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2024.02.26

【報告】ヴァレンティーヌ・ズュベール氏講演会「ヘイトスピーチに抗して——ドレフュス事件後のアナトール・ルロワ=ボリューの弁論」

2024年2月20日(火)に、ヴァレンティーヌ・ズュベール招聘イベントのひとつとして、「ヘイトスピーチに抗して――ドレフュス事件後のアナトール・ルロワ=ボリューの弁論」が開催された。

『憎悪の教説』再版を紹介するズュベール氏

 アナトール・ルロワ=ボリュー(1842〜1912)は、有名なパリ政治学院の創設者の1人だが、今日ではその名を知る人は少ない。アレクシ・ド・トクヴィルの流れを汲むフランス・リベラリズムの系譜に属すカトリックで、革命後のフランスを特徴づける共和派対カトリックの「2つのフランスの争い」という対決構図のなかで、急進的な共和主義にも教権主義的なカトリックにも与しない位置にいた。『憎悪の教説』(1902年)は、ドレフュス事件当時のフランスにおいて吹き荒れていた反ユダヤ主義を批判しつつ、反ユダヤ主義の言説と同じレトリックと手段が、反プロテスタンティズムにも、反教権主義にも見られることを鋭く指摘した著作である。フランスにおける反プロテスタンティズムについての著作があるズュベール氏は、イギリスおよびスコットランドにおける反カトリシズムを専門とするジェラルディーヌ・ヴォーガンとともに、この『憎悪の教説』再版の序文を書いている。

 ズュベール氏は、この著作を時代のなかに位置づけつつ、現代的意義を引き出す発表を行なった。ドレフュス事件から1905年の政教分離法へと至るフランス社会は、ドレフュス派と反ドレフュス派がいがみあっていた。そうした構図のなかで反ユダヤ主義を批判するのは、ドレフュスを擁護する共和派側の振る舞いというのが相場だったが、ルロワ=ボリューは反ユダヤ主義を糾弾しながら共和派側の反教権主義をも告発して、スキャンダルを招いた。普仏戦争に敗北した当時のフランス社会では、プロテスタントはドイツとつながっていると見なされていたが、現代フランスにおいて反プロテスタンティズムはほとんど見られない。それに対して、反ユダヤ主義は現在でも残っている。コロナ禍でも反ユダヤ主義の高まりが見られ、その傾向には昨年10月以来のイスラエル・ガザ戦争が続くなかで拍車がかかっている。

 ルロワ=ボリューを通してズュベール氏が指摘するのは、憎悪の言説は、社会の危機を反映しているということである。相手に憎悪の言説を向ける者は、往々にして、自分は社会の自由を守っていると考えている。そうしたなかで、スケープゴートに対するステレオタイプのイメージが繰り返し語られていく。反ユダヤ主義的な言説においては、「ユダヤ人の祖国はエルサレムなのだから真のフランス人ではない」と言われてきた。反プロテスタンティズムの言説においては、「プロテスタントの居場所はジュネーヴやロンドンやベルリンであって、フランスではない」と言われた。反教権主義の言説においては「カトリックはヴァチカンに忠誠を誓っているのだからフランスに対する忠誠心は怪しい」と言われた。今日では「ムスリムがフランスをイスラーム化しようとしている」と言われる。

 なぜこのような憎悪の言説と闘わなければいけないのか。それは、憎悪の言説が非道徳的で反社会的なものだからである。非道徳的というのは、社会問題の原因を安易なやり方で他者に転嫁することによって、社会の危機の原因を自問するところまで行かないからである。反社会的というのは、社会を分断し、連帯や友愛の精神を棄損するものだからである。

 ルロワ=ボリューには先見の明があり、ムスリムが将来的に憎悪の対象になりうることを見抜いていた。ズュベール氏によれば、ここ30年来のフランス社会で見られる反イスラームの動きには、まさしく彼が1902年の著作で指摘していた諸要素を見出すことができる。ズュベール氏は、フランス社会の矛盾がムスリムに投影されていることに加え、親イスラエルと親パレスティナの対立は極めて深刻で、憎悪の連鎖の悪循環から抜け出すことは難しいとしたうえで、権威主義的な国家による市民の自由と不釣り合いな禁止措置はよくないこと、また個人の自由と権利を保障する多元主義的な人権感覚が共有されることの重要性を強調した。

菅野賢治氏

 以上のような内容の講演を受けて、コメンテーターの菅野賢治氏(東京理科大学)は、3つのコメントおよび質問をした。1)自分が1990年代にシャルル・ペギーを中心にドレフュス事件と反ユダヤ主義について研究していたとき、たしかにこのルロワ=ボリューの著作を手に取った覚えはあるが、あまり重視していなかった。自分自身そのことを後悔しているが、ズュベール氏がこの著作を重要と考えるようになった背景を知りたい。2)自分が1990年にフランス留学したとき、南仏のカルパントラでユダヤ人墓地が荒らされる事件があった。このとき反ユダヤ主義・反人種主義に抗するデモ行進をミッテラン大統領が率いた。一方、2016年には北部カレーのキャンプを同じ共和国の治安部隊が破壊した。一方は対ユダヤ人、他方は非正規滞在移民の話なので同列に論じられないことは認識しているが、自分はこのギャップに驚きを隠せない。30年も経たずにフランス社会がかくも変わってしまったことをどう理解すればよいのか。3)ライシテは、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教徒の関係を調停する三角形を描くことには成功したと評価しているが、ムスリムを含む四面体に移行することは本当にできるのか。

 これに対してズュベール氏は、次のように応じた。1)ショアーがあったこともあり、第二次世界大戦後のフランスでは反ユダヤ主義はつねに注目を集めてきた。しかし、他にもスケープゴートがいたこと、いることに目を向ける必要があると考えた。また、1989年以降は、おもに旧植民地出身者を対象とする新しい憎悪が生まれていることに気づき、分析が必要だと考えた。2)この30年でカルパントラのフランスからカレーのフランスに変わってしまったというよりは、カレーのフランスに相当するものも昔からあったと考えるほうがよい。1945年にはセティフの虐殺によって多くのアルジェリア市民がフランス軍に殺害され、アルジェリア独立戦争の引き金にもなった。フランスには外国人の目から見て称賛に値するような面も持ち合わせているが、一部の人びとに過酷な抑圧を強いて、暴力を行使してきたことも事実である。3)現在のフランス人の50%は宗教について無関心であり、それぞれの宗教的カテゴリーに属していると見える人びとにも、厳格な実践者もいれば、リベラルな思想の持ち主もおり、内実は非常に多様で、属性の枠を超えた連帯も見られる。そうしたなかで、ライシテとは、権威主義的な規制の体制ではなく、平和的な多文化主義への好機として考えることもできる。

 ズュベール氏が用いた「多文化主義」(multiculturalisme)は、通常のフランス語では、共和国のライシテとは相容れないと考えられている概念である。「平和的な多文化主義への好機」としてライシテをとらえようとするズュベール氏の姿勢には、憎悪の教説を乗り越えることを目指したルロワ=ボリューの態度に通じるものを見出すことができる。

ズュベール氏と司会の伊達聖伸氏 

 

報告:伊達聖伸(総合文化研究科)
写真:髙山花子(EAA特任助教)