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2021.05.07

【報告】2021 Sセメスター 第2回学術フロンティア講義

2021年416日(金)にオンラインで開催された学術フロンティア講義「30年後の世界へ——学問とそのについて」の第2回は、環境哲学を専門とする佐藤麻貴氏(EAA特任准教授)を講師に迎えて行われた。講義のテーマは「未来社会2050——学問を問う」である。

「自分は何者なのか」
講義は、佐藤氏の「自分は何者なのか」という自己紹介からはじまった。佐藤氏は自身の理系から文系へ転向した学歴、そして政府組織、大学や国際企業、国際組織などさまざまな現場に携わった経歴から、「人には歴史がある」と同時に、個人の学問の追求や興味関心の経緯変遷にも歴史があるという話題を提供した。

LOOK BACK TO THINK AHEAD
佐藤氏は、文理融合的な考え方への導入として、時間について取り上げた。古代ギリシアの時間概念や、見田宗介の『時間の社会比較学』(岩波文庫、1981年)における円環的・回帰的な時間概念、熱力学において時間はエネルギーの第二法則(エントロピーの増大)によってのみ捉えられることなど、時間に関する多種多様な考え方が紹介された。また未来について考える際の手法の一つであるモデリング予測を取り上げ、そこで考えられている過去、現在、未来とは、現在(t0)に対して過去は(t-n)、将来は(t+n)というように、直線的に捉えられた時間概念であることを説明した。こうしたことを通じて佐藤氏が強調したのは、IPCC議長であったR.K.パチャウリ博士が示した「LOOK  BACK TO THINK AHEAD(過去を振り返って未来を考える)」という考え方である。すなわち、現在は過去ともシームレスに繋がっており、未来を考えるということは過去を振り返り、過去からも学ばなくてはならないという観点である。

学問とその”——モデルを使った未来予測から
続いて、佐藤氏はコンピュータシミュレーションという事例を通して、学問とその「悪」の関係性について話題を展開した。具体的に取り上げられたのは、日本人にとってなじみ深い、高齢化社会の問題であった。
総務省国立社会保障・人口問題研究所から出されたデータを紐解くと、2005年以降、日本の人口は減少傾向にある。また、国勢調査に基づいた日本の長期人口推移予測によると、生産年齢人口の減少に伴う、経済規模の縮小が危惧されている。こうした高齢化社会の見通しに対し、佐藤氏は人口減少が本当に困ることなのかという疑問を投げかけた。
人口問題研究所の示したデータによると、2050年の日本の人口はおよそ9515万人となることが予測されている。勿論、人口だけに回収される問題ではないものの、豊かな現代日本思想を生んだ明治維新(1868年)の3333万人と、終戦期の1945年の7199万人と比べても、人口という指標だけで見ると、人口減少が問題だとは決して言えないはずであることが指摘された。
このようなデータ分析に対し、佐藤氏は、「未来予測は、将来像を描くための指針に過ぎず、問題は、コンピュータがはじき出すデータに、将来の何を見据えて、今から、何を準備しておくのかということだ」と解説した。

未来社会2050——それはいかなる社会か?
さらに、三菱総合研究所が示した「未来社会2050」に触れながら、佐藤氏は未来社会を構想するにあたって、グローバル社会として直面しなくてはならない、経済成長と環境保全の両立に伴う問題について解説した。1997年の京都議定書採択以来、経済成長にはエネルギー消費の増加と、それに伴う炭素排出量の増大も伴うことが、茅方程式により指摘されている。こうしたトリレンマ(経済、エネルギー消費、環境)を超克する要請として出てきたのが、「脱成長(degrowth)」や、経済成長とエネルギー消費との「切り離し(decoupling)」の議論である。こうした潮流に触れながら、佐藤氏は脱炭素が発展途上国も先進国も等しく向き合わねばならない課題である、ということを指摘した。

