「現代中国の思想状況を知る」シリーズ第1回
劉擎氏との対話——劉擎「グローバル想像の再構築:「天下」の理想から新世界主義へ」
2022年7月27日
文章・翻訳:石井剛
2022年度から、わたしたちは「現代中国の思想状況を知る」シリーズとして、まだ日本語にはほとんど翻訳紹介されていない中国の代表的な知識人に、その著作をめぐってインタヴューを行う企画を開始しました。今回はそれらの中から劉擎さん(政治哲学、華東師範大学)の「グローバル創造の再構築:「天下」の理想から新世界主義へ」(2015年)について行われた対話を翻訳してここに掲載します。
1 対話の趣旨
石井剛:このたびは、華東師範大学政治学部の劉擎教授をお招きしました。劉擎教授はわたしたち東京大学の研究者との間でもうかなり長期にわたる交流があります。今日は、劉さんが2015年に発表した論文「グローバル想像の再構築:「天下」の理想から新世界主義へ」をめぐって議論したいと思います。実は、この論文が書かれていた頃は、ちょうどわたしたちと劉擎教授との往き来が最も盛んだったころにあたります。インターネット上の記事を探してみると、次のように一連の研究活動を整理できます。2014年7月、香港の民間学術団体である亜際書院が上海近郊の金沢古鎮に中国内外の研究者を集めて、三日間にわたるサマー・キャンプ型の研究会を開催しました。2014年11月、東京大学UTCP、華東師範大学、延世大学が共同で「新しい普遍性」に関するシンポジウムを開催しました。2016年7月、金沢古鎮で再度研究会が開かれ、「東アジア的現実における天下体系」について集中的に議論しました。2016年10月、華東師範大学の招待により、わたしたちは上海で「東アジアを考える」と題する研究会を開催しました。これら合計4回の活動において、劉擎教授はすべてに参加しただけでなく中核的な役割を果たされたわけですが、その中で一貫して論じていたテーマがこの「新世界主義」です。とくに2014年の金沢会議における議論はその後編集して『当中国深入世界——東亜視角下的“中国崛起”』(中国が世界に深く入るとき——東アジア的視座における“中国の勃興”)というタイトルで2016年に香港で出版されています。
それからかなりの時間が経ち、この論文には当時とはまた異なった特別な意味が加わっているかと思います。まず、趙汀陽の『天下体系』が2005年に初めて出版されてから、「天下」概念が未来の世界政治システムの一つのあり方として西洋の学術界で次第に注目を集めるようになりました。2016年には、趙汀陽は『天下的当代性』(天下の今日性)を出版し、「天下」概念をさらに展開し、国際的な注目を呼んでいます。すでに英語、フランス語、ドイツ語などの翻訳が出ています。しかし、重要なのは趙汀陽の「天下」概念が提出された事実やその内容ばかりではありません。より重要なのは、中国の政治哲学においては、伝統的にずっと世界主義的な想像や理想が存在してきたということです。例えば、Minghui Hu, Johan Elverskog, Cosmopolitanism in China, 1600-1950などはそうした事実をトレースした研究です。わたしたちは趙汀陽の「天下体系」理論を孤立した哲学現象であると見るのではなく、中国からの世界主義想像を現代中国哲学思想、ひいては世界哲学のコンテクストのなかに置くことによって、問題を複雑化し、それによって、中国学術思想のある種の緊張感の中で世界主義的思潮が生まれてきていることのバイタリティを理解しつつ、それらとの対話のチャネルを太くすることを求めながら、共により豊かな未来世界のイメージを構築していくことです。言うまでもなく、今日の世界システムがさらされているプレッシャーは大きくなるばかりであり、それと同時に、新しい世界を想像しようとする渇望が湧いてきています。「天下」、「世界共和国」(カントや柄谷行人)、「世界政府」(趙汀陽、ブラウン元英国首相)など、「世界」を重要なアジェンダとするべきだという主張は絶えたことがありません。劉擎さんの「新世界主義」は中国の学者による世界想像として、趙汀陽の重要な仕事に対するレスポンスでもあります。これを紹介する意義は言うまでもないでしょう。
劉擎教授の「新世界主義」は趙汀陽の「天下体系」理論から直に触発されたものです。また同時に、許紀霖の「新天下主義」とは密接な対話的関係にあります。容易に見て取れるように、劉擎は「世界」概念によって「天下」概念に取って代えようとしています。それが劉擎のオリジナリティが最も集中的に表れている点です。換言すれば、「天下」と「世界」の微妙ではあるが根本的なちがいこそが「新世界主義」の中心的な意義であると言えます。劉擎によると、「天下」概念が放棄されねばならない理由は二つあります。第一に、世界史の進展によって前近代的帝国を主体とする世界秩序モデルはすでに崩壊し、モーゲンソーが言う「ネイションの政治」に取って代わられ、ネイション・ステイト(国民国家)を主体とする国際システムができあがっていること。第二に、こうした近代的な世界観のもとで中国から「天下」モデルを提唱することは中国の平和的勃興にとって必ずしも有利ではないどころか、悪意をもった解釈者によって利用される機会すらあるということ。こうした認識に立って、劉擎教授は、「文明中心論からの訣別」を掲げ、「文明横断的な対話と協力に基づく世界秩序へ」向かうべく、コスモ(普遍的な宇宙)とポリス(ローカルな政治主体)とが結合する「新世界主義」(新コスモポリタニズム)を提唱するのです。
「新世界主義」は方法論の次元ではおおよそ四つの側面に分けられます。第一に関係性。劉擎は、儒家思想を主とする中国の伝統思想の中にその資源があると考えています。今日の学者の中には童世駿のように「間主体性」を「主体性」に優先させようとする主張があると劉擎は言及しています。そうした議論の中では、他者との協働を通じて「より十全たる人間になることを学ぶプロセス」こそが人の主体性の本当の意味であるとされます。2つ目が遭遇論です。関係性概念は、人の相互関係には本質的に動態的な変化が含まれていることを示唆しています。したがって、文化アイデンティティや民族アイデンティティなどを含むいかなる集団アイデンティティも閉鎖的で孤立したものではありえず、凝り固まって変化しないものでもありません。そうではなく、他者との絶え間ない出会い(「遭遇」)のなかで互いに学び、互いに互いを形づくっていく動態的なプロセスであると劉擎は言います。第三に同心円構造。世界主義(コスモポリタニズム)を以上のように解釈することによって、ローカルな国家と人類が共存する世界の全体は多重複合的な関係に帰結することになります。劉擎はヌスバウムが提唱した「同心円構造」という概念を使ってこうした関係を解釈しようとしています。4つ目は重なり合うコンセンサス(overlapping consensus)です。言うまでもなくこれはロールズの後期における中心的なコンセプトですね。
「新世界主義」は「それなりと理由と信頼のできる希望である」と劉擎は言います。わたしはこれに強く賛同しています。今日は皆さんとこの希望を共にしながら、遙かなる未来に対するイメージを膨らませながら、対話を続け、共に考えていくためのよい機会にしたいと思います。
2 「新世界主義」の今日的意義
劉擎:わたしはとても驚いたのです。なぜならこの論文はもう発表してから7年もたっているのに、今日はこれについて話したいといわれているのですから。しかし、わたしのこの論文がすばらしいものだったからだとは思っていません。ただ、グローバルな想像を求めようとすること自体は、こういう時代背景の下で世界各地で起こっているのでしょうし、似たような考え方もたくさんあるでしょう。全然別の可能性を想像している人もたくさんいるはずです。だからこそこのアジェンダは大切なのです。わたし自身がやったのは単なる初歩的な試みにすぎません。ラフなアイデアにすぎないのです。いくつかの原因があって、この論文はその後進展を見ることがありませんでした。ただ、単著を書く計画はあるのです。もっともそれはまだ書いていないのですが。今になってふりかえって見ると、この論文はちょっとユートピア的すぎました。哲学者が部屋にこもって問題を考えているかのような印象を与えてしまうかも知れません。しかし、これは決してユートピアではないのです。2015年に発表したものではありますが、構想は2013年に始まりました。ですからもう10年ほどになります。わたしには緊密な関係をもつ大学を越えたグループがあります。「大観群組」というグループです。わたしはこの群組のなかでもう十数年にわたる協力を続けています。わたしが担当しているのは比較哲学というか基礎理論のフレームワークに関わるものです。
この十年来のことを振り返ると、2016年にアメリカでトランプが大統領に選ればれたあと、イギリスがEUを離脱し、ポピュリズムが巻き起こり、とても強力な感染症のパンデミックがあり、ロシア・ウクライナ戦争に至りました。それはまるで一世紀前のヨーロッパ政局がもどってきたかのようです。
これはきわめて複雑な状況です。ディレンマのなかにいるようです。グローバル政治はもはや純然たるネイション・ステイトを単一の中心として政治を考える時代にはもどりにくくなってしまいました。そうした古い時代の政治秩序は、20世紀のうちにすでに深刻な衝撃とチャレンジを受けていたのです。概ね1970年代以来、国際政治理論はネイション・ステイトを越えるような国際的協力とガヴァナンスのメカニズムを熱くなって議論してきました。しかし一方では、最近のグローバル化が強烈なバックラッシュを惹き起こしています。二つの相反するパワーが共存することによってわたしたちはディレンマに陥っているのです。おそらく、将来の長い時間にわたって、わたしたちが安定的な世界秩序モデルを探し出すことはきっと無理でしょう。アメリカ主導のいわゆるリベラルな国際秩序であろうと、わたしたちが期待しているような諸地域の統合によって形成されるより包摂的でより平等で、より民主的な国際秩序であろうと、安定したパワーによって支持を獲得するには至っていません。ですから、わたしたちは長期にわたって確実性の乏しい「臨時状態」の構造のなかにいることになるでしょう。
