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2022.02.18

【報告】『渦動する象徴―田辺哲学のダイナミズム』書評会

2021年1218日土曜日の午後、田辺元求真会とEAAの共催で、田辺元没後六十周年を記念して出版された論考集『渦動する象徴』の書評会が開催された。田辺元の研究には、なかなか若手が参入しづらいという事情を汲み、今回の書評会では大学院生、若手研究者を中心にお声がけし、当日は、司会の佐藤も含め、5名の研究者からの発表が行われた。

 

 

早稲田大学大学院博士課程の小林昌平氏からは「死者の秘密──ハイデガー、田辺、われわれ」と題して田辺とハイデガーにおける「死」の経験不可能性から生じる死の解釈の相違について、また、そこから派生して死をどう語りうるのかという点について、田辺が用いた『碧巌録』第五十五則の「道呉の弔問」の公案から死者と共にあること(実存共同)、死から超論理、跳躍、逆説、矛盾といった概念を「死者の秘密」として受け取り、死者がその絶対性をもって我々の前に現れてくるという考察が示された。京都大学大学院博士課程の山本舜氏からは『稼働する象徴』の「有からの創造——哲学史家としての田辺元——」と題し、『稼働する象徴』の田辺研究における立ち位置の考察に加え、田辺研究が現代において直面している課題として田辺哲学に対する硬直的な解釈を、どのように換骨奪胎できるのか?といった問いが発せられた。それは田辺と同時代の哲学者の比較哲学が可能にするものではなく、むしろ田辺の哲学に対する態度に学び、そこから田辺的な哲学を実践することによって、私たちが田辺の哲学的態度から新たな展開を導きだすことができるのでないか?といった大変挑戦的、意欲的な発表をいただいた。EAAの佐藤からは「生成する偶然性——有限性の超克」と題し、論考集の宮野論文に焦点を宛て、九鬼と田辺の偶然性に関する書簡集や九鬼の改定論文に垣間見える田辺の偶然性についての考察につき論じた。法政大学講師の田島樹里奈氏からは「還相に託された「友愛」と「希望」」、関東学院大学専任講師の川村覚文氏からは「国家という桎梏:政治理論から見た田辺元」と題して、それぞれお話を頂戴した。詳細は、ブログ報告では割愛するが、求真会の『求真』第27号に、それぞれの発表者からの論考が掲載予定なので、そちらを参照いただきたい。

 

書評会の後半には総合討議の時間を設け、求真会の会長である広州中山大学の廖欽彬先生、編者の一人である京都大学教授杉村靖彦先生、EAAの張政遠先生から、それぞれコメントを頂戴した。現代において田辺を読み直す意義や意味合い、また田辺の実直すぎるほどに西洋哲学を哲学史として学び自身の哲学に活かそうとした哲学的態度から学び、私たちの哲学にも実践していくことなど、暮れの押し迫る中、話題や議論に尽きず、大変楽しい書評会となった。今回は『稼働する象徴』の書評会だったため、田辺に話が集中したのだが、今後も是非、若手研究者を中心に、京都学派を読み直す現代的意義について、共に考えていきたいと思いを新たにした。

 

 

報告者:佐藤麻貴(総合文化研究科)