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2020.10.06

感染症に覆われた世界と18世紀研究の今 Distance 2020 Conference Report

People

“Distance 2020”

An International Online Conference in conjunction with the University of Melbourne

3-14 August 2020

Centre for Eighteenth Century Studies, University of York

*カンファレンス用特設サイト(現在は閉鎖)よりスクリーンショット

https://www.york.ac.uk/eighteenth-century-studies/news/2020-news/distance-2020/

「密集を避け、距離を保って!」というメッセージは、この半年で生活のさまざまな場面に登場し、我々の意識や行動に深く浸透することとなった。感染症の世界的な流行によって、日々の振る舞いのみならず、言葉や出来事に対する感受性そのものが大きく揺さぶられ、現在も日々変化している。「密」という言葉は、災禍を想起させる不穏な響きを持つようになり、ディスタンスという単語が、街のあちこちで見られるようになった。数年前のドラマやトーク番組を見ると、喋っている内容よりも、映っている人々の間隔、あるいは数の多さにビックリする自分がいる。もちろん病気そのものの治療は医学や薬学の課題であり、感染症対策に関わる政策立案・評価は社会科学分野のフィールドである。しかし、歴史学は言うに及ばず、文学や思想といった学問領域もまた、言葉の世界を介して感染症と格闘している。感染症をめぐる混乱やうねりは、言葉の世界をグラグラ揺さぶる。また、スローガンやメッセージ、バズワードといった形で、言葉は感染症に揺れる世界へと介入する。感染症に揺れる世界と言葉、この両者の双方向的な応答が焦点である。

この数か月「自粛」をはじめとして、いくつかの言葉がメディアで脚光を浴び、政策立案や現状分析をする上でのキーワードになったり、人々の行動を規定・変容させる役割を果たしたりした。言葉はウィルス自体には無力だが、感染症に揺さぶられる人間に対しては、さまざまな影響を及ぼす。感染症そのものだけでなく、感染症によって変化する社会生活や日々の経験について、どのようなワードを設定すればそれを上手く捉える/表現することができるのか?感染症と連動して出現した新たなパワーワードたちは、私たち個人や社会全体をどこに向かわせるのか?こうした問いは、他領域と協働しながら、人文諸学が取り組むべき課題でもある。

私は18世紀研究をホームとしているが、現在の感染症への応答(を研究主題に取り込む動き)が、ここでも活発に行われている。日本ではNHKがデフォー『ペストの記憶』(1722年出版)を特集していたのが記憶に新しい[1]。伊集院光が18世紀英文学を語っている、そんな光景がまさかテレビで見られるとは!英語圏では、『18世紀:理論と解釈』(The Eighteenth Century: Theory and Interpretation)というアカデミック・ジャーナルが、「危機の時代における学問」(Scholarship in a Time of Crisis)というオンライン特集を組んでいる[2]。この夏、ヨーク大学18世紀研究センターでは、メルボルン大学のリサーチユニットと協働し、博士課程の学生が運営主体となって、オンライン・カンファレンスが開催された。国境を越えて大学院生がオンライン上に集まり、「距離」を主題として18世紀の世界を論じ合った。ウェブ上では、事前録画された個々人の研究発表が配信され、リアルタイムでの討議や参加者同士の懇親会も行われた。すべてオンラインで行われたイベントであるが、その交流形式を複層化し、新鮮なライブ感、少し立ち止まってじっくり考える要素、異なる地域から時差を超えてアクセスできる利便性のバランスを取ったようである。イギリスとオーストラリアをつなぎ、学生が研究交流の主体となるという点で、これまでなかなか見られなかった壮大なスケールの企画となった。この半年間、多かれ少なかれどの場所でも感染症対策の関係上、対面で集まれない状況が続いている。それならいっそのこと、地域や国をまたいでオンラインで交流してしまおうという、現在の状況を逆手にとった発想である。

カンファレンスは主に院生を参加対象としていたのだが、国際的な研究協働のモデルとして参考になるため、ポスドク研究員である私も主催者に許可をもらい、サイト内を探検させてもらった。基調講演は二つ行われ、開会時にヨーク大側の教員が、閉会時にメルボルン大学側の教員がレクチャーを担当した。前者では、フランス革命前後の電信技術がフォーカスされ、コミュニケーションとテクノロジーの関係が考察された。後者では18世紀のカリブ海地域について、現地の白人女性が奴隷制の運営維持で果たした役割が論じられたようである。(私自身は開会時の基調講演のみ聴講した。)院生が行った個人発表では、例えば「隔たった過去と想像された世界たち」、「想像された風景たち」、「移動と家庭空間」、「知のネットワーク」、「引き裂かれた家族たち」といったセッション・タイトルがつけられていた。距離の実感・体感を主題とするうえで、「想像力」をキーとするものが複数見られた。教員によるワークショップも開催され、1760年代から1830年代にかけての「交通革命」を扱ったもの、ヴァーチャル・リアリティの文化史を主題としたものが見られた。参加登録時に配布されたパンフレットでは、5つのタイム・ゾーンが設定され、時差を超えて各地の院生・若手研究者をつなごうとする、主催者たちの意気込みが感じられた。