ここにはある種の可能性があります。それはわたしたちが望み想像するのとは全く反対の可能性です。つまり、暴力によって問題を解決しようとする試みです。より強硬な決断によって内と外、わたしたちと彼ら、敵と友を分け隔てることによって、確実な秩序を獲得しようとすることです。これはある種原始的な衝動と言うべきものですが、多くの民族地域では自己理解と自己想像の内部に根深く埋め込まれています。ですから戦争は常にあり得るのです。しかし、その一方で、少なくともわたしたち世代の人々は、相互の協力や交流によってもたらされる利点についても身体で知っています。その利点は中国のリーダーたちが主張する内容にも合致しています。つまり、協力すれば双方が立つけれど闘ってしまえばどちらも傷を負うとか、協力してウィンウィンを目指すのだとか、「人類運命共同体」だとかの主張です。仮にわたしたちが、これらを単なる外交辞令とか権謀術数の話術だと見るだけではなく、これらの主張の価値にまじめに向き合うなら、これらの中には掘り下げるだけのポテンシャルがたくさんあります。そしてこのことはわたしたちを一つの現実に向き合わせることになります。つまり、国と国の交流関係はすでにここまで深く密接になったのであり、完全に自主的なネイション・ステイトの実体などは最早あり得ないのです。これこそはわたしたちがはっきりと認識すべき世界の現実なのかも知れません。
かつての比較的自足的な生活世界は18世紀以降になると打ち破られました。その境界が打ち破られたのです。境界とは何でしょうか。境界とは一人一人の生活の境界であり、その中には物理的な境界があります。例えば、居住、人的交流、物資の供給などです。また精神的な境界もあります。例えば、情報、知識、認識の枠組み、価値観、宗教、振興などです。これらの境界は典型的な伝統社会においては重なり合うものでした。わたしが知っている人、居住地、わたしの物資などはいずれも地元のものばかりでしたし、知識や価値観もそうでした。わたしたちは、地元の生活に自足することができていたのです。そうした世界は近代化の進展の中で18世紀には打破されるようになりました。中国においては概ね19世紀末ごろからそれが打ち破られていきます。最初は沿海地域からでしたが次第に内陸へと広がっていきました。今日に至ると、もはや誰も純然たる地元生活を送ることがなくなったと言えるのではないでしょうか。これはエリート階層においてそうであるだけではないのです。ふつうの人々の世界イメ―ジ、または自らの生活に関する想像もそうですが、それらはいずれもテクノロジーによって送り届けられる情報に依存しています。テレビ、流行歌、映画、得られる情報や知識、それらのいずれもが完全に地元のものであることは不可能になってしまいました。物質生活においてもそうです。物資の供給と消費は地元の範囲をはるかに超えているだけでなく、国境すらも越えています。わたしたちが今日論じているサプライ・チェーンなどは、往々にして数か国から数十か国に及ぶほど複雑化しています。これに応じて、国境横断的に対応すべき問題がさまざまに生じてきました。パンデミックの発生はその中でも突出した例でした。これが示しているのは、完全に自給自足できる地域などどこにもないのだということであり、秩序の確立と維持は地元の政府や国の政府によって完全に決定されるものではないということです。ある地域が独立自治による生活を主張し、自主的に決めた方法によってローカルで特殊な価値観による文化を求めることにあこがれたとしても、その目標を実現するためには、地元を越えたはるかに広い秩序やトータルな世界秩序に依存しないわけにはいきません。
こうした世界においては、アメリカや中国のように強大な国家ですら、あらゆる実務において単独で自らの運命を決定することはできません。この世界にはもはや島嶼がないのです。これがわたしたちの今いる現実です。これはまたハーバーマスが言った「世界内政」の時代であるとも言えます。つまり、わたしたちはグローバルな視野からわたしたちの生活に向き合わねばならないのです。わたしたちの生活はすでにグローバルなものであり、以前は全く無関係だった人やものごとがあなたの日常生活に影響を与えているかもしれないのです。例えば、どこか遠くにいる科学者が研究の中で気候温暖化は大部分が人為的に作られたものだと論証し、しかもその見方には説得力があるので、世界中の政治家たちの対策決定に影響を与えています。「京都議定書」や「パリ協定」などです。これらの協議はそれぞれの国において一連の政策として具体化されていきます。それらの政策は、一部の業界の発展に直接影響を与えることになるでしょう。例えば、テキサス州の油田労働者にとっては、仕事の将来が影響を受けることになります。その時になって人は気づきます。自分の職業人生や運命が遠くの科学的な発見やそれによって生まれた政策によって左右されてしまうというのに、自分にはその理由が全然わからない、と。そうなると人は生活の自主性が完全に奪われてしまったような感覚を覚えるでしょう。こうした影響の因果連鎖は長大なもので国境を越えるものです。そしてこれこそがわたしたちの生活の現実なのです。わたしたちは世界の範囲の中ですでに相互に依存するようになってきており、そうした相互依存は一人一人の生活の重要な影響要因になっています。こうした事実はわたしたちが向き合って考えるべきものです。そしてこれはまさに世界秩序の問題であり、わたしたち個々人の生活秩序の問題です。
中国にとって、こうした局面はどのような問題につながるでしょうか。中国はとても古い文明の伝統をもっているだけではなく、とても近代的な技術と、強大な経済を有しています。総人口も膨大です。しかし最近20年来、とても強力なナショナリズムが巻き起こっています。ところが、このナショナリズムは、必ずしも中国の伝統にもともとあった思想ではありません。わたしたちはルシアン・パイ(Lucian Pye)の有名な言葉を知っています。彼は、「中国はネイション・ステイトではなく、ネイション・ステイトを擬装した文明である」と言っていました。しかし、装っていた時間が長くなると本当のネイション・ステイトに変わってしまうのかも知れません。今日の中国はまさにネイション・ステイトですし、そればかりか、とても強いナショナルな感情があります。
もちろん、ナショナリズムはさまざまな複雑な形態を採ります。ある種のナショナリズム思想は自民族と多民族の平等と相互尊重を主張します。これは比較的温和な形態で、人類共通の価値や利益と共存できるものです。しかし、別のナショナリズムは自民族優越論を奉じています。この形態は武を貴び極端で排外的なナショナリズムへと変貌する可能性があります。最近20年来、心配なナショナリズム情緒が中国で次第に流行しはじめています。それは「永遠の友人はなく永遠の利益だけがある」として、国益を至高のものとして信奉し、国益を越える普遍的な正義などは存在しないと考えるような傾向です。それらは同時に国益を軍事的経済的実力であると狭く定義しています。実力こそがすべてだと信じているのです。こうした信念は往々にして実力による政治(realpolitik)のあこがれとして現れることになります。「弱肉強食」こそが政治の根本ロジックだと考えて、力で相手をねじ伏せて民族的栄誉を獲得して強国の夢を実現することを望んでいるのです。こうしたナショナリズムは、アメリカの覇権への反対として現れますが、ある意味「覇気」をたいへん尊んでいるのですから覇権的秩序そのものへの反対であるとは限りません。むしろ、アメリカに成り代わって自らが新たな「覇主」になることを望んでいるのでしょう。もちろん、こうした形態のナショナリズムがすべての中国人を引きつけているわけではありませんが、一部の民衆にはかなり明らかな影響力があります。このことは多くの学者や知識人を深い不安に陥らせています。わたしかすれば、こうした情緒は中国文化にもとからあったものではなく、一世紀ほど前に西洋のいくつかの地域で流行していた社会ダーウィニズムに近いものです。これは中国の儒家的天下思想に反するものですし、マルクス主義や共産主義の革命理想にも符合しません。その意味では、こうした極端なナショナリズムは有害であるばかりでなく「非中国的」でもあります。では、どうすれば、できるだけ効果的な方法でこうした危険なナショナリズムに対応することができるでしょうか。わたしがこの論文を書くことになった根本的な問題意識はこういうことなのです。
わたしの専門とする研究領域は中国の伝統思想ではありませんが、わたしはずっと儒家思想に対して(一定の留保はあるけれど)敬意と親近感を抱いてきました。わたしが思うには、極端なナショナリズムを宥めて改良するために中国の伝統的な思想資源を援用することはリベラリズム理論にすべて依拠してしまうよりも中国の読者にとってはもっと魅力と説得力がありそうです。もちろん、天下という理想の今日的な相関性を探ることはわたしの論述を組み立てる際には全く考慮の範囲外だったわけでもないのですが、より重要だったのは、思想そのものの価値がそこにはあったということです。中国の天下思想はおそらく、西洋の世界主義(コスモポリタニズム)的伝統と深いレベルで対話することができるはずであり、そのなかからわたしたちの時代が必要とする新しいグローバルな想像を豊かにできるものです。
