2023年6月16日(金)、学術フロンティア講義 学術フロンティア講義「30年後の世界へ——空気はいかに価値化されるべきか」の第9回では、東京大学大学院工学系研究科教授の坂田一郎氏が「ステイクホルダー価値を軸とした企業社会のパラダイムシフトと空気の価値化」と題して講義を行われた。
坂田氏はまず、次のことを指摘された。テクノロジー、ミッション、シティズンという三つの要因が複合的に、企業における価値の創造に寄与している。そして、企業に対し社会的課題への取り組みを求める社会システムの整備が、この三つの要因が十分に機能する前提条件となっている、と。その上で、このような枠組みの中で、水と同様に空気の「価値化」を行う余地があることを主張された。
しかし、問題は、社会システムの整備の難しさにあるだろう。社会全体での規範の形成過程において、一私企業が果たしうる役割は決して大きくないだろう。むしろそこでは、メディアが規範を構築し、国家や超国家組織がその実施を担保する必要がある。「企業社会のパラダイムシフト」においても、このような「伝統的な」アクターが依然として中心に位置しているのではないだろうか。
報告者:横山雄大(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)会的価値と経済的価値には優劣はないのだろうか。
本講義中では、社会的価値と経済的価値の接近により、成長する公共性を帯びたセクターの創出が可能になるというお話があった。しかし、私はこれは必ずしも正しくなく、どこかのタイミングで社会的価値が経済的価値に優先されるフェーズが来なければいけないと考える。両価値のオーバーラップによるsociety5.0への貢献のみでは解決が難しい問題が山積している。例えば、気候変動などの環境問題は、経済的価値や利益を追求することから社会的価値を創出することでは到底解決を図ることが難しいと感じる。そのような意味で、社会的価値創出をさらに強く押し出し、それ単体で地球規模課題に取り組む姿勢も今は求められているのではないだろうか。(教養学部・3年)(2)これまでの多くの講義で、空気の価値を考える際に「水の価値化」が先行事例として挙げられていたが、今回の講義では「空気の価値化」を「水の価値化」との連想で考えることは根本的に難しいのではないかという問い(疑念)があがった。というのは、水は飲もうと思って飲む物であり、生存の条件の一つであるとはいえ「一瞬たりとも欠かすことができない」物ではない。加えて、ボトリングすることによって、その産地性・物語性を保持したまま運搬・交換・市場化ができる。対して空気は三分間失うだけで生存が危ぶまれるほど恒常的に必要とされる物であり、ボトリングをしてもその特有の価値は失われてしまう。(どこかの高原の空気を渋谷のビルの中に「直送」したとしても、それは渋谷の空気でしかない。)それゆえ、空気の物質的な価値に依拠した、直接的な市場化は困難である。ゆえに、水のような形での空気の価値化を望んでもそれはおそらく無理がある。
今回の講義で挙げられた「社会的な価値」と「経済的な価値」の両面から空気の価値化を捉える手法は上記の困難を回避する一つの方法を提示している。というのは、それが空気そのものの物質性を考えるのではなく、それが提供される場の価値、媒体としての空気の価値を主眼においた考察だからだ。「空気の価値化」が進んでいることが空調設備の浸透で数値化・可視化されていたが、これは空調が提供する、居心地の良い空間に付与された価値である。
とはいえ、空気の価値を考える上では大気汚染問題など、開かれた空間そのものの価値までも考察する必要がある。その点では、空気の価値化は河川汚染問題など、水の価値化のアナロジーで部分的に捉えることができる。つまり、上に掲げた問いは単純なイエス/ノーで答えられる物ではなく、丁寧な場合わけが必要な問いである。(教養学部・2年)