2022年3月29日、ジェームズ・サーギル氏(グローバルコミュニケーション研究センター)と円光門氏(EAAユース)による近著『サーギル博士と巡る東大哲学散歩 場の地理学的解釈に向けて』(シーズ・プランニング、2021年)の合評会が行われた。司会は田中有紀氏(東洋文化研究所)、評者は前野清太朗(EAA特任助教)がつとめた。田中氏と前野はこれまで「部屋と空間」プロジェクトの関連イベントを実施してきたが、空間(space)と場所(place)を主題にした本書の出版に合わせ、円光氏からの企画持ち込みを受けて合評会が実現した。
田中氏の紹介に続けて、著者の円光氏から、本書の出版意図とその現代国際関係に関する応用的な意義が述べられた。元々本書は東京大学新聞に所属していた円光氏が、サーギル氏とキャンパス内を歩きながら哲学的対話を交わす連載記事が元になっている。書籍化にあたって、サーギル氏による理論的イントロダクションと特別インタビューが追加された。本書の重要なキーワードが「不在」(absence)である。やや乱暴にまとめるなら、本書は「不在」を通じて空間に加わる社会的な力学と、「不在」を通じて浮き彫りになる「在」とを明らかにする試みの書だ。そして東京大学の空間にある諸々の場所は、この試みのための良き事例(case)である。本書のケーススタディから導かれた議論を、円光氏は現代の国際社会をめぐる議論へ落とし込んでくれた。他者を排除した「不在」によって生まれる安全保障ブロックの秩序を、「在」る他者への意識から生まれる包摂的な秩序へと組み替えることも不可能ではないのかもしれない。
同じく著者のサーギル氏は、本書の議論についてより踏み込んだ形で基調報告を行ってくれた。1970年代以降の地理学においては、人文主義的転回とよばれる潮流が生じ、地理学者たちが現代における空間と場所をめぐった人文学的議論へ意欲的に参入するようになっていった。政治的な力学によって加工された空間に残された「不在」の痕跡をさぐる試みを、サーギル氏はデリダのいう憑在論(hauntology)──流動化する後期近代において時間軸上の存在があいまいになった対象をめぐる議論になぞらえる。COVID-19パンデミックは、実のところ私たち自身の存在をも曖昧にしてしまった。ポストCOVIDの未来が見える中で、各国では人々がソーシャルディスタンス生活で失われた物理的空間を再占領(reoccupation)しようとする動きが生じている。しかし私たちはすでにオンライン空間と私たちの物理的空間を同時に生きる自由を手に入れてしまってもいる。
当日は、張政遠氏(総合文化研究科)と佐藤麻貴(EAA特任准教授)もオンラインで参加してコメントを行ってくださった。特に興味深かったのは、張氏からの和辻哲郎の「風土」論を踏まえたコメントであった。漢語の「風土」をいかに訳すべきか。張氏はオギュスタン・ベルクの訳語「milieu」を引きつつ、別の訳語として仏語「terroir」(テロワール)ないし西語「terruño」(テルーニョ)を提案する。それらの語は人を育てる(文化的)土壌であり、ふるさとともなりうることを含意する。サーギル氏からは、シェルターとしての「里」となりうるterroir / terruñoについてリプライが行われた。COVID-19は社会的隔離によって、場所への不安定さに苦しむ後期近代のヒトの姿を、むき出しに人々へ見せつけてしまった。歩くこと(散歩 walk)を通じて「不在」の痕跡をたどり、空間における自らの「在」を確かめる。ポストCOVIDの時代において、そうした実践的人文学の行為の場所を提供する開かれた場所として、大学のキャンパスは新たな役割を提供していくことが可能だろうか?
報告者:前野清太朗(EAA特任助教)