では、世界主義はユートピア思想なのでしょうか。もちろん、それがある種の批評であるとするなら、ありきたりの話にすぎません。しかし、今日の世界に存在しているたくさんの政治的実体は、中国やアメリカ、EUも含めて、歴史的にはいずれも遙かなるユートピアだったのです。ちょっと想像してみましょう。250年あまりにも及ぶ中国の戦国時代に、今日のようにかくも巨大な統一中国のことを誰かが想像したとしたら、それはきっとユートピアの幻想だと思われたにちがいありません。アメリカの建国にせよ、EUの設立にせよ、皆ユートピアの産物なのです。現在の国際政治理論はリアリズムの理論に主流が移ってきましたが、リアリズム国際理論の大家であるハンス・モーゲンソーを読み直してみると、そこにあった世界主義に関する卓見が無視されてきたことに気づくでしょう。モーゲンソーは隠れた世界主義者だったとわたしは思っています。彼はハンナ・アレントとかつてたいへん密接な思想交流と個人的な友情を結んでいました。
モーゲンソーの古典的著作『国家間の政治』(Politics among Nations、日本語版は『国際政治』または『国際政治学』)には「永久平和は不可能である、世界国家(world state)がない限りは」という名言が繰り返し引用されています。しかし、読者はたいていその前半分だけしか覚えていません。そしてそこから「衝突は世界政治の本質である」と断定しているのです。それは「世界国家(政府)」など出現するはずがないと当たり前のように仮定してしまっているからです。しかしそれは必ずしもモーゲンソーの意図ではありませんでした。そうでなければ、彼は第9部の中でわざわざ2章を割いて「世界国家(world state)」や「世界共同体」について議論するはずがないのです。モーゲンソーは世界国家成立の可能条件についてまじめに考えていたのです。彼はそのためにネイション横断的政体について三つのプロトタイプを論じました。それは、ローマ帝国、スウェーデン、アメリカです。彼はこう結論します。ローマ帝国のように征服によって世界秩序を打ち立てるモデルは現代においては最早あり得ず、スウェーデン(四つの言語と22の民族から構成され、百年から二百年の分裂と統合を経てようやくできあがって連合政治体)は偶然の地政学的産物であってその模倣はできない。モーゲンソーにとって、参考すべき価値があるのはアメリカだけでした。アメリカモデルの特徴は「アメリカ人民が政府を設立するより先にすでに一つの共同社会を形成していた」ことにあります。このことから、彼はUNESCOやその他の国際組織がどうやって文化的融和や機能的協調のために役割を発揮し、「相異なる国の人民が共通需要を共に満たし」、「世界共同体」の設立基礎を形成しうるかについて分析しています。
このモーゲンソーの名著は1948年に初版が刊行されました。その後70年を経た今日、「世界共同体」はまだ現実になっていません。しかし、全然想像できないものではなくなっています。経済的繁栄、文化の交流の発展、文明対話と平和、あるいは貧困や人道的危機、感染症流行などへの対策、グローバルな気候や環境のコントロール、さらにはテロ脅威の防止など、さまざまな国の人民は確かに益々たくさんのことを共通に必要とするようになりました。人類は単独のネイション・ステイトでは解決できない問題や、実現を望むことができない目標に多く直面しています。理想的な将来像としての「人類運命共同体」にはすでに現実的な必要性や可能性の基礎が具わっているのです。「世界国家」を議論するにはまだ早すぎるのかもしれませんが、グローバル・ガヴァナンスについては、すでにアジェンダにのぼっています。このことは必ずしもネイション・ステイトが時代おくれになったとか、最早重要ではなくなってしまったということを意味しているわけではありません。グローバル化の進展は必ずしも、ネイション・ステイトを跳び越えたり迂回したりすることを求めるわけではなく、ネイション・ステイトにもとづくながらそれらによって進められていくことは全く可能です。したがって、わたしたちは国民アイデンティティとグローバル・アイデンティティを同時に持つことができます。その意味で、わたしたちはナショナリズムとグローバリズムの対立を克服し乗り越えていくことはできるでしょう。天下思想について創造的な再解釈を行うことは、グローバル創造を再構築するために貢献できるものであるはずです。
3 ヌスバウムの「同心円構造」と「新世界主義」
石井剛:劉擎教授にいくつかおうかがいしたいと思います。まず、ヌスバウムの「同心円構造」についてです。ヌスバウムのこの言い方は、日本で批判を受けています。有名な哲学者の河野哲也は、次のように述べています。「私はこの立場がとても信じられない。故郷から宗教的迫害や民族的差別を受けて難民となった人々、隣国から侵略を受けた人々、故郷の経済的疲弊で移民とならざるを得なかった人々、障害や階級的出自、ジェンダーゆえに差別され別の国に活路を見出そうとした人々、いや、もっと国内規模で言えば、DVを受けたのちグループホームに居場所を見つけた人々、などのことがまったく考慮されていないのではないかと思うからである。」(岩波書店『思想』2017年6月号「思想の言葉」)
もしかするとこれは極端な批判なのかも知れません。ヌスバウムは河野が想像するような苦難のさなかにいる人々のことを想像していなかったとは限りませんから。しかし、近代国家の網の目のように張りめぐらされた支配は確かに特定の境遇にいる人々にとってはたいへん息苦しいものですし、故郷を失った難民たちもいます。では、ヌスバウムに代わってこの河野の批判に応えるとしたら劉擎さんは何と言いますか。
劉擎:わたしはこの河野さんほど敏感ではないのかも知れません。わたしはヌスバウムのこの概念を使って、わたし自身の思想へと応用してみました。わたしは、ヌスバウムの「同心円」は一定不変の構造であるとは見ていません。わたしが考えるに、これは他者と自己との関係を処理する構造であり、ある種の共生的関係なのです。その「円の中心」は固定した不変のものではないのです。自らの自己理解が他者を包摂し受け入れることができるのです。ひとたび他者を受け入れてしまえば、この受容と包摂のプロセスそのものはもともとの円の中心を改変することになるでしょう。この中心は石のように永遠不変のものではないのです。ですから、ヌスバウムの描いた同心円構造は、わたしにしてみれば開放的なものです。人間のアイデンティティは本来多様なものであって、円の中心は一つだけではありえません。人は関係性のなかの存在ですから。また、同心円のイメージはミスリーディングになってしまう恐れもあるでしょう。それは物理的な空間の遠近から他者と自己の関係を定義していますので。しかし、今日、物理的空間が人と人との親疎関係を定義することは難しくなっています。ここでは、既定のアイデンティティと自由な結合としての社会アイデンティティとがかかわってきます。一方では血縁に基づく有機的な社会が衰退または解体し、他方では見知らぬ人同士の社会が出現しました。アンソニー・D・スミスはネイションのエスニックな起源は自然に形成されたわけではないと指摘しています。とても小さな部落社会において、血縁関係は真実ですし重要でもあります。しかし、近代化のなかで、そうした「差序構造」は再構築され、または克服されていきました。差序構造は親疎遠近に基づくものですが、そうした親疎遠近はいまでは考えなおされる必要があります。地政学的な地理概念も含めて、これらはあいまいになってきたのです。石井さんはわたしからはるか遠くに離れていますけれど、20メートルしか離れていないお隣さんに比べて、わたしにはずっと親しく感じられます。これは当たり前のことです。いまわたしはとある団地に住んでいますけれど、誰もお互いに知ることはないし、関心を持つことは尚のことありえません。最近になってパンデミックが起こってからは少し変わってきましたが。
ですから、円の中心とは結局何なのでしょうか。ヌスバウムは教条的にそれを確定してしまったわけではないとわたしは思います。
ただ、その一方で、河野哲也さんの批判はたいへん意義があるとも思います。裏切られ、差別され、汚された人々に対して、わたしたちはどうやって彼らを同心円のなかに招き入れるのでしょうか。わたしはそれはできると思います。わたしが他者と自己の関係を開放的なものだと見さえすればですが。逆にわたしたちは、もしも彼らをそうした関係のなかに招き入れなかったとしたら、彼らはどうやってそこに組み込まれていくべきかと問うことも可能です。女性蔑視や家庭内暴力はネイション・ステイトの中で起こりえるものです。ドイツでは大量の難民を受け入れようとするユートピア的衝動が生じたことがありました。メルケルは保守主義者でしたが、シリア難民の子どもアランちゃんの遺体がトルコの海岸に打ち上げられた写真を見てショックを受けました。当時、マスメディアの多くが彼女を支持しました。しかし、その後ドイツでは彼女の「聖母の心」が批判されます。わたしたちドイツは善いことをしたが、このままそうしつづけてはいけないのだと言うのです。ドイツがあれほど多くの難民をシリアから受け入れたとき、彼らは他者と自己の関係を再定義できなかったのだろうか、円の中心とその周辺を再定義できなかったのだろうか、わたしたちはそう思わざるを得ません。わたしはそれはできただろうと思います。
