2022年2月8日、連続公開イベント第1回「フランスにおけるジェンダー論争」がオンラインで開催された。フランスの宗教社会学者セリーヌ・ベロー氏を招いた全3回のオンライン連続公開イベントの初回である。ベロー氏は社会科学高等研究院(EHESS)の教授で、フランスのカトリシズムを専門としている。EHESSは高等研究実習院(EPHE)に並ぶフランス宗教学の拠点のひとつ。EHESSの宗教社会学者でカトリシズムの専門家といえば、ダニエル・エルヴュー=レジェ氏の名前が日本でも知られているが、ベロー氏はエルヴュー=レジェ氏の後任で、現在のフランス宗教学を牽引している人物である。
本連続公開イベントは、第1回が増田一夫氏(東京大学名誉教授)の科研(基盤B「結婚の歴史再考——フランスの事情からみる(ポスト)結婚、生殖、親子、家族」)、第2・3回が伊達聖伸氏(東京大学准教授)の科研(基盤A「⻄洋社会における世俗の変容と「宗教的なもの」の再構成——学際的比較研究」)の主催で開催され、EAAは全3回で共催を務めた。第1回ではベロー氏が「みんなのための結婚から生殖補助医療へ——2010年代のフランスにおけるカトリックの「反ジェンダー」的動員の分析」と題して講演し、小門穂氏(神戸薬科大学准教授)と鈴木彩加氏(大阪大学招へい研究員)がコメンテーターとして登壇した。
ベロー氏はまず、2010年代のフランスにおけるジェンダー論争を分析した。フランスでは2013年5月26日法で同性婚が合法化された。その前後には、同性婚の合法化に賛成する左派運動「みんなのための結婚」に対抗して、合法化に反対する右派運動「みんなのためのデモ」が組織され、カトリックが大きな役割を果たした。その後、ジェンダー論争は学校での生命倫理教育を舞台に繰り広げられた。そして近年では生命倫理法の改正に伴い、生殖補助医療を独身女性や女性同士の同性カップルに拡大することが、「父なき子」を生むとして右派の抵抗運動を巻き起こし、ジェンダー論争の新たな焦点になったという。
同性婚の合法化が焦点だった頃、カトリックはかなりの組織力を発揮していた。ベロー氏によると、このときカトリックの活動家たちは、カトリックに限らず、プロテスタントやムスリムを含め、同性婚に批判的な立場をとるさまざまな人びとを動員するとともに、右派の政治家との連携を強めることに成功していた。また、「子どもの権利」や男女の「自然」な結びつきを守るといった一見世俗的な大義名分を掲げて、みずからの言説のカトリック色を薄め、信仰者に限らない広範な人びとから支持を得られるようにしていた。さらに、カトリックの内部にも本来多様な意見があるが、カトリックの活動家たちは保守的な教会関係者と協力して、表面的には統一性のある右派運動を作りあげることができていたという。
だが、生殖補助医療に焦点があたった頃、カトリックの組織力は以前に比べて小さくなったとベロー氏は指摘する。実際、同性婚が焦点だった頃には、数多くの政治家や聖職者がデモ隊に加わったが、2019年10月6日に企画された大規模デモに、そうした面々はほとんどみられなかった。ベロー氏は、カトリック信徒間での「みんなのためのデモ」に対する失望や、ジェンダー論争を扱うことに対する疲れがその背景にあると主張する。運動組織としての「みんなのためのデモ」は、同性婚が合法化されてからは次第に硬直化していたし、カトリック教会の現場では、ジェンダー論争が信徒間に軋轢を生じさせていた。さらに、同性婚や生殖補助医療の拡大に強く反対する一部の聖職者が性的スキャンダルに関与していたことも、カトリックの「反ジェンダー」運動が求心力を失った大きな要因であるという。
現代のフランスにおけるカトリシズムの実態について、これらの事例からは何がわかるのだろうか。ベロー氏はまず、フランスのカトリックはたしかにマイノリティ化しているようにみえるが、それでも比較的特権的な社会的地位にあり続けていると指摘する(カトリックのマイノリティ化については第3回の報告を参照)。実際、カトリックはジェンダー論争のなかで、フランスで長年培ってきた活動のノウハウや人的繋がりを利用して、有力な社会的アクターとして存在感を発揮することができた。不確実性に悩む現代社会において、カトリックは確実性、伝統、アイデンティティなどの担い手として立ち現れているという。
次にベロー氏が指摘するのは、カトリック内部の多様性である。同性婚に関する2012年から2013年の論争では、保守的なカトリックが動員力を発揮したために、カトリック内部の進歩的な勢力の存在が見えにくくなっていた。生殖補助医療をめぐる2019年前後の議論では、カトリックの保守的な動員力が衰えたようにみえるが、これはカトリックそのものが衰退したからというより、進歩派のフランシスコ教皇が生まれたことも手伝い、カトリック内部で進歩派の声が大きくなったからであるという。現代のフランスのカトリックは決して一枚岩ではなく、その内部に多様性を抱えているというのがベロー氏の主張である。
コメンテーターの鈴木氏は、日本の事例として、2000年代以降の「バックラッシュ」現象を紹介した。鈴木氏によれば、日本では1990年代から、「慰安婦」問題や選択的夫婦別姓をめぐり、すでに「反ジェンダー」の潮流が生じていた。だが、それがバックラッシュと呼ばれる社会現象に発展するのは2000年以降のことだという。きっかけとなったのは、1999年に制定された男女共同参画社会基本法で、男女の社会的平等を目指すこの基本法に対して、右派は「男女の性差をなくそうとしている」「家庭の崩壊につながる」などとしてネガティヴ・キャンペーンを張った。さらに、このバックラッシュは教育の場にも影響を与えており、とりわけ避妊方法などを教える性教育がバッシングにさらされているという。
続いて、コメンテーターの小門氏は、日本における生殖補助医療の現状を詳しく紹介したあと、生殖補助医療における「自然」という言葉の使われ方についても注意を促した。小門氏によると、日本では生殖補助医療に対して「自然」でないという批判が向けられることがある。だが同時に、男女のカップルの場合、子どもができることが「自然」とされる。ここには、子どもができることが「自然」とされながら、そのための生殖補助医療が「自然」ではないと批判されるというねじれがある。小門氏はこのように、生殖補助医療やジェンダーに関する日本の言説では、「自然」という言葉が論者の価値観によって、その内実をさまざまに変化させながら、ある種のレトリックとして用いられる傾向にあることを指摘した。
以上、2月8日の連続公開イベント第1回「フランスにおけるジェンダー論争」の様子を簡潔に報告してきた。社会が目指す理想としてのジェンダー平等と、それに抵抗する「反ジェンダー」的言説の対決は、遠いフランスだけの話ではなく、現代の日本がまさに直面していることでもある。ベロー氏の議論からは、このアクチュアルな問題を通して、当該社会の宗教状況を社会学的に分析する方法を学ぶことができた。鈴木氏、小門氏との講演後のやりとりからは、日仏での論争のあり方の異同や同時代性もみえてきた。残る第2回「フランス・カトリック教会と性的スキャンダル」と第3回「フランスにおける宗教的状況の特殊性」の報告も、併せてEAAのホームページにアップされる予定である。全3回の連続講演会における議論はどれも有機的に繋がっているため、併せてご覧いただきたい。
報告:田中浩喜(東京大学大学院)