「哲学をすることの新しい条件」——2022年5月20日に開催されたユク・ホイ氏の講演では、この言葉がしばしば取り上げられた。それは機械と生物、あるいは機械論と有機体論を対比させる素朴な二元論がもはや無効となっており、私たちはそれを超えて思考しなければならないことを意味している。さらに言うと、「サイバネティクス」に規定されたテクノロジーの発展により、機械と有機体の対立は機械の側から乗り越えられてしまっているのだ。
それを踏まえてホイ氏は、多様性の問い——あるいは「共生」の問い——を生物や精神の次元だけに終始させてはならないと主張する。というのも、それらの根底には、依然として世界を急速に均質化させつづけている単一のテクノロジーがあるからだ。したがって、技術の多様性こそが問われなければならない。
とはいえ、どうすれば技術多様性について考えることができるのだろうか? 今回はこの点については語られなかったが、私たちはいくつかの方向からこの問題を考えられるはずだ。たとえば、質疑応答で論じられた言語/エクリチュールの問いという観点はその一例だろう。一方ホイ氏自身のアプローチは、ギリシア-ヨーロッパ以外の技術哲学の数々を再構築することで、西洋由来ではないテクノロジーの原理をつくりだすというものだ。『中国における技術への問い——宇宙技芸試論』は、中国を例にこの問いに取り組んだ著作であり、その邦訳も拙訳により今年七月には刊行予定である。これを機に、日本でも技術多様性の問いが活発に論じられるようになれば幸いだ。
報告者:伊勢 康平(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)大量の情報が交錯する現代社会においては、自分の世界の中に違和感をもたらし、時には制御不能な強さをもって襲い掛かってくるような他者性に遭遇する出来事がより増えてゆくだろう。今回の講義は、まさにこの体験を実感させるものであった。海外の哲学者による講義は、これまでであれば結びつかなかったであろう分野が次々と接続される、まさに飛躍的なものであった。とはいえ今回の講義に関しては、先生の歩み寄る姿勢により好奇心を刺激され、自分自身もまたその世界へと歩み寄ってゆきたいという前向きな感情を抱くことができた。この体験こそ、まさに共生を考える一つのヒントになるのではないだろうか? (理科一類2年)(2)科学技術の進歩により機械と生物という二分法が通用しなくなっているという指摘はその通りだと思う。今回の講義はそういった状況において哲学がどうあるべきかがテーマになっていたが、昨今哲学に限らず人文学が軽視されているのは、そうした状況に人文学が追いつけていないからではないか。私の専攻は文学なので、やはりその方面からこの問題を考えてみたい。つまり、文学作品や芸術作品の分析をつうじて、この状況について考察してみたいと思った。(教養学部3年)