ですから、リベラリズムとナショナリズムの関係を論じた別の論文の中で、現在のネイション・ステイト想像はある種の構築物であり、それが抽象的に構築されてからずいぶん長い時間が経ってしまったのだとわたしは論じました。中国ではだいたい百年ぐらいですが、西洋では(ウェストファリア条約から)だいたい三、四百年になります。わたしたちはネイション・ステイトという想像の構築物をすでに「実体化」(reification)しているのです。しかし、こうした想像の構築物は、さまざまな方向、さまざまなレベルへと展開することができるはずです。
フランスの思想家メーストルは国家アイデンティティについて、「選択的抽象化」だとしているのは一つの例です。彼には世界中どこにも「人」なるものは存在しないのだという有名な言葉があります。彼がその生涯のなかで出会ったことがあるのは、フランス人、イタリア人、ドイツ人などであり、「人」に出会ったことはないというのです。そのころ、人は抽象的なものであると誤解されていました。しかし、人は常に具体的なものです。例えば、フランス人、イタリア人、ペルシャ人のようにです。しかし、そこには「地球人」はいない、彼はそう言いました。これはあたかも人の普遍的な抽象性に対する強力な反論でであり、ネイションの真実性にあぐらをかいているもののように見えます。しかし、彼はあることを見落としています。つまり、フランス人、イタリア人、ドイツ人などもある種普遍的な中傷なのです。メーストルのロジックやレトリックを借りて、わたしはこのように言うこともできます——わたしは「中国人」に会ったことはないと。わたしが会ったことがあるのは、四川人、上海人、北京人、湖南人、はたまた海南人、新疆人ではあるけれど、「中国人」に会ったことはありませんと。階級に敏感な人なら、自分は「フランス人」に会ったことはないと言うでしょう。国王、皇室メンバー、貴族、第三階級に会ったことがあるだけで、「フランス人」に知り合ったことはないと。またジェンダー意識の強い人は男、女、あるいはその他の性別の人に会ったことはあるけれど、単なる「人」にあったことはないと言うかも知れません。
では、同心円構造はわたしたちにどのようなヒントを与えてくれるでしょうか。それはつまり、わたしたちのひとつひとつのアイデンティティはいずれも自己の個別性に基づく何らかの抽象化であり、そうした抽象性は相異なるレベルや方向に向かって展開しうるということです。例えば、わたしがどの団地の人であるとか、上海人であるとかいうのも実は抽象のひとつです。こうした抽象化は一つずつ上に向かい、国家のレベルまで上ると、わたしは中国人であるということになります。しかし、こうした抽象化のプロセスは、どうしてネイション・ステイトのレベルで止まらなければならないのでしょうか。どうしてさらに高いレベルまで抽象化することができないのでしょうか。もちろん、ネイション・ステイトには特定の意義があるのです。わたしたちは現在のところネイション・ステイトの政治環境の中にいるわけですから。つまり、ネイション・ステイトは法の共同体を提供しているのであり、このことはいまのところ他に替えが効きません。EUは国を越えた地域的な法の共同体を模索し始めています。世界が一つの法の共同体になるのはまだはるか先のことです。しかし、ヌスバウムの概念を借りながら、アイデンティティ構造の固着化と単一化を打破して、より多様な空間と他者への包摂性へと開放していきたいものだと思います。
石井剛:なるほど。同心円構造はそもそも一定不変なのではなく、強い可塑性と複数性があるというわけですね。そうであるならば、鍵となるのはアイデンティティの基礎という、本来さまざまに相異なる関係性に基づいて構築されていくものをどのように想像するかということになります。こうした観点に基づいて、あなたは新世界主義を唱えて、新しいアイデンティティ関係の基礎を構想しようとなさっているわけですね。
4 関係性と遭遇論から「人」を再定義する
次の質問は、カントの『永遠平和論』と「新世界主義」の関係についてです。柄谷行人は『帝国の構造』のなかで、カントが『永遠平和論』で述べていた「愛国」とはパトリオティズムのことであって、郷土に対する感情であるから、近代ネイション・ステイトの枠組みおける愛国的(国民的)感情としてのナショナリズムとは異なるのだと言っています。そして柄谷は、カントの理想の最も深いところには、帝国システムにおける感情の要素がまだ残っているのだと考えます。つまり、近代国家はパトリオティズムをナショナリズムへと統合していったのですが、多種の文化が共存していた前近代の帝国においては、ナショナリズムに回収されないパトリオティズムが十分に発揮されていたというのです。柄谷はカントの理論がライプニッツを経由してアウグスティヌスにまでたどり着くことを深く信じていますが、アウグスティヌスこそは、コスモポリタニズムとパトリオティズムを結びつけた上で「隣人愛」に基づく「神の国」を構想しようとした哲学者でした。柄谷は「世界-帝国」の復活によって「世界-経済」としての近代的「資本-ネイション-国家」三位一体の国際秩序を克服していくべきだとしています。柄谷には、中国という「帝国の遺産を内に含んだ国家」(これは柄谷の言ったことばではなく、趙汀陽が『恵此中国』の中で使った「天下を内に含んだ国家」と言ったのをわたしが真似して解釈したものですが)には帝国の復活を実現する可能性があると考えている節があります。少なくとも、彼は中華人民共和国の統治モデルにはかなり賛同の姿勢を見せています。彼は次のように述べています。
もし中国に自由民主主義的な体制ができるなら、少数民族が独立するだけでなく、漢族も地域的な諸勢力に分解してしまうでしょう。いかに民主主義的であろうと、そのような事態を招くような政権は民意に支持されない。つまり、天命=民意にもとづく正統性をもちえない。ゆえに、長続きしないでしょう。のみならず、そのような方向をとることは、世界史的な観点から見ても愚かしい。(柄谷行人『帝国の構造』、青土社、2014年、171ページ)
こうした議論からすると、劉擎さんが提起する「関係性」と「遭遇論」は帝国的秩序の下ではより実現しやすいのかも知れません。少なくとも次のように問うことはできるでしょう。ネイション・ステイトを前提とする近代政治哲学は、どうして「関係性」と「遭遇論」を人の人たりうるための中心的要素に据えることができず、人を理性的な個人的主体であると想像しようとするのだろうかと。逆に言えば、もしもあなたの考えに沿って、関係性と遭遇論の原則から人を再定義しようとするなら、そこから出てくる新しい政治は、近代的ネイション・ステイトの枠組みを揺るがすことになるのでしょうか。
劉擎:これは深い問題ですね。しかし同時に難しい問題です。わたしにはうまく答えられないかも知れません。柄谷のカント批判は正しいと思います。パトリオティズムということばは中国語で愛国主義と訳されます。このことばのもともとの意味には「国家」という意味は含まれていません。それはただ単にplace、場所にすぎません。では、この「場所」はどのように理解すればいいでしょうか。これを故郷と理解するのがわたしたちのもともとの想像です。しかし、もし外国へ出て行ってしまったとしたら、中国がわたしの故郷だと言うことができます。ところが、あんなに大きい中国がどうやって故郷になるというのでしょう。もちろんそれは可能でしょう。なぜなら、言語、風俗、飲食の豊かさを自己理解の資源としたときに、なにも自分が生まれた場所(故郷)にとらわれることなく中国を想像できるからです。では、世界内政という視点から考えた場合どうでしょう。そうするとあたららしい想像の視野が開けてきます。つまり、わたしたちの故郷は地球でもあるのです。これは今日、すでに不可能ではありません。なぜなら、わたしたちの生活は世界全体の中から物質的な資源や、情報、文化的影響などを獲得していますから。わたしはある意味においては、ここの地元の人間です。わたしは上海の黄埔区の人間でもあり、閔行区の人間でもあります。しかし、わたしは地球人でもあります。わたしたちはこのように多層的なアイデンティティをもっているのです。この意味では、柄谷は正しいと思います。わたしはこの本を読んだことはないのですが。
しかし、「帝国」という、今日一部の左派の学者たちもよく好んでいる概念であり理論的資源については、わたしは漠然とした不安を覚えます。帝国には二つの解きがたい問題があります。一つは暴力です。わたしたちは現在、どうして世界主義を実現することが難しいのでしょうか。アンソニー・ギデンズが『国民国家と暴力』(A Contemporary Critique of Historical Materialism, vol. 2: The Nation-state and Violence, 1985)の中で言っているように、暴力は益々受け入れがたいものになっています。ネイション・ステイトの誕生は多くの場合暴力、戦乱、又は革命によってなされました。近代デモクラシーの制度は流血革命と関係があるのです。しかし、いまは暴力のハードルは高くなっています。だから世界政府が必要なのです。ところが、世界帝国によってそれを成し遂げようとするのはまさに暴力によることになります。同意しない部落、団体、共同体などはすべて破滅を強いられるか、徹底的に周縁化することになるでしょう。今日それは受け入れがたいものです。EUのすばらしいところは暴力的な戦争によって一つにまとめあげようとはしないところです。まさに暴力や戦争に対する恐怖感、つまり、第二次世界大戦に対する反省に由来しているのです。これはEUのとてもすごいところです。ただしそれはまたさほど堅固なものでもありません。なぜなら、鮮血によってまとまった共同体はある意味神聖さを帯びているからです。ですから柄谷がアウグスティヌスにもどろうと主張しているのは理にかなっていると思います。
