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2022.06.09

【報告】2022 Sセメスター 第8回学術フロンティア講義

2022年63日(金)、学術フロンティア講義の第八回では、ゲストスピーカーに藤岡俊博氏(総合文化研究科)を迎え、「『他者』と共生する『私』とは誰か――レヴィナスの思想を手がかりに」というテーマで講演をしていただいた。

 「殺してはならない」という命令を聴くこと、それは「顔」を見るということだ。これは「顔」の概念を軸に「他者」との関係を考えたレヴィナスの主張である。ここでの「顔」とは、「私」が「他者」に対して抱く観念ではなく、「私」の内なる「他者」の観念をはみ出しながら、「語り」とともに現れるような「顔」を意味している。それは単なる事物とは異なり、「私」には所有不可能なものだ。一方、「私」が存在するためには、存在するための「場所」の所有がどうしても必要である。そのため、「私」と「他者」の共生の(不)可能性を考えるとき、それぞれの「場所」の所有と奪い合いの問題が不可避となってしまう。この問題をめぐってレヴィナスは、正義と倫理の関係性を捉え直すことで、「私」が「他者」の場所を奪っているという意識とその正当性とをつねに問い続けるという、一種の「不安定性」の重要さを提唱したのだ。

 藤岡氏の講演を受けて報告者が想起したのは、日本の文学者・武田泰淳が1938年に中国の戦線で書いた「土民の顔」という文章である。中国の文学に没頭してきた武田は、日中戦争の勃発により召集され、日本軍の一兵隊として大陸に渡らざるを得なくなった。おそらく武田は、そこで中国という「他者」に対する見方とともに、「他者」の場所を文字通りに奪おうとしている「私」への見方も激しく揺さぶられたのだろう。中国の農村で出会った中国人の「顔」を前に、武田は「一人の農民の表情の中に人間の表情をよみとる深い愛」を求め、絶望しないための「熱情」が「静かに思索する者の胸にこそ宿りうる」と考えたのである(張競・村田雄二郎編『日中の120年文芸・評論作品選3』岩波書店、2016年所収)。この体験を経て1943年に出版された代表作『司馬遷』は、彼の文学創作の始まりであり、同時に「思索の出発点」でもあったという。「私」的な形であれ、武田は「共生共死」を掲げた戦争に対して「愛」による抵抗をしたのかもしれない。

 しかし、武田の抵抗はそれで十分だったのだろうか。『司馬遷』が世に問われた時期に、レヴィナスはドイツの捕虜収容所で抑留生活を送っていた。当時のレヴィナスであれば、これにどう応答したのだろうか。

 

報告者:ニコロヴァ・ヴィクトリヤ(EAAリサーチ・アシスタント)

 

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)重たいけれども、決して目を逸らしてはいけないお話をありがとうございました。重たさの原因となったのは、他者を極めて制限的に捉えるレヴィナスの見解だったと感じています。他方、今回の講義で多少言及されたものの大きく扱われなかった言語を検討すると、少し糸口になるのではないかと考えます。つまり、問われ、答えるという文脈での言語です。レヴィナスの考えを辿ると、物理的には一つの場所を専有してしまう方向に向かってしまいます、しかし、言語であればそのような物理的な制約を超えて、他者と接することができるのではないか、と考えます。言葉を紡ぐことで、フィジカルな関係性とは異なる関係性を切り開くことができるのではないか、と期待しても良いと思います。(教養学部4年)

(2)存在することは存在するための場所を所有すること、というお話がとても印象に残った。他者の場所を簒奪している意識を持つ、などのレヴィナスの考えは、顔の話も含めて、つまるところ責任の問題だと思った。この講義の冒頭に石井先生が「東大にいることが当たり前になっていませんか」と問いかけた場面があったが、それは「今自分がこの場所を所有していることに無自覚になってはいないか」という問いだったと講義を受けた今は思う。私が今いるこの場所は、ほかの誰かの場所でありえた。それを自分は簒奪したのだということ。この意識は、レヴィナス自身が考えていなかったかもしれないが、地球全体から見た人類など、まさに幅広い共生の概念としてとらえられるのではないかと考えた。また、不安定性という言葉も強調されていたが、それは偶然性といえるのではないかという印象を持った。(というのは、今私が大学の授業で九鬼周造の『偶然性の問題』を読んでいるからなのだが)九鬼の本を読みなおすことで、この不安定性という問題にアプローチしていきたいと考えている。(文科三類)