港の地図を通じて自己紹介をしてもらった。普通の自己紹介よりも、参加者からそれぞれ香港との縁を聞くことができた。大埔での留学生活や、毎日香港全土を時周りするかのように粉嶺から香港島を往復する通勤生活、深圳から香港に買い物に行く日常の越境体験など、こうした体験の持ち主と香港から離れた駒場の一室で「再会」することはとても不思議であった。
初回は作家・詩人である鍾国強(筆名:鍾逆)の「塘虱王」(「ナマズの王」2017年)という短編小説を翻訳してもらった。最初の文――「昨天還是掛八號風球,但今天已是陽光普照」からすでに活発な議論が行われていた。日本の公的機関やメディアは、「台風警報シグナル8が発出」というふうに翻訳する場合が多いようだが、「8」という数字は日本の読者にとって、香港の読者と同じく強さを感じ取ることができるのだろうか?それとも「第8号」と誤解してしまうのだろうか?そして原文では「發出」ではなく「掛」(掲げる・吊る)を使う理由も、実は香港の社会史に関わるので、この原文の動詞を無視するかそれとも何かの方法でその社会的文脈を保留するか?さらに「陽光普照」という表現は、普通話を第一言語とする参加者にとって四字熟語みたいな感じてやや馴染みのない言葉であり、一方で香港出身の参加者にとっては日常的な表現である。日本語に訳せば香港の方の感じ取り方に従い、「晴れている」と訳していいのではないかと思われるかもしれないが、「陽光普照」は同じ段落に3回も出てきて、時には文の不自然さやばかばかしさを引き出す役割も果たしているようだ。どう訳せばいいのか?
この短編作は、動物や東日本大震災を経験した日本人の登場人物を通じて、香港の社会情勢に対する批判、無力感、そして希望を物語っている。次回以降のワークショップでは、議論がどのように展開するかを楽しみにしている。
報告・写真:銭俊華(EAAリサーチ・アシスタント)