本カンファレンスは、そのフォーマットにおいて新たな可能性を提示したと言える。このモデルを参照点として、新たなオンライン・イベントが企画されることも今後増えていくだろう。他方で「距離」というテーマ設定では、18世紀と現代の結び付け方について、どこかモヤモヤ感が残るところもあった。確かに現代の我々にとっても、18世紀世界を語る上でも「距離」はキーワードである。しかし、その意味するものは大きく異なる。現代の我々はウィルスの蔓延と感染症対策の中で、物理的な移動空間(=身体世界)の縮小に戸惑い、その距離(感)を埋めるとされるオンライン空間について、助けられつつもどこか物足りなさを感じている。テクノロジーを介して接続しているものの、身体が机や部屋で硬直しているという事態は、「距離」というキーワードを用いることで、何かしら18世紀の世界へとつながっていくのだろうか?

カンファレンスで読まれたペーパーを見る限り、そこで考察対象となっているのは、想像力と協働して拡張を続ける物理的なネットワークである。世界中とつながっているけど、身体の移動範囲は限りなく制限されているという、我々が抱えるパラドックスについて、それと響きあう18世紀の何かが、「距離」というキーワードによって、積極的にあぶりだされているとは感じられなかった。もちろん、現代への示唆を求めずに(現代のキーワードを用いて)18世紀を論じる、という立場もあり得る。しかし、それであれば「距離」をテーマとした18世紀研究は、パンデミック以前にも存在した[3]。18世紀の歴史記述を分析し、過去と現在という「時間的距離」を焦点としたもの。あるいは、帝国史やグローバル・ヒストリーから、「距離(感)」の収縮について論じたものなど。こうした先行研究に対して、パンデミック下の問題意識を反映した本カンファレンスが、どこまでその先に行けたかという点については、批判的な応答や省察が必要だと思われる。これまで18世紀研究は、変転する「現在と過去の相互応答」に立脚しつつ、新たな問いや視座を生み出してきた。21世紀初頭に起こった「グローバルな18世紀」への注目も、その一例と言える[4]。今回のパンデミックは、我々に新たな生活体験をもたらした。限りなく狭い空間で世界中とバーチャルに接続するのも、その一つである。こうした経験、そこから生まれた言葉、さらに言葉にならないモヤモヤ感など、こうした現代世界のざわめきから、18世紀世界の新たな様相が現れてくるのではないかと考えている。パンデミック以後の世界と18世紀を結ぶ新たな「言葉」を創出せねばならない。

本カンファレンスはオンラインでの協働性を模索した点、地域を超えた連携を目指した点、運営の主体が院生であった点、この三点が有機的に連動して成功を収めた。その先駆性は高く評価されるべきだし、翻ってそれが完成形ではないことも意識する必要がある。イギリスとオーストラリアを結ぶ際、不可避に想起されるのはコモンウェルスのつながりである。国境を越えて学問的対話をする際、こうした(歴史的に規定された)既存の枠組みとは異なる「接続」の仕方はないものだろうか?日本で英語圏との研究連携を模索する際、繰り返し浮かび上がってくるのは上記の問いである。東京大学東アジア藝文書院でも、オーストラリア国立大学とのパートナーシップを深化させている過程である。オーストラリアと日本を結ぶ線をどう構築するのか、そこで何をどう問うのか、この線がその外にあるネットワークをどう(あるいはどの程度)変容させられるのか、可能性のフロンティアは大きく広がっている。

 

若澤佑典(EAA特任研究員)

Yusuke Wakazawa (EAA Project Research Fellow)

 

[1] https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/101_defoe/index.html

[2] https://ecti.english.illinois.edu/cfp/

[3] 例えば、Mark Salber Phillips, On Historical Distance (2015)が挙げられる。

<https://yalebooks.yale.edu/book/9780300213874/historical-distance>

[4] 例えば、Felicity A. Nussubaum編The Global Eighteenth Century (2005)を参照のこと

<https://jhupbooks.press.jhu.edu/title/global-eighteenth-century>