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2023.12.13

【報告】EAAワークショップ「東アジアにおける学校と大学」

2023年12月12日(火)15時30分~17時30分、東京大学東洋文化研究所3階大会議室にて、EAAワークショップ「東アジアにおける学校と大学」が開催された。本ワークショップは、「学校」「大学」に関する歴史学の研究者の報告をもとに、東アジアの様々な時代の「学校」や「大学」が有した役割について、具体的な事例から考察し、現在の私たちにとって必要な大学とは何かを考察するものである。

一人目の報告者は梅村尚樹氏(北海道大学)である。「宋代の学校——祭祀空間としての視点から」と題し、2018年に出版された『宋代の学校: 祭祀空間の変容と地域意識 』(山川出版社) をもとに報告がなされた。一般に勉強の場とされる「学校」のイメージを、前近代中国の「学」にそのまま当てはめることはできない。たとえば『孟子』は「礼によって人々を教化する施設」と位置付けていた。そのため、「学」には廟が併設されたが、唐代以降、学校は廃れて、併設されていた孔子廟で釈奠のみが行われるようになった。しかし、宋代では欧陽脩、王安石が、釈奠は廟ではなく学で行うべきだと論じ、「学」を教養(教化と養士)を行う場とみなし、学校における人材育成を重視するようになる。学生は孔子を、過去の人物としてではなく、個々に自らの師として祀るのである。釈奠には地方官のみならず、学生や地域士人が参加するようになり、「学」は徐々に地域の士人たちが集うコミュニティと変容していった。

 

 

 二人目の報告者の辻大和氏(横浜国立大学)は、「京城帝国大学の探検隊派遣について」として報告を行った。本報告は辻氏の論文「京城帝国大学の内モンゴル調査─1938 年調査団の派遣背景をめぐって─」(『常盤台人間文化論叢』7(1)、2021)に基づくものである。辻氏は、まず1930 年代の内モンゴルに関する先行研究や、京城帝国大学の探検史、そして京城帝国大学出身の文化人類学者であり、探検において重要な役割を果たした泉靖一に関する先行研究を紹介した。京城帝国大学の『蒙疆の自然と文化』(1939)のほか、未公刊資料の外務省「対支文化事業関係資料」(国立公文書館アジア歴史資料センター)、国立民族学博物館泉靖一アーカイブが利用できるようになり、調査団の状況がより詳しくわかるようになった。京城帝国大学隊は1938 年3月に先遣隊が派遣され、同年7月に本隊を派遣、9月に帰還している。大規模な支援を受け成果も残したが、泉靖一のフィールドノートからは、軍の反対にあった様子も窺える。派遣の背景には、医学部教員によって行われていた漢薬研究、満蒙文化研究会、そして山岳部の存在がある。山岳部は1933年に創部され、竹中要城大予科教授部長、泉靖一らが所属した。学生サークル内での文理を超えた繋がりが、のちの調査団の結合の要となったという。

 

 

 報告の後には質疑応答が行われた。その一部を紹介すると、梅村氏に対しては、宋代の学校の物理的な空間はどうだったのか、士人コミュニティの外にいる人は学校や祭祀とどのように関わったのか、学校の歴史の画期を宋代に求めるのは何故かなどである。辻氏に対しては、国策とは異なるような、探検隊の具体的な学術成果はないのか、蒙疆という言葉が示す地理的なイメージについて、日本における山岳部の系譜と京城帝国大学の山岳部についてなどである。総合討論では、いつの時代においても強いつながりが存在する学校と国家の関係について歴史家としてその意味をどう捉えるのか、「学校」「大学」の研究を通して、当該時代の歴史にどのようなイメージを与えることができるのか等が議論された。

 

報告者:田中有紀(東洋文化研究所)