未来社会2050——学問を問う
IPCCシナリオ分析の原型となる考え方を示された国立環境研究所の森田恒幸博士は生前、シナリオ分析を考える際に、どのような未来に暮らしたいのか、未来に在りたい姿を考えなければならないと主張していた。佐藤氏はそれに基づき、モデリング予測に加え、さらにシナリオ分析的な要素を加えることにより、未来をよりヴィヴィッドに描く重要性を説いた。また、シナリオによる未来分析は、人間のもつ想像力・創造力そのものの発露であると指摘した。

講義の最後に、佐藤氏は学問とは何か、という問いに対して次のように応答した。すなわち学問の悪を論ずるに当たり「学問とは諸刃の刃である」。しかしながら、学問とは同時に「未来を切り開いていく原動力」であり、「多角的視野を得ることによって、不確実性の高い未来を切り開くためのツール」でもある。学問の悪のみならず、学問の悪を考察することを通して、学問の善い面にも改めて着目すべきであると指摘し、講義を締めくくった。 

当日は230名以上が集まり、EAAの活動を支えるダイキン工業株式会社の方々も出席した。講義は、熱い議論が交わされるなか終了した。

報告:滕束君(EAAリサーチ・アシスタント)

リアクション・ペーパーからの抜粋
(1)学問とは諸刃の剣であり、捉えようの問題であるとのお話があったが、学問の分野によって捉え方のマナーが異なるという場合があると思われる。例えば、文化的に現代よりもむしろ豊かだったと捉えられる明治期は、同時に政治的な混乱と経済的な打撃に覆われた危機の時代でもあった。この点で、明治期は文学や哲学、芸術の分野にとって幸福な時代であると言える一方、政治学や経済学においては悲劇が現出した時代であるとも形容できる。
学問の成果が有する意義は、それを認識する人間の捉え方によって変化するというのは大いに同意するところである。しかし、すべての捉え方を実践できる者など存在しないのだから、人がある事象を手に持つ刃で捌く一方、背中から別の刃によって刺されているという状況は避けえないものなのではないか。
私は、この問いに対するアプローチは、このバイアスの悪の存在を認識することしかないと考えている。(教養学部3年)
(2)少子高齢化にしろ、地球温暖化にしろ、世の中がそれ自体を何か絶対悪のようなものとして決めつけてしまっていて、具体的に何が困るのかという部分から目を逸らしているのではないかと思った。
数値データだけで考える事で、個々の人生であったり時間的感覚というものが削がれてしまっているのではないかと思った。
20世紀までは、戦争における敵のように、他人を悪者とすることができたが、21世紀以降は、地球温暖化のように、他人という悪者が存在せず、自分たち人間全員が悪者となってしまう時代になっていくのではないかと思った。
未来を予測することが最優先されるものではなく、未来に向けて今を生きる自分が何をするべきかということを考えることが、まず大切なのではないかと思った。
現在の多くの日本人が、日本の将来を悲観視し過ぎているのではないかと思った。
役に立つかどうかで価値が決まることもあると思うが、役に立たないからといって無価値であるという考えには違和感を感じ、有用性と価値の関係は難しいなと感じた。(文科1類1年)
(3)学問が未来の予測について考えることに使われているが、学問に求められるのはその未来をどのように捉え、どのように動いていくか考えることだと思います。例えば今日出てきた人口のデータでは、その何が問題なのか、はたまたどこが良いのか、対策をすべきなのか促していくのかについてが大切だと思います。そのような面で自分は学問はツールとしての側面が大きいと思います。ここで自分として思うのが、学問をどう生活と絡められるかです。講義後半の質問でもあったように、学問で人の精神を無視するというのは生活という精神に基づいたものに活用すると不都合にもなり得る気がします。学問は生活にどのように活用できるか、人の精神をどのように取り入れられるか、これは人々の歴史をしっかりと見つめ直すというのが大切だと思います。(理系2類)