2023年11月10日(金)13:15より、駒場キャンパス14号館708号室で、バンジャマン・エフラティ氏によるEAA連続セミナー「ダダイスム—日本とルーマニアを中心に」の第2回講義「Itô Noe and Ôsugi Sakae: A Feminist Perspective on Individualist Anarchism in Japan(伊藤野枝と大杉栄——日本における個人主義アナーキズムについてのフェミニズム的視点)」が開かれた。
まず、司会の星野氏からは、関東大震災後の戒厳令下で大杉と伊藤が殺された甘粕事件から100年を迎えて、いま改めて社会主義や社会運動と強く結びついた芸術とその政治との関係を問う動機があったことが確認された。
エフラティ氏は、前回の辻潤をめぐる講義で話題となった、アナーキズムからコミュニズムへの変遷がインターナショナル結成に際してあった歴史や、ダダイスムが生まれた契機を振り返った。そして伊藤野枝にとって、社会的決定論からの脱出を可能にしたのが辻潤による教育であり、1921年に『労働運動』に掲載された彼女の論考「無政府の事実」においては
シュティルナーのエゴをはじめとする概念が再検討され、かつ農村における中央集権的ではない共同体が分析・描写されていることが確認された。
途中、アナキズム前史として、近年のマーク・フィッシャーの消費社会批判やデヴィット・グレーバーの資本主義批判とつながるかたちで、歴史以前の原初の人びとのあいだでどのような別の社会構成があり、たとえばシャーマンがどのように不可視のものへのアクセスを可能にしていたのかといった観点に目配せをした。つまり単なる政治理論ではなく、考古学的な射程がある点の確認である。それからエフラティ氏は、早くにクロポトキンの影響を受けた伊藤もまた早い時期から階層が固定的ではないヘテラルキーなモデルで思考していたと指摘した。ダダイスムが原初と思われたものを描いていたのもそうした傾向に連なっているという話があった。
最後、1920年代、伊藤も大杉もプロレタリアート運動に参与しており、パフォーマティヴな側面と言説を形成する要素が強く、自分自身の生をロマン化しようとする大杉のその性格の特徴が、ゆるやかに政治運動やアートと繋がってゆくと自伝にもとづいてまとめられた。
ディスカッションでは、おもに大杉がベルクソンを翻訳しており、生命主義や、自然科学の影響を受けていた点が議論された。「生の拡充」といったキータームの確認や、動物における労働組合主義、ダナ・ハラウェイの理論との近接、さらには現代においても世俗化の不可能性があるといったことに話題が及んだ。また、平塚雷鳥による影響の大きさについても言及があった。アーティストとしてのエフラティ氏が、メディアが現在、媒介者として、かつての「見者(voyant)」になっている部分があると述べていたのが印象的だった。世界的に、20世紀に入ってから、歴史以前の母権制度への関心が高まった点など、現代社会と今日の芸術の役割を率直に再検討する貴重な時間になった。
報告・写真:髙山花子(EAA特任助教)