2020年6月5日(金)、張政遠氏(総合文化研究科)を講師に迎え、「30年後の被災地、そして香港」をテーマに第8回学術フロンティア講義が行われた。
講義はハムレットの「We know what we are, but we know not what we may be.」との言葉よりはじめられた。未来は未知だが、未来を想像することは誰にでもできる。30年後の世界、具体的に2050年という時点には、被災地と香港はどのように物語られ、そして忘却されるか出席の学生たちとともに想像してみたいとの趣旨で論がすすめられていった。
張氏は仙台で留学生活を送り、仙台を「第2のふるさと」とするという。震災発生1年後の2012年3月には。東北大学が主催したシンポジウム「大震災と価値の創生」において「人はなぜ敢えて逃げないのか」というテーマで発表を行った。張氏は。動物的本能からすれば危険からの逃避は通常の行為だが、そこには逃避を道徳的行為として成立させえなかった「敢えて逃げない」要因があったのだと述べた。
震災後に女川(七十七銀行支店)、仙台市若林区(浪分神社)などを回った張氏が特に注目しているのは、和辻哲郎『古寺巡礼』(1919)で示される巡礼(Pilgrimage)という実践である。もともと宗教的に、すなわち「聖地巡礼」「霊場巡拝」といった用法で使われるこの言葉は、忘れかけていた記憶をよみがえらせる「実践」(praxis)行為であって、張氏は「巡礼」を通し西洋近代の価値観を相対化しながら、日本の純血性に回帰しない仕方で新たな価値創造に寄与することを試みている。
こうした考えを念頭に、張氏はその後数回にわたり被災地巡礼の旅に出た。2013年5月、陸前高田(記憶装置としての奇跡の一本松)、気仙沼(処分前の第十八共徳丸)、南三陸(語り部バスツアー)、仙台市若林区(浄土寺)、閖上(愛他行動の現場)などをめぐり、現地の人々と交流をおこなった。2014年5月には浄土寺を訪ね、2015年6月には東京大学IHS研修「香港中文大学と考える東日本大震災からの復興と共生の市民社会」を実施した。一連の巡礼行を通じ、張氏は次のように痛感した、一から被災地の復興をやり直すことが必要であるその一方で、被災の証明である「残骸」を記憶装置として残すことも重要であり、なおかつ震災記憶の精神的な器、すなわち記憶の担い手のオーラル・ヒストリーなしには、震災遺構という物的な存在も決して機能しないのであると。
そこから話題は被災地より香港へとつながった。2015年、香港では「反核 不要再有下一個福島」(反核。第二の福島を出すな)というスローガンが掲げられ、広東省と台湾の原発への危惧が表明され、核・原子力問題は福島のみならず世界の問題でもあるとの現実が語られた。2015年3月12日~3月15日に行われた東京大学IHS研修「香港で考える日本哲学と東アジアの共生」 は張氏同行のもと、東大学生と雨傘運動参加の学生3名が共に運動が占拠した市内中心部、そして新亜書院の香港中文大学への統合時に独立した新亜研究所を訪れた。実際に運動がおこった場所と、歴史を持ちながら深刻な経営状態に陥り忘却されていく研究所との接触は、ある種の「巡礼」なのだと張氏はいう。
一般に定式化される「香港」の簡史は以下のようなものである。
- 1841以前 伝統的海運の時代
- 1841-1859 開港の最初期段階
- 1860-1898 貿易活動の開始
- 1899-1940 国際港湾
- 1941~1947 占領と復興
- 1948~1966 工業化と近代化(実際にはより早い)
- 1967~1996 世界一の港湾都市
- 1997~現在 新しい挑戦と契機
しかし、植民地支配の視点からは、こうした歴史認識より遮断され忘却される部分が浮かびあがってくる。すなわち1842~1941 年は「英治時代」、1941~1945年の太平洋戦争の間は「日據時代」、戦後の1945~1997年は「英治時代」に戻ったが、それ以降は「ポストコロニアル時代」と見ることもできる。アヘン戦争以前の香港は「中心と周辺」の観点からすれば、中国大陸に対し周縁化される「不毛な島」とイメージされがちだが、実はかなり長い歴史を持ち、6000年以上前へ遡る考古的な遺跡もある。
金子馬治、和辻哲郎などの学者は香港に関する語りを残している。そこでは「ジャンク」、「清国に無用」、「無政府」などと言及されるような、国家権力より遠く血縁団体に拠って成立した社会香港とのイメージが強かった。歴史の潮流に翻弄される香港は、支配者が転々と変わり、宗教に関する記憶装置も東西の間で改ざん・回復を繰り返された。そして混乱時の避難先(1949年の国共内戦から、1966年の文化大革命、1979年にはベトナム難民として)、から逃亡の派出元(1984年の中英連合声明以降の移民、1989年の天安門事件および1997年返還の「駆け込み」移民、2012年以降の格差問題・雨傘運動・反送中運動・反国安法運動などに伴う移民など)となる時代を経験しつつある。
結論部では、学術フロンティア講義の共通テーマ「30年後の世界」に回帰した。被災地にとって浄土寺はどうなるか(檀家減少問題)、新地町の漁師たちは漁を再開できるか(廃炉問題)などが課題となる一方で、香港が一国二制度・高度自治・港人治港などを約束通り「50年不変」としうるかは考えなければならない問題である。両者が共通して直面している課題は、これまで語られてきた記憶をきちんと残しうるかということである。柳田国男『雪国の春』(1928)を引用しつつ、張氏は「忘却の抵抗」の重要性を力強く持ち出す。すなわち、私たちは巡礼する(記憶装置を巡り、人々と出会う)、物語る(物語ることは忘却への抵抗である) そしてConnectする(共生する。共に喜び、共に悲しみ、死者の声を聴く)ことによって抵抗できるのである、と張氏は忘却への対抗策を語った。
質疑応答ではたくさんの質問が出された。そのいくつかを拾うと、トラウマや傷つく記憶に対して再度語ることがつらいからこそ「抵抗」になり、自らのトラウマとの対決の可能性をはらむ、巡礼に際した物的記憶装置のみならず記憶につなぐ人々とのコネクトこそ重要である、「国家」という大きい物語に疎外される者は自分の経験より小さな物語を構築して記憶に付着するアイデンティティを作る必要があるなどの、観点が述べられた。張氏は質疑を俯瞰して「記憶」および「忘却」の構造をいっそう明確に示したうえで、講義全体をしめくくった。
報告者:徐莎莎(EAAリサーチ・アシスタント)
リアクション・ペーパーからの抜粋
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