2020年10月28日(水)20時より、第1回『天下的当代性』を読む会がZoom上で開催された。これはEAA「東アジア教養学」プログラム第1期生が中心となって企画した読書会であり、当日は、ヴィクトリヤ・ニコロヴァ氏(総合文化研究科修士課程)、孔徳湧氏(経済学部経済学科4年)、藪本器氏(教養学部教養学科4年)、王嘉蔚氏(文学部人文学科4年)、熊文茜氏(経済学部経営学科3年)、報告者の円光門(法学部政治コース3年)の計6名が参加した。
『天下的当代性―世界秩序的実践与想像』(中信出版集団、2016年)は中国社会科学院哲学研究所研究員の趙汀陽氏による政治哲学の著作である。今日の国際社会を支配するとされているリアルポリティックスの代替案として古来より中国哲学において醸成されてきた「天下」という概念を軸とした新たな世界秩序が提唱され、グローバルプレーヤーとしての現代中国の行動原理についても垣間見ることができる、単なる政治学上、哲学上の意義に留まらない一冊だ。
読書会の進行としては、各参加者があらかじめ割り振られた範囲のテクスト要約を担当し、王氏が全体の議論に関する疑問を提起するという方法をとった。今回主に扱ったのは、序章と第1章(1~130ページ)である。
王氏はまず、筆者が「パレート改善」のより良き代替案として「孔子改善」を掲げている点に言及し、前者は資源の希少性を前提としているのに対し、なぜ後者においてはそのような前提は不要なのかと尋ねた。熊氏はこれについて、経済学的に考えると、長期的には全ての財の供給量は変動可能になると述べ、現時点の状況をもとに判断する「パレート改善」に比べて「孔子改善」はかなり先の未来までを想定するため、資源の希少性の問題も解決され得るのではないかと回答した。次に王氏は、「天下体系」は一切を排除せずに全てを内部化する秩序であると筆者は主張するが、秩序構造が「共通善」という一つの価値に依拠している点でその主張は矛盾をはらむものにはならないかと指摘した。これに対し藪本氏は、筆者は「共通善」をあくまで「天下体系」を実現する過程での手段と見なしているのであり、それ自体を目的視しているのではないと解釈すれば、矛盾は回避することはできるのではないかとの見解を示した。
その他にも、参加者から多くの重要な疑問が提起された。ニコロヴァ氏は、筆者が費孝通『郷土中国』の引用のもと、家庭における仁愛は国家や天下における普遍的な仁愛を保証しないと述べている点に着目し、費孝通の『郷土中国』はあくまで中国社会の日常性に着目した民俗学的な著作であるから、それを本書の議論で引用することは文脈を無視することにつながらないかとの懸念を示した。孔氏からは、筆者が言う人民の「利益」とはそもそも何を指すのか――それは精神的な利益を含むのか、それとも物質的あるいは功利主義的な利益に限られるのか――という疑問が提起された。また、円光は、ホッブズなどの西洋政治哲学が「衝突」や「排除」を基調としているのに対し中国哲学は「協働」や「包摂」を前提としているのだとする筆者の議論の枠組みは、ホッブズの一面的な解釈に与するものであり、さらにアリストテレスやプーフェンドルフといった個人間の「協働」を重視した議論を捨象することにはならないかと述べた。いずれもすぐには答えを出し得ない疑問であり、今後さらなる議論が期待された。
全体として特筆すべきは、6名の参加者の専攻が思想史や東洋史から経済学、政治学に至るまで実に多様であり、一つのテクストを前に各参加者がそれぞれ持つ知識や問題意識に基づいた多角的な議論が展開されたことだ。上述のように本書が扱う問題は政治学や哲学に留まらない領域横断的なものであるから、参加者のこのような顔ぶれは本書を読解する上で大変適していると考える。
次回の『天下的当代性』を読む会は11月下旬の開催を予定している。
報告者:円光門(EAA「東アジア教養学」プログラム第1期生)