いま帝国への想像を応用するのが難しいのは、暴力だけではなく、ヒエラルキー構造にもあります。帝国はそれが「自由な帝国」であったとしても、つねにヒエラルキー(等級性)を伴うものですし、往々にして文明の中心を一つ前提しているものです。この中心の権力を制約することはとても難しい。したがって、暴力性、等級性、中心権力の制約不可能性という三重の問題があるのです。帝国は新世界主義を想像するための一つの母体になりうるかもしれません。しかしわたしはこれについてはとても強い警戒感、もっと言えば斥けたい気持ちをもっています。帝国は世界史上で民族の地方性を超越したことのある、現実に存在したことのある政治体です。しかしわたしは、未来の新世界主義が新世界帝国であるとは思いません。もちろん、ネグリ=ハートのように脱中心的な帝国の想像もあります。この脱中心化された帝国は資本によって完成するものであり、プロレタリアによる、「マルチチュード」によって完成される新しい帝国になりうるのかどうかはまだ答えのない問題です。
石井さんの質問に簡単に答えましょう。近代政治はネイション・ステイトの前提のもとで、どうして「関係性」と「遭遇論」を人が人である所以の中核的な要素にしてこなかったのか?ここには二つ隠されたポイントがあります。まず、個人主義を「アトム化した個人」であると考えるのは誤解です。個人主義というのはある特殊な自己理解として、まさに特定の社会関係における産物です。それは高度に流動的な、見知らぬ人によって構成される近代社会という特定の社会関係において形成されたものです。それは関係から離脱したものではなくて、時によっては不安定な、自主的な契約関係であり、伝統的な血縁依頼型の有機的共同体の関係性にとって代わったものです。個人主義には他者に遭遇する可能性がより多くありますし、出会いのなかで自己は再構築されていきます。その代価は確かな帰属意識を失ったことです。それによってより高度な自由を獲得したのです。これに類似しているのがネイション・ステイトの文化アイデンティティです。新しい世界主義はネイション・ステイトに対する超越ですが、ネイションの帰属意識による確かさが緩むことになるでしょう。しかしこれはあり得ないことではありません。実際、そうした超越は中国においてはすでに実現しています。ただわたしたちがそれを見ないようにしてしまっているか、忘れてしまっているのです。中国人は自らのアイデンティティ構成をかくも広大な、地元のふるさとをはるかに超越した「中華民族」としてのアイデンティティであると見なすことができているのです。これはふしぎなくらいのことなのですが、実現してしまっています。ある程度は天下の思想に負っているのではないでしょうか。では、なぜわたしたちはさらにもう少し遠くまで行けないのでしょうか。
わたしが思うに、帝国の想像は今日の意義においては、確かにネイション・ステイトを超越する現実的な可能性を帯びています。しかし新世界主義の政治はネイション・ステイトの枠組みを壊すことを求めていません。それはネイション・ステイトをゆるがせ改変していくでしょうが、ネイション・ステイトには現実的な重要性があるのです。ネイション・ステイトは現代生活のあらゆるアジェンダを単独で決定することができません。グローバルな共同のガヴァナンスが求められる分野は今後もっと多くなっていくことでしょう。新世界主義のありえるかたちはネイション・ステイトを相対化すること、あるいは地方化することです。そうなったとき、わたしたちは自らの国を一つの省として理解することでしょう。広東省の人は自分が広東省の人間であると思っていますし、上海人は自分が上海人であると思っていますが、どちらの場合も国家の地元に対する正当な介入を拒絶することはありません。あらゆる介入に対して、わたしたちは疑義を唱えることもできますし、告訴することもできますが、それでもなお省政府よりも高いレベルの政体が介入することを受け入れることができます。もちろん、正当な政治のためには民主的なメカニズムが必要です。ですから、将来、世界政治が生まれて、百年とかに百年後に、世界共同統治メカニズムが生まれるとしたら、それは世界の何百ものネイションによる共和になることでしょう。それぞれのネイション・ステイトにおける地域性ある民族的特殊性を尊重しながら、ここの市民の基本的権利にも配慮をする。こうした理想像は政治や統治の具体的なモデルにおいては難しいですし、現在のリベラルな政体モデルをそのまま使うこともできないでしょう。しかし、それは想像できないものではありません。研究してもよい問題であると思います。
5 グローバルな共和政体
石井剛:劉擎さんはレヴェンソンの「近代中国史とは、儒家的派閥政治から新しい世界の政治、階級に基づきながら構想された国際的政治への転換の運動の歴史である」という言葉を引いています。柄谷もまた、新中国の革命にたいへんポジティヴな評価を与えています。しかしレヴェンソンと少し異なるのは、柄谷は毛沢東が指導した革命をマルクス=レーニン主義の産物であると見るだけではなく、帝国の遺産が活用されたものであるとみていることです。その典型的なあらわれは土地政策と民族政策です。柄谷が言うには、この二つはどちらも伝統王朝下で皇帝が力を入れて取り組んだ帝国の伝統であり、したがって、毛沢東の革命は中国の帝国経験の上に成り立っています。しかしわたしが思うに、毛沢東が指導した中国革命には、明らかに国際主義あるいは世界主義への関心がありました。柄谷の見方には同意しますが、彼は意図的にこの部分を薄めていると思います。柄谷の判断とレヴェンソンの分析を結びつけられるような概念があるとしたら、それは「人民」であるかもしれません。農民にせよ、各民族にせよ、中華人民共和国の体制下ではすでに帝国時代の「民」ではなくなっており、「人民」という資格で歴史の舞台に登場しました。そして、「人民」は国際協力や世界団結を実現するための主体でもあったのです。そこで、「新世界主義」の理論において、「人民」はどのような位置を占めるのか教えていただきたいです。
劉擎:この問題には確かに考えさせられますね。レヴェンソンは残念ながら若くして亡くなってしまいました。わずか49歳です。もしまだ彼が生きていて、現代の議論に参加することができれば、わたしたちが思いつかないような啓発をもたらしてくれたことでしょう。わたしが引用したその部分は、読んでみるとややわかりにくいものです。アメリカの中国研究者ですらも分かりにくいと感じるものです。しかし、そこには中国革命に含まれる複雑で混淆的な二重性が示唆されています。地方性と世界性の奇妙な混淆、伝統的帝国の思想遺産とマルクス主義的ユートピア想像の結合などです。柄谷は彼の個人的な理由で、毛沢東思想のなかの帝国的遺伝子が部分的には土地政策と民族政策に現れているのだということを過度に強調したのでしょう。ただわたしの感覚では石井さんの観察は敏感なものですし、納得できるものです。例えば、民族政策の言説において、「農奴が翻身して解放を得る」とか「親しいかどうかは階級によって決まる」のような言い方は、階級意識によってエスニシティや宗教によるアイデンティティを乗り越えようとするもので、それらを旧帝国の遺産であるとは言いにくい。
もちろん、毛沢東は複雑な人物で、彼の言論や思想の多くは特定の時代背景や問題意識に支えられています。しかしわたしの見るところ、中国革命の最終的な目標に関して彼が述べたもののなかでは、彼には世界主義的な視点がありました。例えば三つの世界論や中国は覇権を唱えないという約束、さらには「中国は世界に対して大きく貢献しなければならない」などの言い方です。個人的には、毛沢東のこれらの議論はレトリックである以上に、彼の世界に対する理想に発していたと信じています。「人民」という概念については、毛沢東の議論のなかにも多様性があるでしょう。彼が「人民大衆」について語るとき、それが示していたのは、相対的に具体的な集団であり、多くの民族によって構成されている集団でした。しかし別の文脈では(例えば「人民、人民だけが世界史を想像する新の原動力である」と言ったときなど)、人民は主体性と能動性を持つと同時に、相対的に抽象的で同質的な概念でした。ただいずれにしても、それらは帝王の時代の「臣民」ではありませんでした。
「人民」の「世界主義」理論における位置づけについてですが、石井さんの問いは非常に重要です。なぜならこれはグローバル・ガヴァナンスの民主化の問題に関わってくるからです。ただわたしはまだ深く考えたことがありません。しかし、「人民」には複層的な意義があります。英語の中では、「ネイション」を表すのに使うこともできますし、憲法的意義においては、抽象的な集団主体性を持つことにもなります。しかし、カール・シュミットが構想したような「同質化した人民」はわたしに言わせれば、実行することはできませんし、望むべきでもありません。生活世界において、人民アイデンティティは個人から小さなローカル・アイデンティティ、そしてナショナル・アイデンティティ、ひいてはアジア人民、東アジア人民といった地域的アイデンティティ、さらには全世界人民にまで及びうるものです。人民が多様なアイデンティティを包摂しつつ統合し、新世界主義の政治における民主的実践の具体的メカニズムや方法を見つけ出せることをわたしは望んでいます。中国革命の伝統について言えば、「人民」は非常に強い階級意識を帯びており、物理的な地域性や血統的種族を超越するような特性を具えています。これは華夷の弁に似ているところがあります。韓愈は「夷狄であっても華夏になればそれは華夏であるし、華夏であっても夷狄になればそれは夷狄である」と言っていますが、これはたいへんおもしろいです。内藤湖南の文明中心移動説もこの点に基づいているようですね。しかしそれは危険につながりかねないやり方です。未来の世界主義の政治において、人民は必ずしも階級意識を用いる必要はありませんが、階級意識は地域や種族に比べるとある種の超越性を持っています。この点は新世界主義が参考にできる思想資源でもあります。
