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2023.06.29

【報告】2023 Sセメスター 第10回学術フロンティア講義

2023年6月23日(金)、学術フロンティア講義「30年後の世界へ——空気はいかに価値化されるべきか」の第10回では、東京大学の佐藤健二氏が「ひとと空気の歴史社会学:空気にも歴史がある」と題して講義を行われた。

本講義は、まず歴史社会学の立場から「価値」という言葉の変わり目を捉え、「価値意識」の形成と変化について論じた。また、佐藤氏は「空気の価値化」を考える際に、空気の貨幣的価値をのりこえる展望が必要であると述べた。次に佐藤氏は、「空気」を論じてきた枠組みへと移り、日本の歴史的資料を事例にしながら、家庭、工場、監獄や職場など様々な空間の中にいる個々人にとって必要な空気とは何かを読み取ってみせた。空気を調和させるという社会的課題は、単に空気を調整する(または、管理する)科学技術に還元できない。そのため、公的な空間と私的な空間、そして、社会発展と自然環境など、様々な分断を乗り越え、人間どうしが共存できるような「空気」を作り出すという視点から、空気の捉え方を拡げる必要性を提示した。

空気の歴史は、空気と共に生きる人間が経験する日常の中から浮かび上がってくる。それと同時に、空気の価値は、他者と共に生きる関係性を通じて、共存するための「空気」(「生」の条件と言い換えてもいいかもしれない)を作っていく過程から現れてくることを私たちに気づかせてくれた。「空気の歴史」を辿ることで、市場交換の枠組みを超えた空気の価値を再び想像できるような、一つの可能性を提示してくれた。その試みが示唆するように、私たちは、空気の価値を想像するため、まず現代社会における価値体系と価値概念を問い直さなければならない。

 

報告者:李佳(EAAリサーチ・アシスタント)

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)欲求性向と規範意識の接近はいかにして達成すればいいのか。
今回の講義の中で、欲求性向と規範意識が必ずしも一致する訳ではないというお話があった。空気をめぐる議論、特に空調の歴史との関連においてそうであると感じた。様々なレベルでの「空気調和」を意味すべき「空調」という言葉が、建物内さらには個人の快適さにフォーカスするようになっていったというのがまさしくその一例であると思った。
そこで、欲求性向と規範意識の擦り合わせは可能なのかについて疑問に感じた。まずは欲求性向が個人としての欲求の域を出ることが大事なのではないかと思った。個人のことだけを考えれば、自分が快適に過ごすことばかりを望んでしまうのは当然のことである。その一方で、自らが属する集団、他の集団としての欲求を個人が想像できるようになれば、欲求性向は規範意識に近づくこともあるのではないだろうか。集団全体にとっていいこと、他者にとっていいことに考えをめぐらせることができれば、空気や空調に関する議論が私的な空間も公的な空間も取り込んだものになると考えた。(後期課程・3年)

(2)「価値」を考えるときに、使用価値と交換価値の二項対立に収まっていては新しい「価値」を発想することは難しいとの教授の発言が印象に残った。ここで「価値」の定義を再考すると、辞典では多義的である一方で、valueに由来する使用価値、交換価値といった市場価値が色濃く反映されていると感じた。これは現代日本に膾炙した「価値」に寄り添った形で定義されているのであろう。教授は「空気=air」が日本社会でどのように捉えられてきたか、産業との関連で言及された。一方で、物質的な「空気=air」と「空間」の関連を説明された時は、人間関係の距離へと話がつながり、「空気=atmosphere」の意味合いが強くなっていった。「空気=atmosphere」は社会関係資本と相互関係にあるものだ。「空気=air」が市場価値ならば、「空気=atmosphere」は我々が授業で考えるべき「価値」になってくるのだろう。冒頭の「使用価値と交換価値の二項対立」を乗り越える、つなぐ「空気=atmosphere」の価値。それは教授も言及されたが、新しい言葉を生み出すのではなく、「価値」のなかに含みこんでいくことで、市場価値に捉われない「価値」というものが認識されていくのではないだろうか。「理論」のなかの「モデル」と同様の関係として、「価値」と「市場価値」の関係を捉え直していく、その「モデル」の一つに社会関係資本の文脈で考える「価値」、記号化して実体化するのではない、ambiguousな「価値」があるのではないか。(教養学部・4年以上)