2024年5月8日(水)、東京大学駒場キャンパスにて、「〈現代作家アーカイブ〉文学インタビュー」第29回が、飯田橋文学会および東京大学ヒューマニティーズセンター、UTCP、EAAの共同主催で開かれた。ゲストには作家の高樹のぶ子氏をお迎えし、聞き手は平井裕香氏(フェリス女学院大学等非常勤講師)が、司会は村上克尚氏(東京大学)が務めた。インタビューは高樹氏の自選作である『光抱く友よ』(1984)、『トモスイ』(2011)、『小説伊勢物語 業平』(2020)を中心に展開された。
『光抱く友よ』について高樹氏は、この時期の自身の小説のテーマは、加虐の中の痛みと痛みの中の再生であったと述べた。そして、それは離婚と息子との別れという自分自身の経験と繋がっていたという。息子とは、息子の成人を機に再会できたが、その経験によってまた自分の創作活動の方向性が変わってゆき、変われる力というものを実感したと語った。
平井氏 高樹氏
続いて、『トモスイ』の冒頭部分の朗読が行われた。『トモスイ』の執筆の際には、文章の語呂を意識したという。高樹氏は現在、目で活字を追うのではなく、耳で聞いて物語を楽しむ「耳で読む物語」という活動を行っている。文章のリズムの重視は、『小説伊勢物語 業平』にも引き継がれている。
『小説伊勢物語 業平』に関する議論では、学者による現代語訳とは異なり、小説家の仕事は人物像の再現である、という高樹氏の小説化へのこだわりが示された。氏は『業平』の前に『小説小野小町 百夜』も執筆しているが、小野小町と在原業平はともに、和歌の地位を向上させた優れた歌人でありながら、恋多き女、色男として最も誤解を受けてきた人物であり、彼らの名誉挽回が創作の原点にあったと語った。また、小野小町の和歌や在原業平の『伊勢物語』が現代に伝わるまでには、紀貫之や藤原定家などの多くの「中継者」が存在し、自分もまたその「中継者」の一人として位置づけることができるという。
インタビューの中で、高樹氏は、自分の創作活動について、園芸の用語を使い、「主幹」が失敗しても「脇芽」でつなげて今に至っていると表現した。その言葉通り、今回取り上げた三つの作品はそれぞれかなり異なる色合いを持ちながらも、どこかでつながりあっているように感じた。
報告:新本 果(EAAリサーチ・アシスタント)
写真:銭 俊華(EAAリサーチ・アシスタント)