次に、未来の民主政治は、既成の諸国による統治経験を参考にすることができます。西洋のリベラル・デモクラシー、北欧、例えばデンマークの経験と教訓など。北欧地域の政治は帝国的心性がとても少ないですね。いま、ネイション・ステイトの超越について語ろうとすると、すぐに人々は帝国モデルを借用したくなります。帝国はさまざまな地方文化におけるある種の自由や民主を包摂するのかも知れませんが、帝国的想像は現代においてはあまり受け入れることのできるものではありません。それがもつ制約されない中心権力は取り除かれる必要がありますし、ヒエラルキーも否定されなければなりません。これは今なお極めて挑戦的な課題です。人民の政治アイデンティティに関して、わたしはグローバル・デモクラシーの枠組みにおいて初めて実現するものだと思っています。そのために、わたしたちはネイションの政治の凝り固まった想像を克服して、世界諸民族間における「和して同ぜず」、「同を求めて異をのこす(求同存異)」の連合を想像しなければなりません。それは新たなグローバルな共和政体です。これのためには、中国の伝統資源や、ヨーロッパや日本の世界主義に関する議論などがどれもヒントを提供できます。しかし、現実に基づく統治政体の枠組みを構想するのは、非常に重要でかつ困難な作業です。目下の環境を思えば、これはあまりにも遠すぎて実現しそうもありません。しかし逆に言えば、現状に不満があるからこそ、わたしたちにはいっそうユートピア的想像が必要なのです。そうしたユートピアはリアリズムのユートピアであるべきです。欲することができる(可欲的)だけではなく、実現可能性(可行的)のある希望でなければなりません。
6 主権のあり方について
石井剛:たいへんありがとうございます。すばらしいお話で心を打たれました。わたしたちを取り巻く現実は確かに厳しさを増すばかりですが、わたしたちは可欲性の角度から世界を見つめ直すことによって、きっと可行性を見つけることができるでしょう。あなたのお話から受けた印象ですが、アレントからモーゲンソーというリアリズムの政治理論かにもどることの中にこそ、可欲的な世界への関心があるのだと思います。このことはわたしたちが今後参考にできる重要な出発点であるかも知れません。また、人民と階級の問題に対しても非常に同感です。同心円構造についても、わたしたちはそれを凝り固まったものだと見るべきではありません。実は、儒家的な倫理もやはり同心円構造ですね。あなたが言う「差序構造」です。わたしたちは今日では、グローバルなサプライチェンーンや人的交流のネットワークの中に暮らしています。わたしたちはすでに地方の束縛を打ち破ってしまっています。こうした現実の中からもう一度同心円構造について想像するなら、つまり、柔らかい同心円とか生きた同心円について想像するなら、かつての儒教的礼教の束縛を乗り越えて、別様の儒家思想について論じることもできそうです。
ここで、中島隆博さんからのメッセージを紹介したいと思います。中島さんは主権の問題を尋ねたいのだそうです。これは大きな問題で、具体的なことに触れられていないのですが、わたしなりに理解して敷衍してみると、中島さんはかつて主権を再解釈するためのフランス語の概念として「パルタージュ」に言及していました。つまり分かちあうということですね。分かちあう主権です。あるいは主権の重なり合いと理解してもいいかもしれません。
劉擎:中島隆博先生も参加してくれるのはありがたいです。中島さんの問いに応答する能力があるかどうかわかりませんが、わたし自身の主権に関する考えについてちょっと述べてみます。わたしは純粋な主権はまだ真に実現したことがないと思っています。特に近代社会においてはそうです。わたしたちは自分の生活を掌握しようとし、自らの運命の主宰者になろうとします。しかし厳密に言えば、絶対的な自主性は未だに完全な実現を見たことがありません。個人、地方、国家、どのレベルにおいてもそうです。絶対的で至高の自主権はたぶん神だけに属するものです。世俗的世界において、主権は実際には多かれ少なかれ分かちあうものです。一部の主権は譲渡されるのです。しかしザインとしてのこうした状況はやむにやまれずそうなっているのであり、「ゾルレン」の意味において、人々は十全たる主権への渇望を放棄することがありません。なぜでしょうか。主権の放棄は不自由を意味し、徹底的な主権の譲渡は奴隷になることを意味しているからです。しかし、ルソーが構想した民主政治において、一般意志(general will)に従うことは自由の喪失を意味しませんでした。なぜなら一般意志への服従はわたしたち自らがそう意志するからであり、そればかりかわたしたち自らの最もよい意志だからです。ルソーの洞察は今日においても重要な啓発的意義を持っています。まず、公共生活においては、あらゆるステークホルダーの意向が民主的な統治プロセスの中に組み込まれなければなりません。しかし現代においては、公共的な諸問題(エネルギー、環境、平和、疾病コントロールなど)に関わってステークホルダーがどんどん多くなっているのはグローバルな現象ですので、いかなる地域的なオーソリティも自らの意向だけにしたがっていわゆる「決断」を正当に下すことはできなくなっています。そうしてみると、わたしたちは国際的協力や共同統治を必要としているのであり、したがって主権の分かちあいはもはや不可思議なことではありません。また、「一般意志」と「全体意志」についてルソーが行った区別は別の問題を考えさせるものです。意向に正しいものとまちがったものはあるのでしょうか。現代民主理論において、「人民の意向は至高である」という信奉があるのならば、人民の意向が正しいかどうかを問う必要はなくなりそうですし、あるいは、人民の意向はつねに正しいと仮定すればよさそうです。個人や集団の意向は最高レベルの裁定となり、同時にそうした意向が正しいかどうかの判断が欠落している場合、これは民主政治の難問となります。しかしわたしたちはこの問題について考えることができません。そうしてみると、主権の分かち合いは二つの側面から考える事ができます。ひとつは多元的な主体間の共同統治と分かちあいであり、もう一つは意向と真理らしさの間でバランスをとることです。
7 世界国家なき世界経済
王欽:少しわたしの困惑について話させてください。劉先生が最初にお話になった重要な問題にもどりたいと思います。つまり、地元の特殊なニーズを満たすという問題です。わたしたちはより普遍的な、もしくはよりグローバルな視野や地平をもった条件を逃れられないということでした。物質的条件、精神的条件、文化的条件、あるいは政治的条件などいずれの場合においてもそうだということでした。現実にはこれは新しい現象ではありません。例えば、シュミットは『大地のノモス』のなかで、アメリカのモンロー主義以来、経済の政治からの分離(擬似的な分離かもしれません)が世界的な現象になったのだと言っています。もちろん、彼はアメリカのやりかたがとてもずる賢いのだと考えていたのですが。しかし、20世紀以降、こうしたあたかも分離したようであるが実際には非常に密接に結びついたフレームワーク、あるいはそうした形象を逃れられる国はなくなってしまいました。これについては、わたしたちはマルクスの枠組みでこうした形象について解釈することが可能でしょうし、近代化論の枠組みでも可能かもしれません。ただ、鍵となるのは、こうしたふしぎな形象そのものです。日本の評論家東浩紀は、漫画を用いてこうした状況に対して説明しようとしています。それは一つの怪物についてですが、その身体(経済)は一つしかないのに頭(政治)はたくさんあるというものです。現在のグローバル政治はそうした状況そのものだと言えるでしょう。あらゆる国家は、経済的、文化的に密接に結びついています。しかしそれらが表現するそれぞれの政治的主体性は、相変わらず相互に独立しているかのようです。これがわたしの困惑の出発点となっています。
ところが、こうした状況はかつてであれば信じることができなかったような事件において現れてきています。例えば、トランプが大統領に就任したときのことです。わたしが印象深く覚えているのは、アメリカの多くの友人たちがトランプの就任に絶望感を覚えていたことです。トランプが当選する前には、彼らはヒラリー・クリントンに対して憤慨していました。しかし、トランプが当選すると、彼らはヒラリーを支持すべきだったと言い始めたのです。そして、トランプは当選したけれど、わたしたちは今後も民間レベルで密接な協力を続けていくことができるし、国際間の旅行や交流も強化していける、トランプは国境を強く意識しているけれども、わたしたちの交流をぶち壊すことはできないなどと言うのです。ところが、ここには問題があります。まさに、こうした特定の社会階層に属する文化人やホワイトカラー、中産階級たちこそは、まさに国際旅行のできる文化資本や能力をもっていて、とても理想的な状態の下で、いわゆる文化的もしくは思想的なブローバル化を簡単に実現できるのです。アメリカでも、日本や中国でも、こういう階層にいる人々たちはトランプのような人を支持しようとは考えていません。つまり、そうした人は文化的でない、粗野な地元型の人間であると思われているのです。では地元型の人々はどうしてトランプを支持しているのでしょうか。その大きな原因は、彼らこそは自ら望んでいるわけではないのに、自分たちの生活が自分では理解しようのない外部的な原因に影響されるという局面に巻き込まれてしまっていることです。例えば、地元のある小さな経営者について考えてみましょう。そこでありうる状況と言えば、その人が自分の会社をきちんと経営できるかどうかが、かなりの程度、わけのわからない気候の政治によって決まってしまうのです。この人はこの点を理解することができず、したがって、社会全体について理解することができないのです。グローバルな政治的経済的構造の全体はこの人の日常生活とは関係がないにもかかわらず、確実にこの人の生活に影響を与えています。こうした人々がトランプを支持しているのですが、その大きな原因は、彼らはそうすることによって、政治プロセスに想像の中でつながろうとしているということです。あたかもトランプが自分たちの生活のために何らかの変化をもたらすためのある種の証明であるかのようになっています。これは厄介な問題だと思います。
