10/30(金)EAAスタッフが企画する新しいプロジェクト「空間プロジェクト」のスターターイベントとして「キックオフ座談会」が行われた。
昨2019年末に始まったCOVID-19の流行は半年を経ずして全世界へ広がった。現在、この報告を記している今も世界の全ての(pan)人々(demos)が常ならぬ状況を現在進行形で経験しているが、それは病のもたらす巨大な死や恐怖でもあるが、より共通項的に言えば社会的な・空間的な断絶であるように思われる。社会的に隔てられて(socially-distanced)、身体的に隔てられて(physically-distanced)私たちが感じている空ろな間(空間)が持つ意味について、いまこの時をきっかけに考え直してみたい。
文学・哲学・社会学・政治学・歴史学に基盤をもつEAAスタッフがそれぞれの経験と視点から何が見えてくるのか、その下作業として今回の「キックオフ座談会」は実施された。当日の参加者は、田村正資氏(EAA特任研究員)、宇野瑞木氏(EAA特任研究員)、崎濱紗奈氏(EAA特任研究員)、髙山花子氏(EAA特任研究員)、若澤佑典氏(EAA特任研究員)、具裕珍氏(EAA特任助教)そして報告者の前野清太朗(EAA特任助教)の7名であった。
今回「空間」ということをキーワードにEAAの若手スタッフが集まったのは、やはり上記のような現在的な課題意識を共有できたことにあった。同時に、各人それぞれの異なる研究領域から「とっかかり」を見出しやすい共通のキーワードとして「空間」なるものがあるということに事前のささやかな対話からスタッフが気付いたこともある。今回の座談会はその「とっかかり」を各自出し合って方向性を示すブレインストーミングのイベントでもあった。
当日は各自がA4で2枚程度の簡単なレジュメを用意して質疑、議論、総合討論を行う形ですすめられた(若澤氏は学外講義のため最後の総合討論にのみ出席)。トップバッターは具裕珍氏である。政治学を専門とする具氏からは、政治的行為の空間(space)的分布と政治的行為が展開される場あるいは圏(sphere)にいて問題提起がなされた。地理情報システム(GIS)を使って「數」を空間的にマッピングすることによって見えるようになる構造の問題、あるいはデータセットに表れにくい広場での活動の問題(国会前は「政治的広場」として機能してきたか?)、または広場のような可視的公共圏とSNSに代表されるような潜在的公共圏の問題について議論がなされた、
続いたのはフランスの哲学者メルロ=ポンティを主な研究対象とする田村正資氏であった。田村氏からはメルロ=ポンティの議論をきっかけに、彼が言及をおこないつつも十分に論じつくさなかった「空間」の問題について論を展開しうるいくつかの方向性が提示された。世界に対する私たちの根源的な姿勢であるところの知覚が、現在の分断された状況によっていかに変容し、私たちが空間へ立ち向かう姿勢をつくっているのか。あるいはポストモダンの地理論においてしばしば論じられてきた没場所性(placelessness)ということが、むしろ現代においては没場所的なところに根付くこと、それによって獲得される固有の空間経験というものを考えることができるのではないか。またやはり分断のもとで見直される「空間をともにする」ことの間-身体的な意味といったことが論の方向性として提示された。
3番手は報告者(前野)であった。前野からは、自身の農村研究者としての研究経験をふまえつつも、プロジェクトの立案者の1人として、とくに社会科学的な各学問についてこれまでの「空間」論の俯瞰図を示した。都市フィールドワークによって発見された空間的な権力関係の批判から現在まで続く空間的な「抵抗」の議論をふまえつつ「空間」論が示した空間-社会関係の闇の面(空間からの関係の拘束/社会からの空間分断)と光の面(空間が関係をつくる/社会からの空間創造)の2側面について指摘を行った。俯瞰に基きつつ、権力と設計が生み出す分断(division / segregation)への批判は確かにその通りなのだが、同時に区切る(framing / curving)することで生まれる「むれ」(group)について光を当てた議論が分断の深まる現在にあって可能性を持っているのではないかとの問題提起をおこなった。
4番手の崎濱氏からは自身の過去の「沖縄」を対象とした研究をふまえながら、アジアの都市論への展開可能性について議論のたたき台が提示された。歴史性と社会性が交錯し反映する場所としての「沖縄」論を念頭にしながら、同様に歴史性と社会性が交錯する場所として諸都市をとらえることはできないか。それは近代性・資本主義・空間変容の都市への反映をとらえることでもあるが、しばしばオリエンタルなまなざしのもとに、叢生する自己増殖的な場所として語られてきたアジアの都市についての新たな論の展開が可能なのではないかとの問いかけが行われた。
5番手の髙山氏は、フランスの文芸批評家ブランショの文芸評論集『文学空間』(1955)を引きながら、そこに現れる現代空間論について議論を展開した。1つの議論の切り口として取り上げられたのが、私たちの内なる空間と、私たちが接しえない外部の空間の間の隔たり・距離を象徴するものとしての街路(la rue)であった。誰のものでもない「誰か」の日常空間である街路と私たちは隔たりながらも常に関係をもってしまっている。ここから、私のものではない空間とわたしのものである空間が通じてしまっていることによることからの、隔たることでの「共同体論」がブランショの思想をめぐって議論された。
報告の最後となった宇野氏は、東アジアの説話と図像学の研究を専門としている。宇野氏は自身のこれまでの研究において取り上げてきた説話を対象に、説話を「空間」を通じて相互に関係しあい生成・構造化される諸現象(文字テクスト、イメージ、音声、儀礼空間、身振り)として捉える枠組みが提示された。すなわち説話の現れとして墓(陰宅)、家屋(陽宅)、寺社をとらえ、人々によっていわば「生きられた説話」の実践される場として空間を分析の主軸へ据えることで広がる可能性が示された。
EAAスタッフはこれまで各自異なる専門から研究を行ってきたが、今回「空間」という「お題」のもとに相互の研究を改めて知る貴重な機会ともなった。総合討論では各自の研究的バックグランドと現在の世界をとりまく状況をふまえ、論の可能性を広げる議論が展開された。政治的な影響力と物理的な「肉」(身体)の圧力の問題、東アジア「外」に発するポストモダン空間論が東アジア的な「空間」概念に乗って展開されてきたなかでいかに普遍的なレスポンスとしてそれを返すか、「孝」における肉体の忌避、路地・ストリート・土間におけるパブリックとプライベートの問題、などなど議論は非常に多岐に及んだ。
ただしやはり今後のプロジェクト展開についてはまだまだ課題も少なくない。これも総合討論において議論された事柄であるが、領域横断的なプロジェクトがしばいしば直面する「空中分解」を避けるための軸の設定は切実な問題である(報告者自身はいくつかのブランチへの議論の派生を歓迎している)。また現在の「空間」をめぐった議論のベースを構成しているハーバーマスやアンリ・ルフェーヴルの議論が提示されてより半世紀前後を経過しているが、これを「超える」新たなフレームが提示できるかもプロジェクト上の大きな課題である。
以上の通り「キックオフ座談会」では多くの可能性と課題が示された。報告者(前野)自身は、COVID-19をきっかけとした社会的な・空間的な断絶を、オンタイムな経験として同時代的に残すこともプロジェクトの1意義であるように考えている。人間は存外に高いレジリエンス(抵抗力)を備えた生物である。それがゆえに私たちは辛い経験を克服することもできるのだが、それはともすれば得られたはずの教訓を忘れてしまうことにもつながる。少なくとも本プロジェクトが5年、10年を経て経験を回顧する「とっかかり」となるものとしていきたい。
報告:前野清太朗(EAA特任助教)