2023年5月27日、東京大学文学部哲学研究室にて、納富信留氏(人文社会研究科)の企画のもとアフリカ哲学セミナーが開催された。講演者のモゴベ・ラモセ氏(Prof. Mogobe Ramose, 南アフリカ大学教授)が、現代アフリカにおける哲学について、その概況を語った。
日本でも『思想』2017年8月号でアフリカ特集が組まれるなど、彼の地において展開される哲学・思想に対する関心は高まっているとは言え、まだ十分にその内実が知られているとは言い難い。自身の「黒い皮膚」(この単語は当然、アルジェリアの精神科医・哲学者フランツ・ファノンの『白い皮膚・黒い仮面』を連想させるものである)にまつわる体験について、ひとつひとつ思い起こすように聴衆に語りかけることから、ラモセ氏の講演は始まった。
ラモセ氏によれば、「アフリカ」あるいは「アフリカ人」とは、これまでも、そして現在も「抵抗(protest)」の只中に存在している。そしてアフリカ哲学とは、まさしくこうした経験に深く根ざして練り上げられてきた言説である。
具体例としてラモセ氏は“Ubuntu Philosophy”という言説を紹介した。“Ubuntu”は、ズールー語で“Ubu(n)”と“ntu”という二つの概念から成り立つ単語である(ちなみにUbuntuという名から、同名のフリーソフトウェアを連想される方もいるかもしれない)。“Ubuntu”とは、人間が人間たるための条件として課せられる倫理である。ここで重要なのは、ここで「人間」とは、いわゆる西洋近代的な「個人」という概念とは異なるということである。 “Ubuntu”という考え方においては、人間を独立した個別的存在とはみなさずに、他者との関わり合いの中で生きる存在とみなした上で、社会的な調和の実現を重視する。
全ての関係性——それはヒトのみによって構成されるのではなく、動物や木々や石などのモノたちによっても構成されるものである——の中に繋がれた存在としての「人間」という捉え方から導き出されるのは、他者なくして自分は存在し得ない、というシンプルかつ力強いテーゼである。こうしたテーゼは、自分さえよければよい、自分の利益を最大化しさえすればよい、という資本主義の悪しき側面に対する根本的な批判を含んでいる、とラモセ氏は強調した。
コメンテーターの河野哲也氏(立教大学教授)は、日本の哲学者・和辻哲郎が提唱した「人間」という概念との共通性を指摘した。和辻もまた、個別的存在として「ひと」を捉えたのではなく、「ひと」と「ひと」との「あいだ」を含む一連の関係性として、「人間」を理解しようとした。
アフリカ哲学や日本哲学という言説は、哲学における西洋中心主義を批判する手がかりを提供してくれる。だが、アフリカは西洋諸国に徹底的に植民地化された歴史を持っているのに対し、日本は西洋に対して対抗・抵抗しながらも、その形式を積極的に模倣し、「有色の帝国」(社会学者・小熊英二による表現)として他のアジア諸国を侵略したという経験を持っている。西洋対その他者、という単純な二項対立が成立不可能な中で、その複雑さを記述するために新たなる言葉が発明される必要がある今、アフリカ哲学という言説世界と遭遇する意義は、日本社会を生きるわたしたちにとっても大きい。
報告者:崎濱紗奈(EAA特任助教)