このことはシュミットが1930年代に書いた『政治的なるものの概念』の中での議論を思い起こさせます。シュミットがこの本を書いたのは、ドイツの国力が社会に対して弱体化しており、社会のさまざまな勢力が国家のオーソリティを争奪しようとしていたころです。宗教団体、経済団体、文化団体など、各種の中間的な社会団体が皆国家に挑戦していました。シュミット的に言えば、彼らは本来国家がもつべき権威性を盗み取ってしまったのです。したがって、シュミットはこうした社会的組織を越えてもう一度国家の正当性を証明しようとしたかったのでした。つまり国家こそがあらゆる重要な問題において決断を下す主権者であるべきなのだということです。わたしたちは、大げさでなく、いまの中国国内にはいかなる中間団体も存在していないと言うことができます。NGOにせよ、宗教団体、政治団体、文化組織にせよ、効果的な動員力が認められる、自発的に組織された社会中間団体は全く存在しません。その結果もたらされるのは、アメリカの多くの人々が直接トランプに自分を結びつけようとしているのと同じように、多くの人々が、より簡単に自らと非常に大きな物語とを結びつけてしまうことです。例えば、若い人たちは「資本家」という単語を軽々と口にすることができるようです。わたしは二〇歳そこそこの若い人がそうできるような時代をかつて見たことがありません。彼らにとっては、どんな問題であっても、資本と国家の間の対抗関係に帰結するのです。そして若い人たちは自らが当然のように国家の側に立って資本家に対抗しようとします。わたしが言いたいのは、こうした状況の中では、儒家思想であれ天下体系であれ、毛沢東の第三世界論であれ、今日の中国国内の文化エコロジーのもとでは、すべてが簡単にイデオロギー的な操作へと変質してしまうのではないかということです。これはいまのわたしにとって、とても本能的な、ほとんど身体的な困惑です。1990年代には新左派対自由主義の論争がありました。しかし、いまでもまだこの論争の延長線上で問題を論じている人たちがいます。そういう人たちに知的な誠実さがあるのだろうかとわたしは疑わしく思っています。
劉擎:王欽さんはきわめて重要な問題を提起してくれましたね。そういう高いところに立ったグローバル主義者は世界中どこにでも見られます。彼らは生活が恵まれていますが、一方で、辱められたり、圧迫されていたり、蔑ろにされたり、忘れられているばかりの地元人民は逆にトランプ支持に傾きます。これはある問題を明るみに出すものです。つまり、ある意味で、グローバル化は少数の人間にしか受け入れられていないのではないかということです。ああいうグローバル主義者たちは豊かな資源を享受しています。全世界のプロレタリアートの連合どころか、グローバル・エリートたちが同盟を結成しているのです。中国には共産党の高級幹部や経済的に成功を収めた人たちの第二世代がいますが、彼らは地元性を文化のシンボルや飾りに使いながら、実際には高度に国際化した生活を送っています。グローバル化の恩恵に恵まれない相当数の一般人にとっては、直面している問題は「遠方から来たる暴政」にどう向き合うかということです。経済(テクノロジーや資本を含みます)のロジックは非人格的です。それはつねに生産性が高く、利潤率が高いところへと流れていきます。このロジックは脱国家的なものです。その結果、ネイション・ステイトの政治ロジックと経済ロジックに分裂が生じています。アメリカでは、トランプが国外で儲けている企業はアメリカにどれほど貢献しているのかと疑っています。彼らが中国にもっと貢献しているのではないかと疑っているのです。アメリカ西海岸のハイテク企業や東海岸のウォール街資本はグローバルに巨大な利益を獲得しています。しかし、一般的なアメリカ民衆は、グローバル化によって得られた「ボーナス」から適切な比率で分配されるべき利益を得ることが決してできていません。トランプは経済ロジックを政治のロジックに統合し、政治と経済のロジックの一致を取りもどすことを求めて、アメリカのポピュリズムや愛国主義をかき立てています。実際には、中下層レベルの民衆が苦しんでいる原因は多様でかつ複雑なのですが。グローバル化がここまで発展すると、少なからぬ主権国家は脅威を感じて、経済掌握権を完全に自らの手中に回収しようと求めています。「国民経済」に回帰することによって政治と経済の一致を取りもどそうとしているのです。中国にもこれによく似た傾向があります。しかし、経済的掌握権を完全に主権国家に回帰させることで、民衆は生活の苦境を脱することができるのでしょうか。
現在は、「国民経済」が「世界経済」に益々影響されるような時代です。しかし、わたしたちが向き合っているのは、「世界国家」(world state)なき世界経済です。この不一致は、日増しに大きくなるグローバルな課題や多くの国内問題に対応できるものではありません。もともとあった政治経済が一体となったネイション・ステイトのモデルではもはや問題を解決しようがないのです。資本、情報の流通、テクノロジー、これらはすべて高度にグローバル化しています。したがって、わたしたちは「世界内政」の枠組みの中で、経済と政治の一致性を再構築し、世界政治と世界経済の体系を融合する必要があります。この体系のなかでは、資本は思い通りに安価な労働力や労働に対する保護が行き届いていない地域で利益を図ろうとすることができなくなり、すべての人権条件を考慮しなければならなくなります。世界中の労働者に支払われる報酬が大きく異なっていることによって、先進国の労働者が失業し、発展途上国の労働者の待遇は低いままです。社会正義はグローバル正義の政治体系のもとでこそ実現可能なのです。新世界主義はそうした新しい政治経済一体のグローバル体制のために理論的な探究を行おうとするものです。これはもちろん今年でかつ遠い目標ではありますが、追求する価値のあるものです。
8 コロナ禍における市民生活
鈴木将久:あなたの論文は発表されてからもう7年が経っています。この7年の中で、世界情勢はどんどん悪くなっています。わたしたちが目にする危機もどんどん深刻になっています。では、わたしたちはいま直面している危機を前にしてどのように考えていけばいいのでしょうか。これがわたしの基本的な問いの出発点です。具体的には、今年の状況についてお話しします。わたしを困惑させつつ同時に興味深く思わせたのは、上海の状況でした。今年、新型コロナウィルス感染症により上海がロックダウンされました。上海のロックダウンは特別に重要なことだったと思います。中国にとってのみならず世界にとっても重要だったのです。このことは一連の問題を引き出しました。わたし自身は上海のロックダウンを身を以て体験したわけではなく、ロックダウン当時の上海の空気を吸うこともできなかったので、上海の状況をきちんと理解することは困難です。何とも残念なことです。あなたは上海にいらっしゃるので、ロックダウン中にはきっといろいろなことを考えたことでしょう。そこで、あなたのロックダウンに対する感想とそこから出てくるいくつかのお考えについて聞かせてもらえますか。あなたの考えはわたしたちにとっても全世界にとっても思想的に特に重要だと思いますので。
劉擎:これはまた別の問題ですが、とても大事なことです。簡単に述べましょう。個人的なレベルで言うと、最初はだいたい不可解でどうしていいかわからなかったのですが、その後は怒りと抵抗にと変わり、最終的にはある種絶望の気持ちが生まれました。つまり、運命に任せて寝そべり、麻痺したように流れに任せる、なるようになるさという、それがたぶん最も代価の小さい選択だったのです。しかし、自らの尊厳や大事にしてきた信念もそれとともに打ち捨てられてしまいました。知識人の一人として、わたしは何度か公共的なプラットフォームで自らの感想や視点を表現したかったのですが、とりわけ慎重にせねばならず、さまざまな原因でわたしはほとんど沈黙していたのです。わたしはとあるインタヴュー番組の中で、政治哲学の研究者として、いまは主に人生の哲学を論じているのだと言いました。これはアイロニカルですし、しかたのないことでした。
公共管理(パブリック・ガバナンス)の角度から言えば、上海が今回完全に失敗したとはわたしは決して思っていません。確かに、今回の上海の対応策は混乱していたものだったと言えるでしょう。なぜでしょうか。原因は上海という都市の日常生活のまわし方にあったと思います。ミクロなレベルでは、政府による行政的管理に強く依存していたわけではなく、むしろ、成熟してバイタリティがあり、法を守る良好な商業組織により依存していました。上海は最も底辺レベルの行政能力が決して強くはないのです。これまでほとんどこの点に注目した人はいませんでしたが。しかしロックダウン期間中は、商業組織が営業停止に追い込まれ、社会は底辺の行政システムのサポートをとりわけ必要とするようになったのですが、その力が備わっていないことがわかったのです。
