2023年5月26日(金)、学術フロンティア講義「30年後の世界へ——空気はいかに価値化されるべきか」の第6回では、香川謙吉氏(ダイキン工業株式会社)が「空調メーカーが試行している空気の価値化」と題して講義を行った。
講義は空気と水の比較から始まった。香川氏は空気の軟水と硬水という二つの側面から空気の価値化について論じた。空気中の健康に影響する化学物質や、花粉、ウイルスなどを除却することで、軟水の空気が生まれる。一方、空気の湿度や香りなどを増やすことで、硬水の空気が生まれるという。
香川氏は、適用される法律の違いによって、子供たちがより危険な建築環境に置かれる可能性に注意を喚起した。一般的な職場はビル管理法に従い、住宅は建築管理法に従う。どちらも二酸化炭素濃度が1,000ppm以下であり、相対湿度が40%以上70%以下になるように求められている。それに対し、学校は学校環境衛生基準法に従い、二酸化炭素濃度が1,500ppm以下であり、相対湿度が30%以上80%以下になるように求められている。また、香川氏は高原の空気を実地で測定した経験を紹介し、高原などの爽やかな空気には意外にもフィトンチッドやテルペン類などのアロマ成分が多く含まれていないことを指摘した。これにより、心地よい空気の成立条件に興味がひかれた。
報告者:林子微(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)空気を水の硬水・軟水のような指標で価値化するというイメージは興味深い一方で、そうして価値化された空気の良し悪し、好みといった価値観がメジャー化した世界では、得られる空気の質において世界的な格差(講演中でも、会社や家に比べ学校にいる子どもたちの空気の質はそれほど保たれていないことの問題が触れられていたが、もっと深刻な、南北問題などの経済格差に基づくようなもの)が生じうるのではないかと考えた。現在でも、大気汚染などの環境問題が積極的に解決すべきものとして問題視される地域とそうでない地域に格差が生じる(環境レイシズムなど)という問題は生じているが、ダイキンのようなメーカーの技術革新によって空気のクオリティにおけるこれまでにない新たな軸での価値化が進めば、汚染物質を取り除くといったマイナス面の除去に加えて、新たなプラス面の付加によって作り出される「よりよい空気資源」を誰が得られるかについては倫理的・文化的な問題が発生するだろう。これについては、これまでの環境団体(ユニセフなど)の取り組みや、水質資源など類似の資源で発生した問題(治水工事、ダム建設など)でどのような政治的、経済的な選択が行われてきたかを参考に考えられる問題かもしれないと考えた。(2)なぜ気持ちのいい空気が再現できないのか?これを考える時に、本当に提供したいものが、気持ちのいい空気であるかを見直す必要があると感じた。気持ちのいい空気とは、これは、香りの成分ではなくて、自然環境にいることの視覚的なものが関連していると思う。それを視覚から得られる「プラセボ」的な思い込みが空気に匂いづけをさせていると考えられる。これは、唾液採取の時に、梅干しやレモンの写真を見ると唾液が余計出てくることと類似的に捉えられる。気持ちいい、酸っぱいといった感覚が画像から刺激されるために、そのように感じるのではないか。それでは高原と同様の気持ちのいい空気を提供するために、画像や動画を見ることでその作用が得られると推測される。そうなると、ここで提供したいものを、「気持ちのいい空気」そのものではなくて、気持ちのいい空気によって得られる「なんらかの感情や感覚的反応」にフォーカスを移す必要があると考える。それは御社も自覚しておられると思うが、空気を通じて届けたいもの、ではなく、空気による感覚を通じて届けたいものという捉え方ができるのではないか。
次に、空気の価値とは、可変なものではないのか?例えば、東南アジアなどにいくとき、我々旅行客が求めるものは「熱気に溢れ雑然として、エスニックの香りがする」空気であり、「草原や森林の中でのマイナスイオンたっぷりの」空気ではない。講義の中で、空気の価値が一元化されているように感じた。綺麗で人が心身ともに健康であるための空気は、あくまで一つの価値に過ぎない。そこで御社が提供したい価値は、狭義のものに限定されることなく、ターゲットに応じた空気の提供ができることが良いと感じた。(教養学部・3年)