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2024.05.16

【報告】チャールズ・テイラーとケベック社会――多様性、ライシテ、承認(ベルナール・ガニョン氏講演会)

 2024514日(火)、ケベック大学リムスキー校(UCAR)のベルナール・ガニョン教授(倫理学・政治学)による講演会「チャールズ・テイラーとケベック社会――多様性、ライシテ、承認」が開催された。
 チャールズ・テイラー(1931〜)は世界的に知られるケベック出身の哲学者で、日本にも多くの読者や研究者がいるが、日本ではこのカナダにおける独自の州の状況や近年の変化の様子が必ずしもよく知られていない。しかし、テイラーの著作に登場してくる「アイデンティティ」、「承認」、「世俗化」などの重要概念は、ケベックの文脈と密接に関係している。テイラーがこれらの概念を用いてこの地域の特殊性を説明することもあれば、この地域の状況が彼の使用する概念に経験的な裏づけを与えてその中身を明確にしていることもある。

(ガニョン氏)

 ガニョン氏は、テイラーが哲学的著作を通して、ケベックおよびカナダの公共圏への政治参加を続けてきたことを強調した。1961年に新民主党(NPD)設立に参加したテイラーは、カナダを平等で地方分権的で文化の多様性を重んじる連邦国家として構想しており、1960年代に台頭したケベックの新しいナショナリズムを支持せず、1980年と1995年の州民投票では独立反対の立場を明らかにした。他方、ヘルダーなどドイツ・ロマン主義やヘーゲルの承認の哲学に依拠しながら、ケベックのナショナリズムは正当なものであると認めた。アイデンティティが肯定されることは重要だが、それだけでは政治的独立を正当化する原理にはならないと考えたのである。
 ガニョン氏はまた、1980年代から90年代にかけてのテイラーが「深い多様性」の承認を連邦改革の指針にしようとしたと論じた。テイラーは、カナダの連邦主義はひとつの主権のなかに独自性を持つ複数のネイションを共存させるものであって、各人は自分のネイションや文化の共同体への帰属を先にして、しかるのちに連邦の政治制度に抱くのであっても構わないと考えた。カナダとケベックでは市民権の考え方が異なるのであって、共通のネイションの文化がないカナダでは、市民は共通の法的・政治的制度や多文化主義の価値の承認に対して忠誠を誓い、手続き的リベラリズムが重視されるが、文化と言語の生き残りが主要な関心事となるケベックでは、集合的な利害関心が個人的な利害関心に対して優位に立つことが認められる場合があるとともに、リベラルな社会を名乗る以上はすべての市民の基本的自由と権利を保障することが求められる。
 そしてガニョン氏は、1980年代から2000年頃までのテイラーが強調していたのはカナダの文化と政治制度におけるケベックの承認の不在だったが、次第にケベックの文化と政治制度において文化的・宗教的マイノリティの承認の不在が強調されるようになってくると指摘した。テイラーがジェラール・ブシャールと共同委員長を務めた「文化的差異に関する調和の実践をめぐる諮問委員会」の報告書は、間文化主義法の制定や開かれたライシテについてのガイドライン策定などの勧告を行なっている。テイラーの考えでは、多文化主義も間文化主義も、偏見や差別に対する闘いを重視し、複数の帰属の承認に基づく政治共同体への忠誠の感覚を育む点においては同じものだが、市民たちによる自分たちの政治共同体についての自己理解に関して象徴的な違いがある。ところで、近年のケベック社会の歩みは、間文化主義法を制定する代わりに、共和主義的なライシテ法を定め、多様性の承認よりもネイションの文化の一貫性に重きが置かれており、テイラー自身はこのような動向を強く批判している。

(伊達氏)

 以上のような内容のガニョン氏の講演を受け、1人目のコメンテーターの梅川佳子氏(中部大学准教授)は、テイラーがケベックの健全なナショナリズムについては賛同しながら、ウルトラナショナリズムについては反対の姿勢を鮮明にしていることについて、彼の表現主義の哲学から読み解くことができるのではないかと問題提起した。梅川氏は、テイラーが『行動の説明』(1964年)において、デカルト的な二元論批判から出発して、行動と目的の存在論的次元における不可分性を主張した点に注目しつつ、テイラーにおいては言語が行動の一形式と考えられていることを強調した。梅川氏は、フランス語と英語という狭い意味での言語ではなく、表現活動という広い意味での言語の観点に立つならば、カナダの人びとは同じ言語を共有することができるというのがテイラーの考えであると言えると述べた。

(梅川氏)

 2人目のコメンテーターの千葉眞氏(ICU大学名誉教授)は、テイラーにおける多文化主義と間文化主義の関係について改めて問いただし、かつてテイラーが『マルチカルチュラリズム』で「差異を考慮しないと想定された社会は〔……〕それ自体きわめて差別的なのである」と述べたことを念頭に置きながら、間文化主義におけるマジョリティ重視の傾向はやはりマイノリティに対して不公平となる面を孕まざるをえないのではないかと発言した。また、リベラル・コミュニタリアン論争を振り返りつつ、テイラーをコミュニタリアンと規定することがケベックやカナダではどのように受け止められているのかと質問した。さらに、テイラーのカトリック性についてはケベックおよびカナダの研究者や一般的な読者のあいだではどのように評価されているのかと質問した。

(千葉氏)

 これらを受けてガニョン氏は、テイラーにおける言語行為の意味は深い多様性の議論と関連させて理解する必要があること、コミュニタリアンと目されるサンデルとテイラーにはやはり似ている面があること、テイラーの『世俗の時代』はケベックのフランス語読者にとってもインパクトが大きなものであったことなどを論じる形で応じた。
 今回の講演会には、学内外から複数の研究者が詰めかけ、関心の高さを窺わせた。日本では有名で比較的よく読まれていると思われるテイラーのテクストを掘り下げて理解するには、やはりケベックの文脈を踏まえることが重要であること、そしてテイラーを読むに当たっての読者の立ち位置を知るには国際的な対話が有効であることが、改めて実感される機会であった。 

報告:伊達聖伸(東京大学)
写真:白尾安紗美(EAAリサーチ・アシスタント)