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2020.11.03

話す / 離す / 花す(1)

思考のスペースを開ける

中島隆博(EAA院長)

EAAの新しい試みとして、EAAメンバーがリレー式でエクリチュールを届け合うことにいたしました。「話に花が咲く」と言いますが、単なる情報伝達ではない表現が重要です。宮本久雄先生が「喩え話というのは半分できた話で、あとの半分は聞いている人が作る」とよくおっしゃっていました。これは聖書のエクリチュールだけの特徴ではないはずです。話は、その人単独で完成することはありません。それを聞いた人が、話し直して、より花が咲くように語り、書くことが求められているのです。

EAAでは様々な活動を同時多発的に行っています。それは決してツリー状に整頓されたものではありません。逆に、リゾームのように次々に別のものと繋がり、たえず姿を変えていくイメージです。ですので、全体を見渡したとしても、その全体は変容し続けるものでしかありません。それは全体なるものを逃れると言った方がよいかと思います。それでも、メンバーのひとりひとりがどのようなアスペクトで、自分たちの活動を見ているのかを表現することは重要です。その表現自体が、EAAの活動に折り返されるからです。

離す」は考えさせられる言葉です。所有を中心とする価値観において、何かを離すのは容易ではありません。しかも、この新型コロナ禍においては、強制的に離されることも経験しているので、なおさら考えさせられます。それでもエクリチュールがそうであるように、自分の手を離れ、旅することが必要な場合もあります。言葉を読むことや書くことは、実は大変な行為です。読むことによって頭があらぬ方向に持っていかれたり、また書くことによってまったく新しい次元に踏み入ったりすることはよくあることです。それは一種の危機なのですが、どこかで自分を突き離すことによって、距離を取ることができれば、危機を転機に変えることもできるはずです。自分の手から離すこと、自分を突き離すこと、あえて離れることが、何らかのスペースを作り上げるのでしょう。それを思考のスペースにすることをEAAは実践してみたいと思います。

今後のEAAのエクリチュールのリレーがそのような思考のスペースを開けることを念じております。

2020年11月3日

photographed by Hanako