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2021.11.09

【報告】「文化」をめぐる対立と「人民=ピープル」の不在―コロナ禍への対応をめぐって―

2021927日(月)、神戸大学の梶谷懐先生に、『「文化」をめぐる対立と「人民=ピープル」の不在――コロナ禍への対応をめぐって』1と題したご講演をしていただく機会に恵まれた。梶谷先生は、一昨年、ジャーナリストの高口康太氏との共著である『幸福な監視国家・中国』を出版されており、ご専門である経済学だけでなく、幅広い視点から現代中国について分析されている。

1.「文化」をめぐる対立
梶谷先生は、まず民主主義国家において、100万人あたりの新型コロナウイルスの死者数が権威主義体制国家よりも多くみられるという問題を取り上げた。この問題を巡っては、「民主主義の敗北」を唱える識者と、民主主義を擁護する識者の間で議論が交わされている。しかし、梶谷先生は、ここに「文化」という視点が欠けているのではないかと指摘する。自然環境がもたらすリスク(=感染症を含む自然災害)に対処するための社会の枠組みと、人為的環境がもたらすリスク(=暴政など)に対処するための社会の枠組みは区別して考える必要があり、前者は集団主義の文化的信念が、後者は個人主義的な枠組みが根底にある。このように考えると、中国が今回、新たな感染症に上手く対処できたことは不思議ではない。
実際、世界価値観調査(World Value Survey)を元にしたイングルハートヴェルツェル図は、欧州の新教諸国や英語圏の国々が「自己表現を重視」するのに対し、中国を含む儒教文化圏の国々は「生存を重視」する傾向があることを示している。梶谷先生は、こうした文化的な差異(価値観の対立)が、今回の感染症対策にも表れているのではないかと指摘する2
今回の新型コロナウイルス感染症では、米国との文化的距離が遠いほど、感染者/死者数が抑えられるという傾向が見られた。近年、中国と西側諸国の経済的/制度的な差異は収斂しつつあるものの、だからこそ収斂しない部分(=文化的な価値観の差異)が際立ち、例えば米中間の深刻な対立を招いているのではないか。このように述べた上で、梶谷先生は異なる文化背景を持つ世界を理解することの重要性を指摘した。

2.「人民=ピープル」の不在と、市民的公共性の困難
続いて、梶谷先生は、新型コロナウイルスへの対応において、中国では「人民」という概念が非常に強調されたことを指摘した。中国では、新型ウイルスへの対応を毛沢東時代の人民戦争になぞらえ、「人民」の一体感を強調する一方で、「市民」の自由の抑制によって感染の抑え込みを図る手法が取られた。そもそも、近代社会において「人民=ピープル」と「市民」はしばしば対立しうるが3、特に中国などの第三世界の社会主義国では、市民(ブルジョワ)革命を回避しながら、共産主義政権によって資本主義化が実現したため、「人民」と「市民」の矛盾がより先鋭化しがちである。歴史的には、中国(中華人民共和国)では、「人民の敵」を作り出すことにより、「市民」の台頭を抑えて、政権の安定を図るということが繰り返されてきた。

3.文明間の「共通通貨」の追求に向けて
このように、中国社会において、近代的な「市民的公共性」を実現することは困難である。しかし、『幸福な監視国家・中国』(2019)で述べたように、功利主義とテクノロジーにより、「市民的公共性」を代替することには限界がある。梶谷先生は、最後に、何か普遍的な規範をベースに、そこから逸脱した存在として中国を捉えるのではなく、プラグマティズムの立場から、異なる文化背景を持つ存在として中国と向き合い、「普遍性」を再検討しながら中国問題に取り組む必要性があると述べた。
この後、フロアから活発に質問が出され、本来の予定時刻を大幅に延長しておよそ1時間に渡って質疑応答が行われた。現代中国を考える上で、非常に重要な示唆に富んだご講演であった。


1 https://www.eaa.c.u-tokyo.ac.jp/events/20210927-lecture/
2 ただし、世界価値観調査のような文化類型に関する指標が、WEIRDWestern, educated, industrialized, rich and democratic)な社会のバイアスを強く受けているという問題点があることも併せて指摘された。
3 ここでは、酒井隆史(2019)の議論が言及されていた。http://www.ibunsha.co.jp/contents/sakaispecial01/

 

報告者:金城恒(EAAユース4年)