また、上海は国際的な大都会として注目を集め、上海人は、比較的自らの不満の気持ちを表現したがっていました。それに比べて、長春のロックダウンの状況も非常に厳しいものだったのですが、現地の民衆は忍耐力が割と強かったようです。蘭州の状況もとてもたいへんでしたが、管理がもっと厳格に行われていて、警察が銃を持って民衆を監視するほどでした。最近わたしは北京を訪れたのですが、すべては秩序正しく行われているようでした。しかし、北京を離れようとしていたときに突然、北京で七日間隔離されなければいけないという通知を受け、理にかなった説明もまったくないまま、ただそれを受け入れるしかありませんでした。最もだいじなのは、こうした防疫管理モデルの制定と実行が、公開で透明な公聴会において関連分野の科学者が議論しあうということがないままに、ひたすら従うことばかりを強調して、さらには、このモデルは全世界で最もすぐれているのだと公言していたことです。それでどうやって人々を信頼させるというのでしょうか。
上海のこの二ヶ月半ほどの全面封鎖は、精神的に大きな変化をもたらしました。特に若い人の間でそうです。彼らの上海での生活レベルは比較的高いほうです。中国ではたぶんいちばんいいでしょう。しかし、いまではだいたい半分ぐらいの若者は、わたしたちの管理モデルを信頼していません。ひいては深く幻滅しています。これはとても消極的な心理です。しかし、長い目で見れば、こうした消極的な情緒は沈澱と省察を経て、積極的に中国の改革を促す力へと変わるかも知れません。
9 新たな「世界市民」へ
鈴木将久:それからもうひとつ、階級意識の問題について質問させてください。先ほどあなたは、はるか遠いけれども世界主義には可能性があると言いましたね。わたしも希望を持ってあなたの見方に賛成します。しかし同時に、帰属感というのはとても複雑だと想うのです。例えば、帰属する対象が大きくなると抽象的になって、そうすると帰属感を得るのは難しくなります。他方で、近接する地方同士ではしばしば矛盾が生じて、なかなか世界主義の帰属感が形成されません。目下の例を一つあげると、ロシアのウクライナに対する開戦はわたしたちをとても驚かせました。わたしたちは無力感も感じています。近隣関係を暴力的に解決するこうしたやりかたに対して、わたしたちは暴力主義に対抗する思想をなかなか見つけられません。背景の異なる国家や地域の間で超越的な階級意識を獲得するためにはどうすればいいと思いますか。
劉擎:鈴木さんありがとうございます。わたしがここで階級意識を論じた主な意図は、プロレタリアートの共通意識を促そうと主張することでは決してありません。何らかの特定の中身を取り出そうというのではなくて、階級をある種啓発的な例として、何らかのアイデンティティ構築の可能性を見出そうという事です。例えば、階級アイデンティティは歴史的実践の中で広範囲に存在していました。確かにそれは共通のアイデンティティを形成し、種族、言語、地域、性別などのような、あたかも「与えられた」、「自然な」アイデンティティを超越していました。では、わたしたちは、これら以外に超越的な共通のアイデンティティを構築できないのでしょうか。少なくとも、このことは想像できないことでもないし、全く不可能なことでもありません。
新世界主義にとって、既成のオプションは「世界市民」です。これは一見ひどくユートピア的です。しかしこの概念は古くからあります。グローバル化が深まった今日、もはやそれは空っぽの抽象概念ではなくなりました。もちろん、わたしたちはそれにもっと豊かな意味を与えていき、実践可能性を伴う解釈を提起していかなければなりません。これはさらに深く研究していくべきことがらで、わたしはまだ本当の意味で展開しているわけではないですが、手がかりを少し話すことはできます。
まず、市民というアイデンティティは古代のポリスに起源しています。しかしわたしたちが今日理解する市民は、政治文化的構築であって、近代ネイション・ステイトの形成と相補いながら成立したものです。市民は人々にとって唯一のアイデンティティではないし、それ以外のたくさんのアイデンティティに取って代わることもできません。特に、小さなコミュニティのアイデンティティに対してはそうです。ところが、政治的領域における市民アイデンティティの意識は往々にして、それ以外のアイデンティティを凌駕するようにして立ち現れてきます。そうして生まれた同一感覚や帰属感は強力で真実らしさを具えたものでありえます。2つ目に、鈴木さんが心配する問題、つまり帰属する対象は大きければ大きいほど抽象的になり、帰属感を得るのはより難しくなるという問題ですが、確かにこれは難しい問題です。しかし中国人として、わたしが思わざるを得ないのは、中国はこれほど大きな国でありながら、「中国市民」というアイデンティティは行的生活や政治的なことがらの中ではあまり抽象的ではなく、時にはとてもたしかな帰属感を伴うこともあるということです。
ネイション・ステイトを超越するレベルにおいては、対比的に考えてみることができます。「アジア市民」という概念を使う人はとても少ないでしょう。アジアはきっと大きすぎるのです。では、「東アジア市民」はどうでしょう。一見妙な感じがします。しかし「ヨーロッパ市民」はアイデンティティの一つとして空っぽで抽象的なものではありません。20世紀初めのことを思い出してみると、数少ないヨーロッパ人、例えばオーストリアのシュテファン・ツヴァイクとか、フランスのロマン・ロランなどははっきりと「ヨーロッパ市民」を自らのアイデンティティの一つであると見なしていました。しかし、二度の世界大戦を経て、長きにわたるヨーロッパ一体化プロセスとEUの設立を経て、「ヨーロッパ市民」というアイデンティティは次第に現実化していきました。このことから、あるアイデンティティとそれに伴う帰属感が確かなものであるかどうかと言うのは、恐らくたくさんの要素によって決まるものだとわたしは言いたいです。物理的な遠近や大小はそれに影響を与える要素ですが、歴史的実践によって作り上げられた「遠近大小」の心理的感覚や認知のあり方もとても重要な役割を果たしているのだと思います。
鈴木さんが仰ったロシアとウクライナの衝突のおいては、わたしは「ヨーロッパ市民」の意識が特に顕著に表れているのに気づきます。ロシアがいわゆる「特別な軍事行動」を始めた時、ヨーロッパ各国の反応はあれほど強烈なものでした。ヨーロッパ民衆の驚きや道徳的な義憤、そして民間における抗議があれほど激しく、多くは政府による公式の反応を超えるものだったことにわたしは特に注意しました。なぜこうなったのでしょうか。ちょっと想像してみましょう。もしロシアのウクライナ侵入が19世紀末とか20世紀初めに起こっていたとしたらどうだったでしょうか。それは全く理解可能なことでしたし、これほど強い道徳的義憤は生まれるはずもなかったでしょう。なぜなら、当時の国際秩序においては、実力こそがすべてであって、大国に近接する小国は大国の「勢力範囲」に属しており、大国の安全にとっての緩衝地帯として存在する以外になかったからです。小国には自主権がほとんどありませんでした。プーチンは相変わらず古い時代の地政学的枠組みの中に生きているかのようですが、彼だけがそうなのではなく、ロシア人ばかりでなく多くの中国人も含めて、ああいう地政学的ロジックに共感を持っています。そうはいっても、国連憲章にせよ、中国が提唱する平和五原則にせよ、同じ中心的な原則を強調しています。それは、大小にかかわらず国家はみな平等の主権を持っているというものです。しかし、多くの人はこれは外交辞令にすぎず、国際社会の本当の原則は弱肉強食の「ジャングルの法則」なのだと信じているのです。ただしこれはすでに今日の「ヨーロッパ市民」にとって受け入れられる原則ではありません。そこで、ロシア・ウクライナ戦争はすぐにロシア対ヨーロッパの戦争に変わり、同時に、ヨーロッパ市民としての共通意識を強化する歴史的事件になっていったのです。
わたしが見るところ、ロシア・ウクライナ戦争には世界史的な意義があります。最も望ましい結末は、武力的手段を用いて国際的な諍いを解決使用とすることのハードルと対価がさらに引き上げられることでしょう。つまり、政治のリーダーたちが武力で問題を解決することは、最終的にねらいとは異なる結果をもたらすということです。そうなると自らの基準に照らしても失敗だということになります。政治家が独りよがりになって最終的に自らの願いと違う結果になるというのは、マックス・ウェーバーの言う「政治的な赤ん坊」です。この戦争のあり得る結末は、プーチンが政治的な赤ん坊になるというものです。そうなると政治家たちはそこから教訓を汲み取って、似たような戦争の衝動を抑えるようになるでしょう。しかし、ロシア・ウクライナ戦争は、もう一つ別の結末をもたらすことになるかも知れません。最終的な教訓がいったいどのようなものになるのか、わたしたちはまだ観察することが必要です。
人類の出現は生物進化の結果でしたが、人類文明の発展は文化の進化を同時に含んでいます。この進化のプロセスは、直線的ではっきりした進歩のプロセスでは決してなく、複雑で多様なものです。今日の時代は進歩しているのでしょうか。そうとは言いにくいですね。時には、どうも後退しているらしいように見える事件も、それをひっくり返す力を引き出し、最終的には世界史を前に進めることもあるでしょう。第二次世界大戦はその例でした。ですから、国際情勢が人々をがっかりさせるような時であっても、わたしたちはなおも歴史の可能性に希望を寄せることができるのです。