2023年1月16日、シリーズ講演・討論「東洋美学の生成と進行」の第一回「東洋美学の可能性——「生の術」をめぐって」が開催された。講演者は小田部胤久氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)、コメンテーターは星野太氏(東京大学大学院総合文化研究科准教授)であった。
(講演者:小田部胤久氏)
(コメンテーター:星野太氏)
(企画者・司会者:丁乙氏)
本ブログ報告者の丁乙(EAA特任研究員)は企画者・司会者として、まずイベントの趣旨を説明した。すなわち、東洋美学と称されている分野は未だ適切に位置付けられてきたとは言えないという問題意識から、その射程とあり方を考え直すということであった。東洋美学の研究を行う際にしばしば(西洋のカントやヘーゲルと異なって)その意義を問われたという経験から、まず東洋美学というジャンル自体の正当性を論証する必要性を感じ取ったのである。
小田部氏はこのような課題に応えるため、東洋美学が「西洋美学」との対比を通じて形成されたという歴史的事実に立ち戻り、岡倉覚三(天心)(1863-1913)の三著作、すなわち『東洋の理想――とりわけ日本の芸術に関連して』(1903)、『日本の覚醒』(1904)、『茶の本』(1906)を取り上げ、東洋美学を西洋のそれに対して正当化する際に提起された四つの類型をまとめて詳述した。そのうち、第一の類型「ヘーゲル史観(「象徴的・古典的・ロマン的」は東西に共通する図式である)」、第二の類型「ルネサンス史観(明治維新を東洋自身の文化の再編成として捉える)」、第三の類型「不二一元論(過去の文化が重層的に積み重なったものとする)」に対し、第四の類型「生の術(the art of living)」がとりわけ重要であると指摘された。
「生の術」とは、生活のなかに息づく営みとしての茶道を念頭においている。この議論は、フェノロサ(1853-1908)の美学講義で言及された「生活と美の融合」を「東洋美学」の特徴と考える立場や、『荘子』の養生主篇をふまえた「技」と「道」の関係に依拠している。この類型は西洋の議論(プロティノス流の「発出論」など)との比較によって、西洋的思想のモデルに回収できない、つまり「東洋美学」の可能性の在処であることが示された。
星野氏のコメントでは、講演の重点を一層明確化しながら、さらにユク・ホイ『中国における技術への問い』(2016、EAAにおける読書会に関してこちらを参照)における「宇宙論(cosmology)」や、九鬼周造(1888-1941)の「日本芸術における「無限」の表現」論といった東西比較に資する補助線が提示された。引き続いて討論でも「道」をめぐる他の近代的な解釈、「生の術」のあり方のさらなる可能性が提示され、東西比較のための具体的・方法論的アプローチに関する議論を深めた。道家思想以外の伝統的思想の影響や、「東洋」の範囲と定義、「東洋」のなかの異なる地域の思想の相違、そして現代アートへの関心といった数多くの質問とコメントが得られた。今回は東洋美学を再検討するといういささか大きなテーマのもとで、具体的な道筋を整理できたと言えるであろう。
報告者:丁乙(EAA特任研究員)