12月26日(土)、EAAオンラインワークショップ「感染症――歴史と物語とのはざまで」がZOOMウェビナーにより開催された。
中島隆博氏(EAA院長)からの開会挨拶に続けて、野家啓一氏(東北大学名誉教授)による基調講演「コロナ時代における〈生政治〉の行方」が行われた。野家氏は作家・瀬名秀明氏の『ウイルスVS人類』(文芸春秋、2020年)より引用を行って、現在の状況はパンデミックとの闘いなのではなく現代社会(でいままで隠蔽されていた問題)との闘いなのではないか、と述べる。COVID-19は、科学的合理性を欠いた政治決断や医療においてのリスクの不公正な配分などの形を通して、科学コミュニケーション、リスク社会、社会的分断といったこれまで「学問」が論じてきたテーマを可視的に私たちへ示している(例えば、科学的合理性を欠く決断をした当人は、優先的な医療資源の分配を受けリスクを低減させうる立場にある、など)。現在のこれらの状況に対し、野家氏は倫理と身体性の回復からの再起を論じる。前者は共感(sym-pathy)から能動的な感情移入(em-pathy = feeling into)を発揮していく倫理への転換である。後者は、単子(モナド)たる個がつながる「窓」として、具体的な「身体(からだ)」を通し人々がいかにつながりを回復するかである。しかし身体による接触が目下に困難な以上、野家氏は私たちへ残された想像力の力を通した社会的結合の回復が選択肢となりうるとする。具体的には芸術がもつ社会的な回復の力、身体へつながった声を通じた働きかけ(それらはリモートでも構わない)によって結合を回復していくことを選択できるのではないか、と講演は結ばれた。
基調講演に続き、執筆者(前野清太朗(EAA特任助教))による報告「災害「のあとの」歴史————現代台湾の地域的記憶と歴史記述」が行われた。報告では、いずれは私たちが迎えるだろう「災害のあと」をみすえ何がなされるべきかについて、前野がフィールドワークを通し探索してきた台湾での過去の「災害後」の事例を引きながら議論が展開された。1940年代以降の権威主義体制のもと、台湾における「歴史の物語」はその記述のあり方を限定されてきた。1980年代末以降の民主化の過程において、それまで非公式な「歴史の物語」として提示されてきた反体制史観がメディアに広がるようになるが、そこには体制・反体制の「ナショナルヒストリー」の衝突という側面があった。「ナショナルヒストリー」をめぐる対立に変化をもたらしたのが、2000年の震災と2008年の水災であった。災害復興の過程で広まった記憶の発掘の試みは復興を超えて各地へと拡大し「民族史」へと回収しがたい多元的な小さな地域史が各地で記述されるようになった。2010年代の後半以降、小さな地域史によって描かれた多元主義的な歴史は、「ナショナルヒストリー」のレベルへと引き上げられようとしている。しかし一方で体制化した「ナショナルヒストリー」より外れた、場合によっては正しくない、倫理的でないものを含む「記憶」は那辺へよりどころをみつければよいのか。「災害のあと」をみすえ、作られるべきは「物語」よりも経験・記憶・物語の交錯する場ではないか、との指摘をして報告を締めくくった。
続く報告は髙山花子氏(EAA特任助教)による報告「噂、あるいは終わりなき曖昧な物語————ブランショとカプフェレからCOVID-19を考える」であった。「物語」と通常訳されるフランス語「recit」を軸に、非連続的で非論証的な「信じてよいのか定まらない語り」についての議論がなされた。WHOが「神話バスターズ(mythbusters)」のページを設置していることへ代表されるように、「有害なデマ」の流布(pandemicにともなうinfo-demic)への対応について議論が広がっている。一方、フランスの社会学者・カプフェレ(Jean-Noël Kapferer)の『うわさ――もっとも古いメディア』(原著:Rumeurs–le plus vieux media du monde、1987年)が議論するように、「うわさ」には真偽よりも非公式な起源にその特徴があり、松田美佐が指摘するように、社交性・関係性づくりのメディアとしての性格がある。フランスの批評家ブランショ(M. Blanchot)は『文学空間』(原著:L’espace littéraire、1955年)において言語というものがもとよりもつ彷徨うメディアとしての性質、目指すところに到達することができない反響を続ける空間を論じている。白黒つけられない言説が流布する中で、終わりなき曖昧な物語の運動にいかに分け入っていくかが問われている。高山氏は、曖昧な物語の運動へいかに入っていくかの姿勢、こそが必要であると結んだ。質疑では野家氏から京都学派の哲学者・高坂正顕(高坂正堯の父)による歴史の始まりとしての「うわさ」の議論について言及があった。すなわち真偽定かでないからこそ「うわさ」は広がりうるが、その一方で「うわさ」の振幅の広さをつなげるのが難しく、いかにそれを「歴史」へとつなげていくかとの指摘がなされた、
最後に張氏からは「天災と人禍を忘れないために」と題して報告がなされた。2020年度のEAAは、「感染症」をテーマに各種の公開イベントを実施してきた。張氏はこれらのイベントを念頭に、哲学・歴史・記憶と文学・物語・忘却の2つの山のあいだに橋をかける作法をいかにすべきか、について論をすすめた。柳田國男の議論へみられるように、自己語りには、「私はこんな風に生きてきた」ことを語ることで他者から承認をえる性質、それらを通じて「歴史」を形作る相互再生産のプロセスをもつ。一方で、同じ柳田が明治三陸津波の記念碑の前に立って「恨み綿々などと書いた碑文も漢語で、もはやその前に立つ人もない」(「二十五箇年後」『雪国の春』岡書院、1928年)、と記したように、「歴史」の記憶装置しばしば機能不全をおこす。もとより人は「忘れたい」存在であり、「忘れる」ことには「思い出したくない」ものを「成仏させる・奉納する」ことによって日常へ回帰する復元装置としての性格がある。歴史の記憶装置と日常の復元装置の間に、個人とは別の記憶復元装置が補完作用を発揮する必要もあるのではないか、とも思われる。仙台メディアテークが開く「3がつ11にちをわすれないためにセンター」(https://recorder311.smt.jp/)は、市民参加型で記憶を寄せるアーカイブである。これに倣って張氏による「コロナの記憶――天災と人禍を忘れないために」との公開アーカイブの試みが紹介された。このWEBサイトでは写真・記録のみにとどまらず、詩や劇本のような文学創作等までを含めて「寄せる」ことがめざされている。「共に物語る」ことを通じて個別的な体験を普遍的な経験・コミュニティの記憶へ残していくことへの希望を示し、報告は締めくくられた。
最後に石井剛(EAA副院長)からの閉会挨拶がなされた。石井氏は「時間をかけてください、しかし、急いでそうしてください」とのデリダの一節を引きつつ、現在の状況が「ことば」をどうやって・誰に向かって語るべきであるかが厳しく問われている状況であると指摘した。そして哲学・歴史・文学の人文諸学がその役目を問われていると結び、本ワークショップが締めくくられた。
報告者:前野清太朗(EAA特任助教)