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2023.12.07

【報告】シンポジウム「吉田健一の文学」

2023年11月23日(木)14時より、駒場キャンパス18号館ホールにて、シンポジウム「吉田健一の文学」が開催された。司会の武田将明氏(英文学)から紹介があったように、今回の企画は、『吉田健一に就て』(国書刊行会)の刊行記念イベントである。

まず、同書の編者のひとりである川本直氏(作家)より、開会の辞があった。川本氏は、偶像としての吉田健一、神話、伝説、彼を覆うアウラのすべてを破壊するために、多角的アプローチに全力で挑んだ編集プロセスを戦国時代の戦いにたとえて力強く語った。

 

基調講演

それから松浦寿輝氏(作家)が「吉田健一:光の変容」と題して基調講演を行なった。松浦氏は、好きな吉田健一のテクストを思い浮かべるうちに、そのどれもに光のイメージがあると気づいたという。人生の時間が夕暮れの光にたとえられる短篇「航海」、冬の朝日が枯れ葉を洗う長篇エッセイ『時間』、ほとんど音に近接する光のある短篇「流れ」、月夜の光の氾濫が響きに重ねられる長篇『金沢』、水を思わせる流れる光のある短篇「月」、以上のような具体的な作品テクストの引用とともに、絶えず流れ、変容する時間と結ばれる光の主題が示された。

さらに松浦氏は、光とは違う主題、黒や闇もまたあることを指摘した。たとえば留学中にルーヴル美術館でヴァトーをみたエピソードにもとづく短篇「昔のパリ」からは、絵の背景の黒そのものに吉田が惹かれているとわかるという。このレフェランスに対応するものとして、長篇『金沢』にあらわれる宋時代の青磁の色調があげられた。水たまりと時間の澱みという、黒に近づいてゆく光である。長篇エッセイ『変化』にある夜への予感もまた、たんに幸福ではない暗黒な部分に数えられるというのだ。

最後、光はフィクションであると述べられた。『東京の昔』には、冬枯れの池にたどり着く話がある。それは、光のない世界にたどり着くことだという。そこから、松浦氏は、吉田健一には、流動/膠着、光/闇の両方があるのだと言った。やはり『東京の昔』に書かれた、雨の日の泥道と砂利がめり込んで妙に光るその光はフィクションであり、実在しない光を吉田はフィクションに溶け込ませていると結んだ。

報告:髙山花子(EAA特任助教)

 

朗読劇『ソネット』

大塚健太郎作・演出、劇団あはひ上演の朗読劇『ソネット』は、会場をその作品世界へと静かに引き込んだ。並んだ4つの椅子にそれぞれ役者が座り、前方を向いた両端の二人はト書を読む形で物語を進め、中央の椅子で向き合った二人の会話を中心に物語は進む。居酒屋で飲んでいる二人から、看病に来た大学の友人、高校の恋人との会話というように、場面や役者が入れ替わり、時間は行ったり来たりしながら不思議な世界を形成していく。物語を繋ぐのは湯豆腐やチョコレートといったモチーフで、間をもたせたゆったりとした会話が、どこか時間の渦の中で浮遊している気分にさせる。決してト書の進行通りに進んでいるわけでもなく、会話の相手も少しずらされたりなど、朗読劇ならではの仕掛けも見られ、放たれる声の小さな抑揚で登場人物の心情を読むことができる。少年から大人になってゆくまでの一人の人間の記憶と、そこで出会った人々を並べて眺めているような静謐な作品だった。吉田健一作品からの言葉や吉田の訳したシェイクスピアからの引用が随所に見られ、吉田作品に見られる、時間や光といったテーマを一貫して見出すことができた。吉田の言葉から生まれる新しい表現の可能性を見た気がした。

報告:池島香輝(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

 

シンポジウム「吉田健一から広がる世界」

2023年11月23日、東京大学駒場キャンパスに開催されたイベント「吉田健一の文学」において、シンポジウム「吉田健一から広がる世界」が行われ、佐藤亜紀氏(作家)、伊達聖伸氏(宗教学・フランス語圏地域文化研究)、中西恭子氏(宗教学・古代ローマ宗教思想史)、渡邊利道氏(文芸評論)の4名が登壇した。

 伊達氏は、國分功一郎「暇と退屈の倫理学」になぞらえて「倦怠と焦燥の宗教学」の概念を提起し、吉田と國分の間に共有された現代社会への違和感と、対抗としての「楽しみ」や「成熟した若さ」について問題提起した。中西氏は、時代と読者を共有した澁澤龍彦と吉田を並列し、両者の活動の場に相違があるものの、彼らの博物学的な創作姿勢、(時にホモソーシャルな)文芸共同体への追求、および永遠の「今」を生きる態度などに共通点を見出せることを指摘した。渡邊氏は、吉田の文芸活動の原点に立ち戻り、近代そして戦争をめぐる重い過去と格闘しつつ、経験的な事実から出発する姿勢に辿り着くその人物像を提示した。佐藤氏は、自らの読書経験を踏まえつつ、澁澤と吉田の「世紀末」観の相違に着目し、「異端的、病的」な澁澤と「正統的、健康的」な吉田との対立を示唆しつつ、両者とも必ずしもこの図式に収まらないことを指摘した。

 総合討議の時間では、武田将明氏(英文学)も交え、澁澤作品に含まれた「明るさ」、吉田の怪異への関心と英文学の影響、そして両者の作品と戦後日本社会の関係をめぐって、議論が交わされた。吉田の代表的批評「文学の楽しみ」や「ヨオロッパの世紀末」は、まさに世界的に学生運動が勃発した60年代から70年代に発表されたものであった。目的意識ではなく、あくまでも豊かに文学を楽しむことに主眼を置いたその批評は、脱政治的に見えながらも、現代社会における実感と観念の乖離を鋭く指摘し、現在の視点から見ても示唆的な問いかけが含まれている。本シンポジウムを通じて、吉田健一作品の多様な側面と読み可能性が示されただろう。

報告:邱政芃(EAAリサーチ・アシスタント)

 

閉会の辞を述べる樫原辰郎氏(映画監督・脚本家・文筆家)

写真撮影:ヴィクトリア・ニコロヴァ(EAAリサーチ・アシスタント)