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2020.09.01

EAAオンラインワークショップ「感染症と文学」

今年4月中旬にEAAオンラインワークショップ「感染症の哲学」が緊急開催された(活動報告はこちら)。4ヶ月が経ってもコロナ禍あるいはパンデミックがまだ収束しておらず、今回の8月26日(水)に開催されたワークショップ「感染症と文学」もオンラインで開催せざるを得なかった(開催案内はこちら)。

 

開会の挨拶において、東京大学東アジア藝文書院(EAA)副院長の石井剛氏から、Covid-19によって世界全体が急速に変わっている中で、学問にどのように取り組むべきかという問題が提起された後、6人の研究者による発表が3つのパネルに分かれて行われた。

ウェビナーの画面越しで、懐かしい面々、初対面同士、ともに挨拶を交わしあう登壇者たち(上段左から、張政遠氏、木村朗子氏、デンニッツァ・カブラコヴァ氏。中段左から、潘文慧氏、佐藤勢紀子氏、宇野瑞木氏。 下段は髙山花子氏。)

 

――パネル1――

 

まず、佐藤勢紀子氏(東北大学)は「『源氏物語』が描いた感染症——「おほやけ」との関わりを中心に」と題して発表した。『源氏物語』には「しはぶきやみ」「わらはやみ」「世の中さわがし」という表現があるが、感染症の描写が少なく具体性を欠くのが特徴的である。感染症という病気は「おほやけ・わたくし」の病であって、その他の病気が「わたくし」の病気とされ、その背後にはジェンダー規範にもとづく物語叙述と物語作者の関心の所在にあることが指摘された。

 

次に、宇野瑞木氏(EAA特任研究員)は「疫病と「書く」ということ——『方丈記』と『日蓮聖人御遺文』」という題で発表をした。『方丈記』では、路上に「疫癘」の流行により死者が溢れ、家に引き籠って留守と称して疫神から逃れようとする習俗があったことなど、都市災害の集合的な記憶や記録が載せられているのに対して、「松野殿御返事」(信者への手紙)では、日蓮の表現の特徴は眺めるのではなく怒りをもって私自身の命をかけて現実に介入していくやり方だと論じた。

 

質疑では、佐藤氏に対し、紫式部の日記などには疫病の描写はあるのか、男の宿世はどういうことであるのか、などの質問があった。宇野氏に対しては、『方丈記』において「一人の被災者」という個人の視点をこえて、巨視的・映像的な描写を獲得できた要因はどこにあったのか、鴨長明は災害の現場についてルポルタージュのような文学的エクリチュールを書いたが、日蓮は災害をどのように記述したのか、などの質問があった。

 

 

――パネル2――

 

髙山花子氏(EAA特任研究員)は「壁越しのコミュニケーション——モーリス・ブランショと疫病」と題した発表であった。モーリス・ブランショの長編小説『至高者』(1948)の中で、感染症予防による自宅待機の際に偶然に出来た壁越しのコミュニケーションについて記されており、その意味について報告された。

 

デンニッツァ・ガブラコヴァ氏(ヴィクトリア大学ウェリントン)は「V. ソローキン『吹雪』(ロシア語、2010年)における予防接種とスケールの問題」という発表をした。大きい都会から小さい田舎へワクチンを運ぶという感染症を描く場面があるが、アナロジーの危険性と文学のもつ「繊細さ」についても検討された。なお、この小説の中国語訳があり、中国では評価されたことも紹介された。

 

質疑では、髙山氏に対し、ブランショの小説とカミュの小説との差異はどこにあるのか。ガブラコヴァ氏に対しては、都会から田舎への道とは逆な方向で、永久凍土が解けて感染症の病原が辺境から中心へ持っていかれるのではないかというコメントがあった。

 

 

――パネル3――

 

潘文慧氏(香港公開大学)は「マンガに見られる感染症」と題した発表を行った。メディア研究・ジェンダー研究をしている潘氏は、サブカルチャーの視点から「漫画」もしくは「絵画」に描かれている感染症について紹介し、現在「アマビエ」が注目を浴びている中、庶民の知恵を改めて注意すべきだと強調された。

 

最後の木村朗子氏(津田塾大学)は、「コロナ禍と文学」という題で発表した。『震災後文学論』『その後の震災後文学論』などを書いた木村氏は、まだ「疫災後文学論」を書く予定はないとしたうえで、コロナ禍になって何が出版されたかについて紹介した。なお、コロナには終わりがあるだろうが、放射性物質の汚染にはまだ終わりが見えないという発言が非常に印象的だった。

 

質疑では、潘氏が取り上げた「漫画」は「お札」なのではないかという質問があり、また木村氏に対しては、コロナ禍を記憶するために、日記文学が多いという理由はどこにあるのか、などの疑問があった。

 

閉会の挨拶では、EAA院長の中島隆博氏が、今、大学は閉ざされた場所になっているが、これからは、開かれた大学すなわち無防備大学だけではなく、無防備哲学や無防備文学が必要となるのではないかと発言した。

 

以上、オンラインワークショップについての短い報告だが、この研究会についてのブックレットが刊行されるので、ぜひ手に取っていただきたい。また、「哲学」と「文学」の次に、「歴史」というテーマでワークショップを開催する予定である。木村氏が指摘したとおり、私たちは、学者ではなくむしろ仕事の現場の人々の声に耳に傾けるべきだという考えから、「現場の人が語るコロナの歴史(仮)」という方向で調整している。

 

報告者:張政遠(総合文化研究科)