東京大学東アジア藝文書院(EAA)には、「世界」とアタマについたいくつかのユニットが存在する。世界史ユニット、世界哲学ユニット、世界文学ユニットがそれに該当する。それらは「世界」とはどのようなものかを零度から問い直すラディカルな視座をもって命名されたのだろうし、だからこそ世界文学ユニットに偶然割り当てられて三年が経つわたしもまた、世界であるとか文学であるといった一見するとすぐさまイメージできるように思われるなにかしらの実体の浮かぶその言葉の内実を繊細かつ批判的に検討することを小気味よく強いられつづけている——そのように喜ばしい環境がここにはあると言ってよいだろう。
いくつかの機縁が重なって、川端康成を中心とする日本文学の英語圏での翻訳状況を中心に研鑽を重ねてきた片岡真伊氏(EAA特任研究員)と、長らく大江健三郎研究をかれの故郷である大瀬でのフィールドワークも踏まえて地道に進めてきた菊間晴子氏(総合文化研究科表象文化論コース教務補佐員)と意気投合し、世界文学という概念そのものを問い直すかたちで、大江健三郎をめぐるシンポジウムを年末に企画することにあいなった。鍵となるのは、たんに大江が各国語にどのように訳されてきたのか、という視点にはとどまらず、大江という作家じしんが、ときにみずから翻訳を手がかけたりしながら、翻訳された諸国・諸時代の文学の言葉を計り知れない強度でもってみずからの創作の契機としていたその先鋭性である。
5月18日(火)夕方に集まりをもっていくつかアイディアの交換を行った。臨席した郭馳洋氏(EAA特任研究員)との会話から浮かび上がったように「批評」と呼ばれる営為そのものを揺り動かす言葉を大江は紡ぎつづけている。シンポジウムが具現化するまでのプロセスを何度かにわたってここに記録したい。
報告:髙山花子(EAA特任助教)