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2024.02.26

【報告】ヴァレンティーヌ・ズュベール氏講演会「フランスのライシテと女性解放——真の平等に向けて?」

2024年2月17日(土)14時より、東京大学駒場キャンパス101号館11号室にて、ヴァレンティーヌ・ズュベール氏(フランス高等研究実習院教授)による講演会「フランスのライシテと女性解放——真の平等に向けて?」が開催された。司会は増田一夫氏(東京大学名誉教授)がつとめ、伊達聖伸氏(東京大学総合文化研究科教授)が通訳を兼ねた日本語解説をおこなった。

ヴァレンティーヌ・ズュベール氏

来日にともなう連続セミナーの初回となる今回、一般に日本語で政教分離と訳されるライシテ(laïcité)を研究の専門とするズュベール氏は、現代ではライシテが女性の権利と結びつけられて語られるが、それは必ずしも歴史的には自明なものではないことを、およそ二世紀半に亘るフランス革命後の流れを踏まえて振り返り、今日係争となっている新しいライシテの特性をあきらかにした。

ズュベール氏は、まず、フランス革命後に市民権の中心として認められたのは男性であり、当時、カトリック司祭に従属すると考えられていた女性の権利は排除されていたため、女性の高等教育の権利や政治的な権利が確立されてきたのはあくまでも20世紀以降のことであり、ライシテと女性解放とが結び付けられたのはごく最近のことであると確認したうえで、1970年代末以降に生じた変化について論じた。また、1989年のスカーフ事件以後、ヴェール着用をめぐって、普遍的なフェミニストがメディアの力と相乗してきわめて強くなり、包摂的なフェミニスト、個人選択者たちとの差異があらわになり、今日に至ることが整理された。それは、普遍主義的フェミニズムが反フェミニズムたりうるということであり、ときにはレイシズムとさえなっている逆説がみられるという指摘でもあった。ムスリムもふくめた宗教的なフェミニズムの潮流はあるが、それらは周縁的であるという見取り図である。したがっていま争点となっているライシテにかんしては、共和主義的かつ普遍主義的な、反教権主義的で反宗教的な、女性解放を重要視する言説があるいっぽうで、もうひとつには1905年の政教分離法におけるライシテに忠実な、公的な秩序が守られるかぎり宗教的なものは尊重されるとする言説があるのだが、後者は普遍主義的なフェミニズムによって弱体化しているのではないかと指摘され、フランス社会には伝統的に反フェミニズムがあるのではないかという本質的な問いが投げかけられた。

佐藤香寿実氏

その後、コメンテーターであり、アルザス地方のコンコルダートやストラスブールのモスク建築に造詣に深い人文地理学者の佐藤香寿実氏(芝浦工業大学特任講師)より、おもに三つの問いが投げかけられた。ひとつめは、なぜフランスの国民的なライシテをめぐる議論がイスラムに集中しているのか、キリスト教やユダヤ教をめぐって新しいライシテがどのように関わるのかというものだった。ふたつめは、フェミニズム側のライシテ受容の複層性にかんして、メディアでの主流がたしかにあるなか、じっさいの人びとの日常感覚には、とりわけ世代的なギャップがあるのではないかというものだった。三つめの問いは、他国と比較してのフランスの女性権利の状況の特異性にかんするものだった。

これらに対しては、ズュベール氏より、女性カップルや同性婚の生殖補助医療をめぐる議論ではライシテは出てこず、公共空間における宗教的な可視性や衣服の特徴が女性に特化しながら対イスラムとして出てくることが多く、それはまた旧植民地国出身者による言説によるところが多いと述べられた。また、私立の学校の規約について、ユダヤ教の学校とイスラムの学校について、国との契約に関して判断や議論の差異があると述べられた。また移民をめぐってもアラブ、イスラム系に集中するダブルスタンダードが見られると述べられた。それから、普遍主義的フェミニズムとのギャップにかんしては、世論調査の結果は、質問に左右されるという罠があることに注意をうながしたうえで、若い世代には包摂的な考えがあり、ヴェール法に反発する声があるのは次世代の希望ではないかと述べられた。最後、新しいライシテがフランスのアイデンティティとなり、自由、平等、博愛にライシテがくわわっている側面があるなか、カトリックの聖職者の性的スキャンダルについてはイスラムにはなにも言及がない点が確認された。

増田一夫氏

ディスカッションでは、アルザス地方のコンコルダード的ライシテや、今日のフェミニストにも右傾化があること、さらには文明化的フェミニズム(le féminisme civilisationnel)という呼称ではなく普遍的フェミニズムという用語が選択されたこと対して問いかけがなされた。応答においては、当事者が実際につかっている用語選択はもちろんのこと、植民地解放に際しての上から下への構造を孕む解放(émancipation)という言葉にもまた違和感があることがズュベール氏より語られた。

伊達聖伸氏

EAAではこれまでもなんどか今日の世界的な宗教的なものの興隆をめぐるイベントを開催しているが、21世紀以降の議論において、個別にどのような論点があるのか、とりわけその複雑さにかんして、きわめて触発される内容であったように思う。

報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)