2023年8月23日午前10時より、哲学・人文学国際評議会(CIPSH)のカンファレンス、“Humanities in the Global and Digital Age: The Role of Humanities Research Traditions and Interactions in Contemporary Society”が東京大学文学部3番大教室で開催された。
まず、岡田光弘氏(慶應大学名誉教授)の司会のもと、藤井輝夫氏(東京大学総長)と高村ゆかり氏(日本学術会議)のビデオメッセージ、Luiz Oosterbeek氏 (CIPSH President)、Hsiung Ping-chen氏 (CIPSH Secretary-General)による挨拶があった。それぞれの異なる立場から現代の喫緊の課題に対して人文学の果たす役割の強調と学際的対話への期待が述べられ、一日のカンファレンスの開幕が告げられた。
午前中の最初のセッションは、UNESCOを母体とする学術団体としてCIPSHと協働関係にある、環境問題とサステナビリティ問題を分野とするBRIDGESとのジョイントセッションであった。パネリストはLuiz Oosterbeek 氏(President of CIPSH、司会)、Gabriela Ramos 氏(UNESCO ADG、ビデオメッセージのみ)、Steven Hartman氏 (Executive Director of BRIDGES)、氷見山幸夫氏(IGU) 武内和彦氏(President, Institute for Global Environmental Strategies)、春日文子氏(長崎大学)であった。紙幅の都合上各人の発表内容に立ち入ることはしないが、全体としてサステナビリティの複雑さと諸分野の協力の内実について、構造的・専門的・実践的に各人の分野の観点から掘り下げるものであったと言える。
続いて、“Global/World Humanities”をテーマとして、二つのキーノートレクチャーがなされた。一つ目は中島隆博氏(東洋文化研究所所長)による「世界哲学と地域哲学の入れ子構造」である。世界哲学と地域哲学はそれぞれ普遍と個別という哲学的カテゴリーに対応するが、ここでは過去も現在も繰り返されている、地域哲学を普遍的なものによって価値づけようとする落とし穴を避けなければならない。中島氏の発表はそこで人間中心主義や資本主義に深く埋め込まれてしまった人間観を刷新するために、今後の哲学的プロジェクトへの道筋を、「共生 co-becoming」を核とする「普遍-化universalis-ing」の営みとして示すものであった。
もう一つはTim Jensen氏(Universitv of Southern Denmark)による「宗教教育の科学的研究はどうして世界中で必要なのか」である。宗教の概念が、「宗教」という名称諸共に問い直されている中で、宗教と従来呼ばれてきた文化現象・システムにどのようにアプローチするべきかという問題を正面から取り上げるものであった。その上で、宗教的偏見やヨーロッパ中心主義、あるいは安易な相対主義を避けつつ市民的対話を行う価値が依然として十分にあること、そして宗教教育についての科学的調査が欠けていることを指摘することで、本人曰く「挑発的 provocative」な発表が閉じられた。
午後に時間を移して、“Relationship between Humanities and New Digital Science Technology”をテーマとして、3つのキーノートレクチャーが行われた。そのうち一つ目はDavid Theo Goldberg氏(University of California, Irvine)による「AIはわれわれを変えつつあるのか、あるいはわれわれに取って代わりつつあるのか?」と題された講演であった。まずはアルゴリズムの論理がどのように働くのかという基礎的な問題から始めて、サーチエンジンやAIに用いられるアルゴリズムの誕生と進化を概観したうえで、それがわれわれにどのように変化を及ぼすかを論じた。この話題自体はありふれたものであるが、それがわれわれの生活の問題としてではなく「われわれの世界との関わり方」の問題として問われ、われわれの人間の条件(human condition)の変容として論じられているところに人文学の見地から語る特異性があったように思う。
続くキーノートレクチャーは川島真氏(総合文化研究科)によるもので、情報化時代の人文学・アジア研究に関する日本学術会議による提言の紹介があった。アジアの大学とアジア研究が20世紀に置かれた状況から説きおこして、ヨーロッパ語圏を中心に発展してきた人文情報学の手法がアジア研究に採用される際に特有の文脈と課題(言語や研究蓄積の違いなど)について概観するものだった。その具体的な内容や手法は続く下田正弘氏(武蔵野大学)による3つ目のキーノートレクチャーが補う形になった。
長年仏教学を拠点にしてデジタルヒューマニティーズ研究の最前線を牽引してきた下田氏によるAIの利用可能性についての発表は、AI概念そのものの整理(シンボリズムとコネクショニズム)から始めて、これをプラグマティズムの真理論に関連付け、デジタル対象に特有の真理概念の可能性に言及するなど、まさに「人文学」の名を冠するカンファレンスに相応しい刺激的な学際性があった。また、人文学の蓄積を国際標準規格に依拠させることの重要性を説き、SAT大正新脩大藏經データベースをTEI(Text Encoding Initiative)やIIIF(International Image Interoperability Framework)に対応させる際にどのような課題があったかを具体的に例示してみせたときは、前のめりになってスライドを撮影する参加者が何人もおり、聴衆の関心とも大いに合致していたように思われる。
カンファレンスを締めくくるラウンドテーブルの前半は、「技術−人文学:人類共同体のための持続可能な開発」というテーマで行われた。ハイデガーからヨナスに至る技術・環境論との関わりで人間の責任を問う発表、人文学的ブレイクスルーをもたらすためのデータとメディアの重要性を強調する発表、少数民族イ族の天体観が古代の天文学と民族移動を今に伝える材料になっていることを明らかにした学際研究の成果の発表など、多岐にわたるものだった。ラウンドテーブルの後半のテーマは「プラネタリーヘルスの人文学」であった。中国におけるアフリカのプレゼンスから公平さとレジリエンスの問題を論じる発表、認知症の当事者研究に関する発表、オーストラリアと中国における生命倫理に関する発表という観点から「プラネタリーヘルス」というややもすると茫漠とした概念を彫琢するような時間になった。
最後に、登壇者の一人が指摘されていたが、最後のラウンドテーブル後半を除いて登壇者のジェンダー比率がかなり男性に偏っていたのは、CIPSH側の参加者に女性が極端に少なかったわけではなかっただけに、残念であった。また、東京開催ということもあって東アジア圏の参加者は多かったが、参加者のほぼ全てが欧米圏(また、その中に人種的マイノリティはほとんどいなかった)か東アジア圏の出身者であることは、UNESCOの附属国際機関のカンファレンスとして相応しいのかは疑問の残るところである。個別の都合で渡航が叶わなかった人々などもいることとは思うので今回の一事例を持って断定することは避けたいが、人文学の言説内容の変革に劣らず人文学の担い手の変革もまた道半ばであることを思わせるカンファレンスでもあった。
報告者:石川知輝(人文社会系研究科博士課程)