2021年4月9日、学術フロティア講義「30年後の世界へ—学問とその“悪”について」の初回講義がZoomにて行われた。今回はガイダンスとして、コーディネーターの石井剛氏(EAA副院長)が本講義の開講趣旨の説明と各回の授業を担当する講師陣の紹介をし、約170名の受講者が出席した。
本講義の運営組織である東アジア藝文書院(EAA: East Asian Academy for New Liberal Arts)は、東京大学が北京大学との協力のもと、新しい研究・教育プラットフォームの構築を目指すジョイント・プログラムである。講義の開講趣旨の説明に入る前に、まず石井氏は、EAAのオフィスがある101号館の歴史とEAAとの関わりについて述べた。1936年の竣工以来、中国人留学生のための校舎として使われていたのが、駒場キャンパスの101号館だという。101号館にEAAのオフィスを構えた後にその史実を知り、101号館から「東アジアの新しい学問」を北京大学と共に創ることへの想いを新たにした経緯が紹介された。
そのEAAの掲げる「東アジアの新しい学問」とは、「東アジアからのリベラル・アーツ」とは何か。「リベラルアーツ」とは一般に「教養」を指すとされるが、その意味するところは掴みづらい。東アジア藝文書院の名称にある「藝文」(『漢書』藝文志に由来)には、東アジアにおけるリベラル・アーツの最も古典的な形がある、と石井氏は述べる。その歴史の大本まで遡り、新しい学問を創ろうという意気込みが、EAAの名称には込められているとの説明があった。
つづいて石井氏は、『日本を解き放つ』(東京大学出版会、2019年)において小林康夫氏(東京大学名誉教授)が触れた「火と水の不可能な結婚」の重要性に言及しつつ、EAAの目指す学問へと話を進めた。火と水の両方が作用し循環するこの世界では、産業革命以降、人間活動が大気の循環系統を揺るがすような大きな影響力を与えている。その循環のバランスをどう取り戻すかという課題では、サステナビリティ、社会、政治、文化、経済問題が絡むのみならず、人間の現存在がもつ意味そのものを問い直していく必要があると話す。「火と水」にみるようなコンフリクトを多く抱えつつも、その中にどう希望を見出してゆくのか。この問いがEAAの出発点であり、学問でその新しい形を示すことがEAAの目指すところであるとの説明があった。
以上の問題意識を踏まえたうえで石井氏は、講義タイトル「30年後の世界へ」に込められた想いを述べた。本講義の目的は、2050年という具体的な時間に何が起きるのか、単に未来予測をすることではないという。むしろ、各々が30年後の世界において、世の中で一定の地位を占め、社会的な責任を担い世界をリードする立場に置かれたとき、何をどう望むべきなのか。大切なのは、30年後の未来を予想することではなく、その世界を我々自身がどう形づくるのか問い続けることにある、と石井氏は呼びかけた。30年後というやや遠い未来を目指しつつ、どのような人間になり、どうより良い世界を構築すべきか。それには単に幅広い知識を身につけるのではなく、世界との関わり方に「自由さ」を求めること。教養とは、その自由を身につけることを意味するという。
この課題を探究するにあたり選ばれた今年度のテーマが、「学問とその“悪”について」である。世の中には様々なコンフリクトや矛盾がある中、私たちはどこかに「光」を求め続けている。だが、どこにその「光」、「希望」をつかむ糸口を得るのか。それには学問しかない、常に不十分なものでしかないからこそ学問には希望がある、という。石井氏は、20世紀は啓蒙的理性によって、人類史上最悪の「悪」が作られた時代であったと出席者の記憶を喚起し、啓蒙の後の世界ですらその「悪」が理性の場で行われてきたことを指摘する。学問は潔白なものではない。その事実を、学問をする者の一つのトラウマとして抱え、「悪」を眼差しつつ再出発する必要性があると感じ、「学問のその悪について」をテーマに据えたと述べた。
以上の講義の趣旨説明につづき、本年度の各回の講義を担当する講師陣の紹介があった。本講義は、多岐にわたる分野から前掲のテーマを探究するオムニバス授業である。駒場の礎となりその未来を支える、さまざまな分野で活躍される先生方を講師陣に迎えるほか、さらに今年はコロナ禍のオンライン環境を活かし、海外からも2名の先生が加わり、授業を担当されるとの説明があった。
初回のガイダンスは、講義の趣旨説明の合間に、参加者からの質疑応答を交える形で進められ、様々な質問が寄せられた。講義で網羅する分野が多岐にわたるためか、出席者からは、関連分野の知識はないが受講は可能かとの質問もあった。これに対し石井氏は、「知識」と「知性」は別物であり、この講義では後者を磨いて欲しいと答え、知性は知識に縛られるべきではなく、本講義に関わることで何か新しい問いを得たいという「意志」が求められると強調した。
学術フロンティア講義の「フロンティア」とは、これから開拓が始まろうとしている沃野であり、予測できない他者に否が応でも出遭う場所である。そのフロンティアにいることを一緒に楽しんで欲しいという石井氏の激励の言葉とともに、初回講義は締め括られた。
報告:片岡真伊(EAA特任研究員)