2023年3月23日(木)、現代作家アーカイヴ文学インタヴュー第27回の公開収録が、東京大学駒場キャンパスで行われた。今回のゲストは詩人の平出隆氏である。聞き手はロシア文学を専門とする澤直哉氏(早稲田大学)が務めた。今回はオンラインと対面のハイブリッド形式での実施となったが、対面形式の実現は約3年ぶりのことである。
平出氏の話はある印象的なエピソードから始まった。中学2年生のとき、彼は数学史、特に非ユークリッド幾何学の発見の歴史に魅了されていたという。そこで夢中になっていた数学者たちへの「オマージュ」を当時の学級新聞に寄せたところ、教師に「この詩はすばらしい」と賞賛された。しかし自分は個人的な「オマージュ」を書いたのであり、詩を書いた意識はなかった、そしてこの体験が詩を書くきっかけになったと平出氏は語った。
極めて個人的な想いを綴った散文(オマージュ)が、一般的な芸術カテゴリーとしての詩に属するものとして評価されたという体験。これを起点に語り出された彼の人生と詩作は、散文と詩、エッセイと小説、個的なものと類的なもの、実部と虚部といった対立する二項の関係性、その「あいだ」を探るものであった。
たとえば文芸編集者として同時期に澁澤龍彦と川崎長太郎の担当をしていたというエピソードがあった。一般的に前者は幻想小説、後者は私小説の分野に区分けされる作家だが、彼らと深く親交を結んだ平出氏によれば、両者はともに小説とエッセイの「あいだ」を問題にしていたという。
俳句の季語についても、それは共同のクラウドに蓄積された記憶であると平出氏は語る。その点において、すぐれた俳句作品とは実部と虚部が常に入れ替わり続けるものであるという。つまりここでは、作品は、作者に固有の詩作や経験と共同的に蓄積された記憶との「あいだ」を架橋するものであるという平出氏の芸術観が表明されていると言えるだろう。
また、雑誌で連載した作品を単行本の形で刊行するまでに10年以上の長い時間が掛かるという話題も取り上げられた。たとえば、『猫の客』は「13年もの」、『葉書でドナルド・エヴァンズに』は「17年もの」と、まるで熟成された年代物のウィスキーのような言い方がなされた。これほど時間が掛かるのは、蓄積する時間の厚みの中で「重ね書き」する必要があるからだと平出氏は語る。言い換えれば、当初の作品に時間をかけて変更を加えていくことによって、ひとり(個的なもの)でありながらもある種の共同性(類的なもの)へと作品を開いていくことになると言えるだろう。
平出氏の話の中心にあったのは、詩と散文の「あいだ」を見据え、その二元論を超えるという命題だった。だがそれは様々なエピソードに彩られながら、実に精彩に富んだ形で語られた。Zoomで視聴された方々、そしてあいにくの天候にも関わらず会場まで足を運び聴講された多くの方々は、平出氏の真摯かつ精妙な語り口に聞き入っていた。インタビュー映像は後日、飯田橋文学会のウェブサイトで公開されるので、当日参加できなかった方もぜひご覧いただきたい。
報告:中田崚太郎(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)
写真:村田真衣(東京大学大学院総合文化研究科修士課程)