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2022.07.14

【報告】EAA座談会「時代の危機と哲学2:隣人の語り方」

 2022年623日(木)、EAA座談会「時代の危機と哲学2:隣人の語り方」が開催された。今回は「中国」の語り方に焦点が当てられた。石井剛氏(EAA副院長、総合文化研究科)、鈴木将久氏(人文社会系研究科)、伊藤亜聖氏(社会科学研究所)が発表し、中島隆博氏(EAA院長、東洋文化研究所)と王欽氏(総合文化研究科)がコメントを述べた。
 まず石井氏は、武田泰淳の文学を手がかりに、語り尽くせない中国、あるいは把握しきれない世界の比喩としての中国を拾い上げ、世界を生成するための言語の問題と関連付けた。その上で、漢字を中心とする「文化中国」の概念を導入し、東アジア共通の過去と未来の可能性に言及した。次に鈴木氏は、魯迅の短編小説『祝福』について論じた。従来の認識で語れない他者に出会った時、我々は自己の言語をどのように変容させていくのだろうか。氏は、この大きな問題に迫ることでこそ、ポストコロナの世界のための「希望」の契機を見出せるのではないかと呼びかけた。一方、伊藤氏は日本において中国が実際どのように語られてきたに焦点を当てた。そして、コロナ以降の状況の「理解しがたい」要素を認めながらも、現在台頭しつつある「異質論」の罠に陥るのではなく、むしろ日本が中国ないし世界と共通して直面している多くの課題の再認識が必要だろうと指摘した。

 以上を受けて、中島氏がコメントを寄せた。そこで大きな論点の一つとなったのは、日本が中国の様々な「呼びかけ」に対してうまく応答できていないのではないか、という問題であった。これは、他者認識と自己認識の不可分性に帰結する一方で、さらに中島氏の言葉を借りていえば、根本的な「関与」の問題でもある。また王氏は、他者を語ることによってかえって他者を忘れてしまう危険性や、「日中」という限られた文脈からあえて離れてみることの重要性など、貴重な指摘を加えてくれた。

 議論の最後に強調されたのは「複数性」の問題であった。「文化中国」にせよ、世界としての中国にせよ、そこに「複数性」が含まれなければならない。今回の座談会で参加者が研究分野を越えて議論を交わしたことで、まさに「複数の世界」が現前したと報告者には思われた。しかし「複数の世界」を結び合わせ、包括性を持たせるような「糊」とはどういうものだろうか。それこそが、間に確保すべき「語り」の余地、あるいはある種の「場」なのかもしれない。このような「場」に当たる本座談会シリーズの今後の動きが大いに期待される。

報告:ニコロヴァ・ヴィクトリヤ(EAAリサーチ・アシスタント)
写真撮影:郭馳洋(EAA特任研究員)